映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.12.17  かしぶち哲郎の命日

2016.12.17 かしぶち哲郎の命日

 

12月17日はかしぶち哲郎の命日である。

2013年12月17日深夜、大森(一樹)さんから電話が入り、”かしぶちさん、亡くなったってネットに流れてるで”  患っている事、全く知らなかった。63歳だった。

云わずと知れた日本の伝説的ロックバンド・ムーンライダーズのドラマー。一方、かしぶちさんは多くの映画音楽も手がけていた。私とはそちらの方の付き合いだった。

最初は「恋する女たち」(1986 監督.大森一樹) 、大半の撮影が金沢ロケだった為、かしぶちさんと私は音楽打ち合わせの為、金沢に出向いた。ロケのバタバタの中、夜の10時近く、ようやく大森さんの体が空いて宿の玄関脇の四人掛けの狭いテーブルで会うことが出来た。大森、かしぶちは初対面。かしぶちさんで行くことは決っていた。主演の斉藤由貴のレコード会社のディレクターからの強い推薦があった。

その頃、駆け出しの映画音楽プロデューサーだった私は、その仕事がよく解らないでいた。映画音楽プロデューサーという仕事自体がまだ一般的に認知されていなかった。一世代以上うえの巨匠たちとの仕事では、私は何も言えず、ただひたすら段取り屋だった。

監督も音楽家も同世代というのは初めて。私はどんな役割をすれば良いのか。小さなテーブルを挟んで向かい合った二人、疲れている大森、どちらかというと口の重いかしぶち、どんな音楽にしましょう?なんて言っても両者共言える訳がない。音楽を言葉で打ち合わせるなんて至難の技である。さぐりさぐりの時間が過ぎた後、何となく映画の話になった。フランス映画である。誰が言ったか、「若草の萌える頃」(1969 監督.ロベール・アンリコ)というタイトルが出た。 “それや、それそれ” 重苦しかった場の雰囲気は一気に氷解、話はコロコロと転がって行った。かしぶちはジョルジュ・ドルリューが好き(「若草~」はドルリューではないが)、大森のベストワンは「冒険者たち」(1967 監督.ロベール・アンリコ)、その時私は、この仕事が映画監督と作曲家の共通言語を探すことだと解った。それは言葉とは限らない。曲だったり映画だったりもする。それが見つかれば役割の大半は果たせる。さてその時「若草の萌える頃」という映画名を私がいったとしたら、私は名映画音楽プロデューサー、しかし私はその時それを観ていなかった。私を取り残して二人の話は弾んだ。「冒険者たち」は私のベスト2である。テーマも口笛で吹ける。それをネタに話に加わろうにも割り込むことは出来なかった。歳は、私、かしぶち、大森の順で一つ違い、30代半ば、タメグチでやれた最初の仕事、映画音楽プロデューサーなる仕事が一気に面白くなった。

その後に続く「トットチャンネル」(1987)「さよならの女たち」(1987) は本当に楽しい仕事だった。「さよなら~」では、何でもない列車の移動のシーンに、“ここ歌でやってみィへん? ” “どうせならフランス語でやらない? ” “かしぶちさん、フランス語で唄いなよ” “やってみる! ” 三人で思い通りに出来た。その歌に ”サヴァ ヴィアン” という歌詞が出てくる。僕らの間ではその歌は「サヴァ ヴィアン」になった。サントラ盤で何とタイトルを付けたかは忘れた。

大森さんの映画にはそれまでの日本映画になかった、“軽み”がある。軽薄というのではない。どんな題材を扱っても絶対に重くならない、“軽み”。それは多分、大袈裟にいえば、人間肯定のオプティミズムである。その“軽み”の度合いを二人は肌で解り合っていた。重くなりそうなところをかしぶちの音楽が軽くし、軽く流れ過ぎるところをかしぶちの音楽がしっかりと落ち着かせた。ふたりは絶妙にそれをコントロールし合っていた。

 

2011年「世界のどこにでもある、場所」という単館系映画で、ふたりは何年ぶりかで仕事をした。私は絶賛してしまった。二人の“軽み”の度合いは絶妙だった。二人は技術的にも深まっていた。この映画のサントラも含めたかしぶちさんの映像音楽を2枚のCDに纏めてソニーからリリースし、その纏め役を仰せ付かった。ライナーにはこれまでを振り返った二人の対談を掲載した。虫が知らせたのか。

2015年、大森さんは「ベトナムの風に吹かれて」(主演 松坂慶子)という映画を撮った。この映画の音楽クレジットはかしぶち哲郎である。これまでの大森・かしぶちコンビの映画音楽から選曲して全編をまかなった。大森さんのアイデアである。現像場で初号を見た時、その為に書いた様にピッタリとはまっていた。メインタイトルの音楽は「サヴァ ヴィアン」だった。

かしぶちさんの声は軽くて腰がない。ボサノバやシャンソン系の声。メーターばかり振れて前に出てこない。ライブなどの後はいつも、”相変わらず歌ダメだね”というと”そんなこと言わないでよ”と返って来た。フィルムにのせると腰のない声は余計埋もれてしまう。映画を観ながら思わず心の中でつぶやいてしまった。”そんなこと言わないでよ”と返ってきた。

2016.12. 05 「この世界の片隅に」 丸の内TOEI

2016.12. 05「この世界の片隅に」丸の内TOEI

 

テアトル新宿で予告編を見た。それだけで胸が一杯になった。「悲しくてやりきれない」(作詞・サトウハチロー、作曲・加藤和彦) は大好きな曲である。それをたどたどしい女声のVocalがほとんどアカペラで唄う。フォークルのオリジナルに優るとも劣らないカバー。その歌に合わせた様なキャラのアニメーション。勿論キャラに合わせて歌を選んだのだろうが、私には逆に思えてしまった。キャラ背景とも淡く春霞が掛かった様。今風アニメキャラの目がパッチリで手足が長く背景は緻密で写真の様、とは真逆。このキャラ背景そして歌、これでしっかりと世界は出来ていた。こんな的確な予告、見たことない。内容と関係なくマンマと騙す予告も好きだが、内容を的確に伝えて惹きつけると言う正統な意味での予告編の、これは今年のNo1。これだけで泣けてくる。アニメ嫌いの私だが、これは絶対に観ようと思った。「悲しくてやりきれない」は予告編音楽既成曲部門の大賞である。この一見ヘタな様で良く聴けば大変なテクニック、見事なカバーは誰なのか。

 

アニメで初めから違和感を感じずに入っていけたのは「かぐや姫の物語」以来である。背景にも人物にも水彩画の様なタッチが一貫しているためか。全ての線が少しぼんやりとしていて淡い。従来のアニメの、輪郭はっきり、背景は写真の様、キャラ目鼻立ちすっきり手足長く、欧風バタ臭い、これらの反対がこのアニメだ。

主人公のすずはおっとりとしていてワンテンポ遅い。それを声の ”のん” が、キャラが乗り移った様に演じて一体化している。このモッタリゆっくりが全ての輪郭の角を取る。優しく受け入れて包み込む。

 

昭和8年12月、町へ海苔を売りに行く幼いすずから始まり、昭和18年、18歳で周作に嫁ぎ、昭和20年8月6日原爆投下、8月15日終戦、そして戦後。すずを通して広島、呉の庶民の生活を淡々と描く。

大恋愛がある訳でもない。大きな夢がかなう訳でもない。戦争反対を声高に叫ぶ訳でもない。時間軸が動く訳でも、この世とあの世の境が無くなる訳でもない。アニメが得意とする飛躍、非現実、ファンタジーといったものをほとんど使わない。その代わりに当時の広島や呉の普通の人々の細かい日常が丹念に描かれる。

木炭バスで嫁いで来たり、着物を仕立て直したり、お米の炊き方を工夫して量を増やしたり(楠正成伝来?) 、黙々と畑を耕したり、天秤で水を運んだり、天井板の木目だったり、戦艦大和の大きさに驚いたり、これら普通の日常の描写がいつの間にかユーモアと懐かしさを醸し出してくる。私の母の世代、日々の日常を丁寧に生きていた時代だ。

 

すずは絵が上手だ。白波立つ海原は飛び跳ねる沢山のウサギに見える。すずはその通りに書く。同級生の水原君の為の代筆。すずの初恋らしい。

すずは見たものをそのまま見た通りに書く素直な目を持っていた。社会性で歪曲されない、時代や人間社会の意味づけを超えた見方。

戦争の真っ最中である。でもそれは人間だけの話、そんなこととは関係なく自然の時間は流れている。右往左往する人間の手前をいつもタンポポの綿毛が飛んだり、トンボや蝶が横切ったり、鳥が飛んだりする。人間が戦争をしようと自然のゆったりとした時間は微動だにせず流れていく。すずの目はそっちに近い。

 

18歳で広島から呉に木炭バスに乗って嫁いで来た。好きな人だった訳ではない。乞われて嫁いで来たのだ。自分の意志で人生を決めるという生き方がまだ稀だった頃。すずは大多数がそうであった様に決められるままに従った。

周作の姉・径子は当時としては少数派のモガ (モダンガールの略) で自分の人生は自分で決めた。その ”私” が周りと軋轢を起こし結婚は上手く行かなかった。:径子はギスギスしていた。すずの ”私” はほんわかとして春の日差しの様だ。でもちゃんとある。突撃を前にした水原がすずを訪れた日。周作が気を利かせて、すずに指示して納屋に寝る水原にアンカを持たせる。この映画の唯一艶めかしいシーン。ここですずは、本当は水原を待っていた、でも過ぎたこと、選ばんかった道、ときっぱり言って踵を返す。すずは流されているのではない。ちゃんと選んでいるのだ。後日この件で周作に喰って掛かる。すずが初めて感情をむき出しにした。

周作は海軍の総務部に勤める。家には大きな本棚に本がずらりと並ぶ。庶民というよりはものを冷静に見られる人、すずを深く理解している人だ。

 

呉は海軍の町である。おそらく当時の日本の中では比較的ハイカラで進歩的で自由な雰囲気があったのだろう。昭和19年、周作の父親が海軍病院に入院、そこでみんなで聴いていたSPレコードは敵性音楽の「ムーンライトセレナーデ」であった。勿論きちんと考証しているはずである。それにしてもちょっと驚いた。海軍が陸軍に吸収されるかもしれないなんて噂話も出てくる。

 

日常とはほとんど食べることだ。当時の女の一番の仕事は食事を作ること、まして食糧難、食事の世話は女にとっての戦いだった。だから食べることに関するエピソードがかなりの部分を占める。少ない米の量を増やす炊き方、大切な砂糖、スイカ、空襲で焼け落ちた家の下の焼き芋、遊郭のりんさんの為に書いた絵のスイカやお団子、ウエハー…

 

兄は死に水原も死に、姪の晴美ちゃんも死んだ。遊郭のりんさんも空襲で死んでいるだろう。すずも右手を失った。仲良しの妹は寝たきりになり腕には被爆の斑点が浮き出ていた。どこの家でも身内に犠牲者はいた。それでも黙々と耐えて来た。それを簡単に引っ繰り返されたから玉音には心底怒った。それでも進駐軍の配給の残飯雑炊を径子と食べて、二人で思わず”美味しい!” と叫ぶ。日々は続くのだ。

 

焼け跡の中でシラミだらけの少年と出会う。懐いてくる少年。 それは必死に生き延びようとする動物的本能なのかもしれない。すずと周作はこの少年を引き取る。連れ帰った少年を囲んでの夕食、誰も異を唱えない。”血” を超えた繋がり。戦後の混乱の中で、庶民はいとも簡単に”血” を超えていた。生き続ける人間どうしの自然な行為。

この映画を3.11と無理にWらせるつもりはない。ただ「東京家族」(拙ブログ2012.10,09) が、その為に製作を一年遅らせたにも拘らず大した反映も無かったことを思い出す。前にも書いたが、何故、おじいちゃん (橋爪功) は被災した孤児を引き取って新たに二人で生き始める、そんな話にしなかったのか。結局、山田洋次は”血”を超えられない。恐れ多いが山田洋次の限界を見た。

 

すずと周作は広島の橋に立つ。周作がすずを見初めたという橋だ。すずが言う。”この世界の片隅に、私をみつけてくれてありがとう” (不確か) 、そうか、この映画は出会いの奇跡に感謝する映画だったのだ。”少女の日常を通した静かな反戦の映画” の奥にそれがあった。何でこういうタイトルにしたのかと思っていたが、それが一気に腑に落ちた。途端に二人の背後に宇宙が拡がった。

 

「悲しくて~」を唄っていたのはコトリンゴ、この人が映画全体の音楽もやっていた。ユニット名かと思ったらソロ、ジャズのピアニストらしい。それにしても味のある声と歌い方だ。

タイトル前、海苔を作って売る幼いすずとその家族の紹介、そこには何故かオリジナルではなく、良く聴くクラシック ( 讃美歌? 失念) のメロが弦で静かに淡々と流れる。良く合っている。でも何で既成曲を使ったのか。何か意味はあるのだろうか。

そして「悲しくて~」、本当にドンピシャの声と歌い方。映画にとってもコトリンゴにとっても幸運な出会いである。

重箱の隅、途中から入ってくる弦、少し大き過ぎないか。もっとさり気なく後ろに這わせる位が良かったのでは。曲尻のFOも次のシーンにこぼれても良いから自然な減衰に任せれば良かった。急な絞り、気になった。

木炭バスで嫁ぐところ、朝の水くみ、裁縫など、すずの気持ちというより日常の生活に合わせた描写音楽。Pf中心に弦カル、どれも可愛らしくモダンで洗練されている。すずのテーマという様な付け方ではない。「隣組」の歌はコトリンゴのVoとPfに楽器ではないようなパーカッション。シャレている。中盤からは木管が増えてくる。PfとFg、PfとCla、それにマリンバが加わる。弦のピチカートも上手く使う。闇市のシーンではアコーディオンが聴こえた。木管や弦カルを使ってもクラシカルなアレンジではないので重くならないのが良い。後半話が重くなってくるあたりにはPf単音を効果的に使っている。

エンドロールの歌、木管とPfがリズムを刻みVoが載る。ジャズだ。全く違和感がない。何と洗練されていることか。最後の最後には金管が入って明るく賑やかに締める。ファウンディングのクレジットが延々続くのだが音楽でしっかりと持たせている。

コトリンゴ坂本龍一に見いだされたらしい。「新しい靴を買わなくちゃ」(2012,10月公開. 監督.北川悦吏子  音楽監督.坂本龍一  音楽.コトリンゴ) で音楽を担当したとか。確かモーツァルトの「メヌエット」をテーマの様に使っていた。オリジナル音楽の印象はない。映画が酷すぎたのでその記憶しかない。

この人、今後映画音楽をやっていくのだろうか。どんな映画もこなすというタイプではない。自分に合った作品と監督を選ぶべきだ。

もしかしたら監督にとっても ”のん” にとってもコトリンゴにとっても、こんなに素晴らしい出会いはもうないかも知れない。「この世界の片隅に」出会えた三人を祝福する。

 

監督.片渕須直   音楽.コトリンゴ  すずの声.のん

 

 

2016.12.05 「佐藤勝の命日」

2016.12.05「佐藤勝の命日」

 

1999年12月5日、佐藤勝は死去した。

その年の秋の叙勲で佐藤先生は勲四等旭日小綬章を受賞した。同じく黒澤組美術の村木与四郎さんも受賞、お二人のお祝いの会が、ちょうど終わったばかりの「雨上がる」 (2000.1月公開、監督・小泉堯史) スタッフを中心に黒澤組が集結して、成城の中華料理店マダムチャンで催された。確か午後4時の開宴だったか。主役の佐藤先生は少し遅れて、息をハアハアさせながら二階の会場に上がって来た。”前のインタビューが長引いちゃって”  前のインタビュアーは確か片山杜秀氏である。きっと盛り上がってしまったのだろう。

野上照代さんが、”始める前にマサルさん、勲章見せてよ”  “よっしゃ! “

掲げた勲章の房が落ちた。先生はそれを拾おうとして前に屈んだ。ウッ! そのまま苦しそうにうずくまってしまった。"マサルさん、どうしたの?"  みんなは慌てて椅子を並べてそこに先生を横たえた。

先生は重い糖尿病の持ち主で週に2回人工透析を受けていた。スタジオにこもっていると時々調子が悪くなる事があり、そんな時は肩と首を揉んであげると治まった。それを知っていたから、先生、大丈夫ですか、と軽い気持ちで声をかけた。”いつもと違う…” それが僕が聞いた最期の言葉だった。直ぐに鼾をかき出した。

大急ぎで救急車を呼ぶ。来るまでの間も鼾をかいていた。救急隊員は先生を床に横たえて、気管切開をしますと言い、野上さんがお願いしますと了承した。そのあと救急車で杏林大学病院に向かった。野上さんに指示されて僕と宇野さんが救急車に同乗した。僕は先生のお付きみたいな立場で会の末席に参加しており、宇野さんは私などとは比べものにならないほど先生と長いお付き合いがあり、最後のマネージャーでもあった。途中信号待ちの時、電気ショックというのをやった。ベッドから離れて下さい、ドン!  初めて見た。それでも意識は戻らなかった。杏林では救急医療室に直行して、それっきり会うことは無かった。

お祝いの会は心配しつつ行われた様で、終わってから野上さん始めみんなが駆けつけた。その間、僕と宇野さんは、携帯が珍しい頃だったので、10円玉を持って赤電話で関係者に電話を掛けまくった。

救急医療室の前で、出入りする医者の開けたドアの隙間から一瞬中が見えた。広い部屋の中央の台に横たえられた先生が見えた。病院に着いてからも意識は戻らなかった。正式な死亡時刻は何時だったか。

夜の9時過ぎ、遺体は病院の霊安室に移された。検視が必要だそうで、それは明朝になるという。聞きつけた人たちが次々に駆けつけた。澤島忠監督は遺体の横で別れの杯をされていた。家も近く、その頃先生とは一番頻繁に会っておられた様である。哀しいが賑やかな時間が流れていた。先生の自宅にマスコミが来ているらしいと誰かが言っていた。11時のNHKのニュースで流れたらしい。

 

言うまでも無いが、佐藤先生は質量共に日本の映画音楽を支えた第一人者である。黒澤明岡本喜八山田洋次山本薩夫森崎東等、関わった監督の名を上げたら切りがない。作品名はさらに切りがない。担当した映画は300本を超える。「用心棒」(1961 黒澤明監督作品) と「幸福の黄色いハンカチ」(1977 山田洋次監督作品) を取り敢えず上げる。ある時期の邦画の良質なエンタテイメント作品をほとんど担っていた。

早坂文雄の唯一の内弟子であり、「七人の侍」では早坂の脇で武満徹と共に机を並べてオーケストレーションを手伝った。その頃のクラシック系で映画音楽を書く作曲家の中では珍しく、というか唯一初めから映画音楽の作曲家を目指していて、クラシックへのコンプレックスを持たなかった。自分は映画音楽作曲家であると明解だった。ポピュラー系の仕事も何のこだわりも無く引き受け、「若者たち」(1966 作詞・藤田敏雄、歌・ブロードサイドフォー) や「恋文」(1973 作詞・吉田旺 歌・由紀さおり) というヒット曲もある。美空ひばりが唄った「一本のえんぴつ」(作詞・松山善三) という知る人ぞ知る名曲もある。俺は首根っこまで商業主義に浸かった作曲家だと言って憚らなかった。

武満徹は映画音楽の録音の時は必ず指揮を佐藤先生に頼んでいた。

マサルさんは映画音楽を解っているから”

“武満は、この譜面のココからこっちの譜面のココに繋げてコーダはこの譜面って、指揮台に置ききれないんだよ”

もしかしたら武満の映画音楽を一番理解していたのは佐藤先生だったのかも知れない。

 

亡くなる三日前、「雨あがる」のサントラのMixをコロムビアのスタジオで行った。早めに終わり、新宿でご馳走になった。

”今回、黒澤組に呼んでもらって、もう思い残すことは無いよ”

“先生、思い残すことは無いなんて、そんなこと言うもんじゃないですよ”

「影武者」 (1980) で黒澤監督と行き違いが生じ、それ以来黒澤組とは離れてしまっていた。監督の遺稿の「雨あがる」をお弟子の小泉堯史さんが監督するということで、佐藤先生が呼ばれたのだ。野上さんを始めとする黒澤組スタッフとの再会は本当に嬉しかったらしい。

 

翌朝7時、検視が行われた。透析を長く続けている人は心臓に負担が掛かっているので、こういうことはよくあることなのだそうである。

先生は大塚の西信寺に、2007年に亡くなった千恵子夫人と共に眠っている。

そんなこと、言うものではない。本当にそんなこと言うものではない。

2016.11.15 「ぼくのおじさん」 丸の内TOEI

2016.11.15「ぼくのおじさん」丸の内TOEI

 

エンドロールが出るまで監督が山下敦弘とは知らなかった。時代ズレしたおっさんが監督したのかと思っていた。愕然とした。

リンダリンダリンダ」(2005) も「天然コケッコー」(2007) も「苦役列車」(拙ブログ2012.7.18) も「もらとりあむタマ子」(2013) もみんな好きだ。今年の「オーバーフェンス」(拙ブログ2016.9.27) は今イチだったが、山下敦弘らしくはあった。

松田龍平宮藤官九郎真木よう子寺島しのぶ戸田恵梨香、これだけ個性的な役者を集めるのは大変である。きっと山下監督だから集まったのだ。それをわざと相応しくない役に当てはめて。

松田龍平に屁理屈を言わせてはダメだ。屁理屈は言い訳と説明に聴こえる。そこを超えたところで存在するから面白いのだ。どんな役をやっても演じているように見えない。それが凄い。屁理屈を言う松田は演じていることが透けて見えてしまう。きっと本人もやり難かったのではないか。おじさん (松田) は 週に一コマだけの大学の哲学の非常勤講師。兄の家に居候して漫画を読みふける日々。

真木よう子、ハワイのコーヒー農園を祖母から引き継ぐも経営に行き詰まっている。松田とお見合いをするが、本当に好きな人が実は居る。ハワイまで追いかけて行くも松田はふられる。

宮藤官九郎寺島しのぶの夫婦、これも最初は信じられなかった。松田はこの夫婦の家に居候している。クドカンは松田の兄で保護者、常識的なサラリーマン(多分)。ぐうたら松田に説教をたれる。その妻・寺島、松田を追い出したいが時にはお小遣いもやる。サソリのおもちゃを見て絶叫する。漫画の一コマのようなシーン。おそらく寺島に最も相応しくない役だ。この夫婦のトンデモキャスティング、受けを狙ったのだろうが…

“ぼく”(大西利空) はこの夫婦の子、小学校の低学年、おじさんの唯一の話し相手、しっかりしていておじさんを支える。

戸田恵梨香は ”ぼく” の学校の先生。この先生が ”自分のまわりにいる大人について” という作文を書けと課題を出す。おじさんについて書いた作文がこの映画の原作、そういう設定。だから ”ぼく” の一人称のナレーションで話は進む。

もらとりあむタマ子はそれでも今の日本の若者事情とか地方事情とか親のこととか、それなりに抱えていた。抱えながらグウタラしていた。おじさんは社会的背景を抱えない。というか、この映画自体が社会的背景などというものとは無縁だ。そういうものは一切無い。”ぼく” の視点なのだから当然だ。絵本というか漫画というか、そんな世界。キャラクターはペラッペラのステレオタイプ。山下監督、一度自分の語り口から離れて、漫画の世界をやってみたかったのかも。クドカンも寺島もきっと面白がって付き合った。真木よう子は面白がったか解らない。私には辛そうに見えた。役者も大変だなぁと思った。

唯一 ”ぼく” だけがその通りに演じてリアリティがある。”ぼく” だけが漫画ではない。大西利空、達者な子役である。

子供の目で見たシンプル化された現実は、どこか50年位前の社長シリーズや駅前シリーズ等、邦画全盛期の頃の底の浅いご都合主義の話に似てくる。そんな呑気だった頃の邦画へのオマージュの意味もあったのかもしれない。お婆ちゃんが残してくれたハワイのコーヒー農園なんて、昔フランキー堺東宝のサラリーマン物でやっていた様な話である。誰と誰が知り合いで、資金を出してくれることになった、なんていとも安直ご都合主義な解決、エッ? それで解決しちゃったの? である。

森田芳光は最後の作品「僕達特急 A列車で行こう」(拙ブログ2012.4.10) でそれをやり、残念な結果となった。この映画も同じ轍を踏んでしまった。

ただ、底の浅いキャラとご都合主義の話に郷愁を感じている人もいるのだろうから、これはあくまで私の個人的見解である。

こういう映画の音楽は作曲家泣かせである。始めからTubaがボッボッボッとコミカルな説明音楽を鳴らす。ワイプには漫画のエフェクトの様な効果音楽。コミカルと説明と御決まりの喜怒哀楽音楽。どれもそれらしくもっともで解り易い。それ以外にやりようがない。

音楽・きだしゅんすけ。「マイバックページ」(拙ブログ2011.6.01) でミトと並んでクレジットされていた人だ。

 

しかし山下敦弘、何でこの映画を撮ったのだろう。企画は山下発ではないようだ。せめて脚本の段階で山下らしさを練り込めば良かったものを。一度自分らしさから離れて他人の脚本に委ねた映画をやってみたかったのかも知れない。

世間から遊離している、女に簡単にホレて簡単にフラれる、ちょっと寅さんに似てなくもない。しかし寅さんには高度経済成長の中で取り残されて行く男のロマン絶滅危惧種としての悲哀があった。この映画にはそんな社会的背景のようなものは一切無い。いや意図的に排除している。それで面白い映画になれば良かったのだが…

てっきりRCサクセションの「ぼくの好きな先生」が主題歌かと思っていた。

 

監督 山下敦弘  音楽 きだしゅんすけ

2016.11.18 「溺れるナイフ」 Tジョイ大泉

2016.11.18「溺れるナイフ」Tジョイ大泉

                                                                                                            

原作はコミックらしい。漫画嫌い。未読。「ディストラクションベイビーズ」(拙ブログ2016.6.08) の二人なので見に行く。菅田、小松のファンらしき若者でマアマアの入り。

小松菜奈菅田将暉を美しく撮る映画、特に小松を徹底的に綺麗に撮った。十代の少女が持つ一瞬の輝きをきちんと定着させた。それだけでも価値はある。スタイルの良さを強調し、顔もベストなアングルと照明でここぞとばかりに美しく撮る。小松もそれに応えている。

菅田は疾風の如く走り去る美しさ。細身の体と小作りの顔、どこかさっぱりとして主役的押しの強さが無いのが良い。

話は十代の一途な恋、「ロミオとジュリエット」。東京で少女モデルをやっていた夏芽 (小松菜奈) が、父が実家の旅館を継ぐことになり、熊野 (?) 浮雲町に引っ越してくる。そこでコウ (神 ? 菅田将暉) と運命的な出会いをする。コウの家は代々 ”火まつり” の面や踊りを継承する神に仕える家系、特別な存在。東京でモデルをやっていた夏芽は田舎町ではこれも特別な存在。特別な者同志、一途な恋に突き進むことは運命付けられている。余計な説明は要らない。逢った瞬間、そう決まった。カナ(上白石萌音) や大友(重岡大毅) は密かにコウや夏芽に思いを寄せつつも、圧倒的運命的な二人の前に、素直にそれを祝福し応援する立場となる。

田舎町で突出した二人、さぞ陰口も叩かれるだろう、学校でイジメにも会うかも知れない。そういう社会的リアリティは一切省く。海岸で出会ったら、二人して直ぐに海に飛び込む。周りは関係ない。あるのは二人の思いだけだ。純粋な恋とはそういうもの、だから十代でないと出来ない。分別が付くと、打算計算見栄配慮気遣い等が介入してピュアではなくなる。

当然この恋は成就しない。もしくは”死” という形での成就。それは古今東西決まっている。

恋の障害を、自己中思い込みのストーカー男としたのは今風である。昔なら町の有力者の息子の横恋慕か、親の借金だったか。

結局この恋、定石通り成就しない。コウは浮雲町の守り神として町に残る。夏芽は東京に出て,行ける所まで行く道を選ぶ。次のステージだ。

最後に二人はバイクに乗って海沿いを走りながら、反対語や連想語の言葉遊びをやり続ける。もしかしてこれアドリブか。何と生き生きしていることか。一途だった前のステージは二度と戻らない。でもこんな出会いを持てたことの奇跡 !

このシーン、現実でもイリュージョンでも構わない。並走しての移動撮影、多分同録、時々道の凸凹で画面が上下するのがリアルだ。良いシーンである。

 

菅田、小松のファンは綺麗な二人を見られれば良い。原作を読んでいる人、その人たちには多分ストーリーは解る。ファンでもない原作を読んでもいない僕たちをこの映画は対象としていない。きっと脚本作りの段階で割り切ったのだろう。余分な説明は省く。だからどうしても話を追い切れないところがあった。もう少しだけ原作未読者にも解るようにしてほしかった。

それから ”火まつり” という神事をクライマックスに置いて、薄っすら神話性を匂わせるのだが、それが弱い。原作ではどう描かれていたのか。「火まつり」というとどうしても中上健次脚本、柳町光男監督の作品(1985)を思い出す。映画で神話性を表わすのは難しい。それを出来るのはストーリーより音楽だ。前半、海に立つ鳥居のシーン、海に飛び込む一連、に神話性を匂わせるような音楽が付いていれば。「カミハテ商店」(拙ブログ2012.2.01) は音楽が日本海エーゲ海に変えていた。ああいう音楽ということではないが。

この映画、神話性を匂わせつつ一途な十代の恋を描く、今の日本の青春映画であることは間違いない。だから音楽は青春映画の側面で付けている。Pfの長いソロ (曲としては良かった)、EGのロック等、シークエンスに合わせて付けている。青春映画の音楽としては妥当か。しかしこの映画が描こうとしている二人、それは都会のどこにでもいる恋人同志ではないはずだ。選ばれた、運命付けられた、さらには神話性を帯びた二人であるはずだ。超然とした存在であるはずだ。Pfの音色、EGの音色、これがどうにも気になる。どうしても普通の青春映画の音楽に聴こえてしまう。音楽はむしろ神話性と、選ばれた二人、という側面にのみ付けるべきだったのではないか。それ以外は要らない。青春は画面で解る。選ばれた二人、特別な二人、そこを音楽が支えた時、一途な恋に神話性が匂い立つ… 少なくともEGのロックは安っぽい。

設定は「君の名は。」(拙ブログ2016.10.29) に似てなくもない。神憑りは男女が逆だが、どちらもある日突然降りて来た運命的な恋、理屈を超えている。

クライマックスの ”火まつり”、踊りとレイプシーンの細かい編集がトランス状態へと持っていく。あそこを太鼓で通したのは良かった。もっと大きく、シーン変わりも無視して太鼓をクレッシェンドさせれば良かった。もっと大きく!

 

夏芽に思いを寄せながらコウのひかえを見事に演じた重岡大毅、知らなかったがジャニーズ事務所だそうな。ジャニーズ事務所のタレントがヒーローのひかえの二番手をやるようになったんだとヘンな感慨があった。重岡の「おら東京さ行ぐだ」のカラオケシーン、こんなにも深く夏芽を思いやる二番手を見事に見事に演じていた。いつも二番手三番手だった身としては胸が熱くなった。あのシーン、小松も簡単ではない良いリアクションをしていた。

上白石萌音、「舞子はレディ」(2014) で主役デビューするも、その後この子どんな方向へいくのかなぁと思っていた。「君の名は。」のヒロインの声で一気にブレイク、この映画でもカナ役をしっかりと演じている。カナはコウに思いを寄せているのだろうか。それとも夏芽に宝塚的愛を持っているのか。本当に二人を献身的に支えるのか、屈折した思いが毒となるのか。そんな複雑な役をちゃんと演じていた。自分の場所を見つけたのかも知れない。

 

青春バンザイ風のローリングの主題歌、良いのかどうか僕には解らない。

 

監督 山戸結希   音楽 坂本秀一  主題歌 ドレスコーズ

2016.11.07 「ベストセラー 編集者バーキンズに捧ぐ」 日比谷シャンテ

2016.11.07「ベストセラー 編集者バーキンズに捧ぐ」日比谷シャンテ

 

1929年、バーキンズの元にたらい回しにされた原稿が持ち込まれる。”モノにならない、だがユニークだ” というコメントが付いて。分厚い原稿、それをデスクで読み始める。帰りの列車の中、家に帰ると家族を避けてクローゼットの中、翌朝出社の車中。その日の午後 (あるいは数日後? ) 、押しの強い、大声の若者が訪れる。散々断られ続けた彼は、当然断られることを前提にまくし立てる。

”我が社で出版します”

それがバーキンズとトーマス・ウルフとの出会いだった。

 

原作はノンフィクション、バーキンズはそれまでにヘミングウェイやスコット・フィッツ・ジェラルド等を発掘している。バーキンズのノンフィクションだから、彼の生涯が描かれているはずだ。ヘミングウェイやS・F・ジェラルド発掘の話も当然描かれているはず。映画はその中のトーマス・ウルフとのエピソードに絞る。溢れ出る饒舌を削り、売れるものにする、その裏で、自分が編集の手を入れることにより才能を汚してしまっているのではないか、という思いを絶えず持ちながら。

ウルフとバーキンズに絞った脚本が良い。色調を極端に落とした、モノクロに近い画面が、出版が個人の才能と才能のぶつかり合いで成立していた時代を、格調高く映し出す。懐かしいのではない、威厳のあった時代。

コリン・ファースジュード・ロウが対照的なキャラクターを演じて火花を散らす。起伏の多いウルフより、いつも(室内でも)帽子を被り、絶えず原稿を読み、削りの赤を入れ、煙草を燻らせ、感情を表に出さないバーキンズの方が演じるのは難しかったはずだ。二人とも見事に演じている。

監督のマイケル・グランデージはこれが最初の長編映画とか。演劇出身でそちらでは大変な実績があるよう。でも演劇的匂いはどこにも感じない。むしろベテランの監督という風情すら感じる。

音楽はアダム・コークという人。ひじょうにオーソドックスでクラシカルな劇伴。かと思うと時代に合わせたジャズも上手く生かしている。アメリカがようやく独自の文化を発信した時代。音楽はジャズだった。導入はPfの単音にClaが静かに入る。良い映画音楽だったと記憶している。

情けないことに細部の記憶がおぼろげ。いつも映画を観終わると忘れないようにメモ書きする。ストーリーは反芻出来るが、音楽の細部はメモでもしないと忘れてしまう。歳のせいもある。記憶力劣化は甚だしい。この映画、メモ取る前に「永い言い訳」と「インフェルノ」を観てしまった。上書きされて音楽の記憶が消されてしまった。”良い音楽だった、この人、これから映画の仕事沢山来るのでは” それだけが引っ張り出せた。情けなや。

この監督とは舞台で長くコンビのよう。ミュージカルも書いている様だから、クラシック系ポピュラー系、どちらも行けそうだ。映画音楽でもきっと良い仕事をするはずだ。

 

監督 マイケル・グランデージ  音楽 アダム・コーク

2016.11.10 「永い言い訳」 TOHOシネマズ日本橋

2016.11.10「永い言い訳」TOHOシネマズ日本橋

 

妻がバス事故で突然死んだ。その時夫は若い女と情事の真っ最中だった。誰に言い訳をするのか。言い訳すへき妻は死んでいる。自分への言い訳? 自分自身が納得して受け入れること?

 

衣笠幸夫 (本木雅弘) 、流行作家、マスコミにも持てはやされている。記者に囲まれて当たり前のコメントをする。妻の不幸に見舞われた夫を普通に演じる。しかし涙は出ない。

夫婦の間は冷えていた。それでも心の整理はする必要がある。まして作家だ。何等かの形で作品化する、そうしなければ前に進めない。作家の業、イヤな職業だ。

同じ事故で死んだ妻の親友の夫・大宮 (竹原ピストル) はひたすら泣き悲しむ。中学受験を控えた真平 (藤田健心) と小学校に上がる前の妹・灯 (白鳥玉季) がいる。大宮はトラックの運転手、生活の為、仕事は休めない。母親の死は家事や妹の世話を真平にもたらす。母の死を悲しむより、自分の負担が一気に増えたことで押しつぶされそうになっている。受験も諦めるしかない。それを知った幸夫は衝動的に家事や子供の世話を買って出る。買物、食事の世話、保育園の送り迎え、全くの別世界。そのてんてこ舞いぶりを本木と子供たちが絶妙に演じる。狭い室内の手持ちカメラが効果的。子供、特に妹は自然、演じている感が全くない。

若い編集者の岸本 (池松壮亮) が、”子供を持ってくると全てが許される、逃避なんじゃないですか” (そんな意味のこと)と冷ややかに言う。時々出てきてクールなコメントを発する池松が良い。「セトウツミ」( 拙ブログ 2016.9.14.)といい本作といい、池松、さり気なくキラリと光る。

大宮は具体で生きている。今も必死でトラックの深夜便を運転して生活を支える。幸夫の助けは有難い。子供もなついている。

保育園の送り迎えを申し出る女性が現れたりして、前に進めないでいた大宮の方に日々が展開しだす。幸夫はそれに嫉妬する。

身近な人の死を、死そのものとして悲しむことが出来る人間なんていやしない。みんな自分の都合を加えて考える。真平は”お母さんじゃなくてお父さんだったらよかった” と思っている。それを父と喧嘩した時、口に出してしまう。真平の心は容量を越えてしまっていた。

喧嘩の数日後、大宮が事故を起こす。田舎の病院へ向かう幸夫と真平。

怪我は大事には至らなかった。病院を出てくる大宮,迎える真平と幸夫。父と子が駆け寄って、という感動のシーンにしても良いところ。カメラは真平を促した幸夫を写し続け、オフに真平と大宮のさり気ない会話を二言三言。この外し方は上手い。このさりげなさ、好きである。

大宮父子と幸夫は駅で別れる。駅のロングショット、そこに「オンブラ・マイ・フ」(作曲.ヘンデル、歌・手嶌葵) が流れる。この映画の唯一の癒しのシーン。

ようやく作品化出来た。その出版記念パーティー。大宮親子も居る。真平が、口下手の父に代わって挨拶する。映画的には大団円、こうしないと纏まらない。しかし大宮も真平も、自分たちがネタになった小説をどう思うだろう。素直に祝えるだろうか。第三者の父と子の物語を借りて、幸夫自身の気持ちは整理が付いたのだろうか。付くはずがない。ただ、この家族と関わる中で、自分のことだけを考えた生き方が少し変わった。妻は子供がほしかったのかもしれない、とも思った。人生は他人に寄って作られる。”人生は他者だ” 小説用のメモノートに書き込む。それは言い訳用のノートでもある。父っちゃん坊やが少し大人になった。

言い訳なんて一生続く。”生まれてきてゴメンなさい” の言い訳を考え続けるのが人生なのかも知れない、多分。

竹原ピストルの登場シーンはいつも怖い。台詞を喋り出すまでに ”間” がある。この偽善者! と殴りかかってくるのではないかと、いつも思う。でも少しして口を開く竹原の台詞は穏やかで優しい。この ”間” に幸夫への批判がギュウギュウ詰めになっている。

 

音楽、頭にレトロな感じのジャズギターのピッキング。そしてステファン・グラッペリ風のVlソロ、快調に入る。Vlは中西俊博、これだけはローリングで読み取れた。西川監督、「夢売る二人」(拙ブログ 2012.9.20) でもブルースギターでやっていた。こっち系好きなのかも。成る程、幸夫を滑稽に描くということか。幸夫の暗めな心象、そこにはPfの単音でゆっくりと間をおいて、ラ、ド、ミ、ラ、短調の分散和音。こういうムキだし、作曲家は多分しない。恐らく演奏家の脇で直接指示して弾かせたのではないか。あるいは自分で弾いたか。「そして父になる」(拙ブログ2013.10.11) の鉄塔のシーン、是枝監督と同じ様なやり方をしたのではないか。Pf単音なら作曲家を頼らず、その場で指示して自ら音楽を好きなように出来る。あくまで推測ではあるが。

中盤あたりからはPfソロで「バイエル」の曲 ( 多分、確信無し、昔弾いたような記憶が…) になる。その曲はGuでも奏される。エンドロールもこの曲だったからこれがテーマの様なものか。練習曲だから、感情のない幾何学的音楽、映像と距離を置く。

そして大宮と真平を見送る田舎の駅、ここで「オンブラ・マイ・フ」が感動的に流れる。

カラオケやらTVの音楽やら現実音処理の音楽はかなりあるが、劇伴としての音楽は少ない。各々のシーンを観る限り違和感無く、音楽は役割を果たしている。しかし全体として観た時、この映画で音楽はどんな役割を果たしたのだろう。「オンブラ・マイ・フ」だけは 許しの音楽として初めから決まっていたか。それ以外のところで音楽を付けた意味はどこまであるのか。無いより流れがスムーズになる、雰囲気が出る、それだけでも良いといえば良いのだが。

音楽のこの統一感の無さ。必ずしも統一感が必要という訳ではないが、音楽は映画全体のトーンを決めることが出来る。頭のレトロなギターとVlのジャズ、エンドもこの編成でスローに、真ん中に「オンブラマイフ」をハイライトとして、他は全て無しにするという考えだってある。

エンドロールの音楽関係クレジットを一所懸命見た。音楽プロデューサーというクレジットはあったが、音楽というクレジットは無かったのでは。確信無し。見落としているかもしれない。でも一人の作曲家がトータルで音楽を考えた、ということでないのは確かだ。ラドミもバイエルも作曲家は不要。「オンブラ・マイ・フ」は既成曲。頭のGuとVlの曲だけが音楽家の手になる。これももしかしたら既成曲か。

調べたら「揺れる」(音楽・カリフラワーズ) も「ディア・ドクター」(音楽・モアリズム)も「夢売る二人」(音楽・モアリズム)も、ブルースギターのナカムラという人のバンドで、作曲演奏共、ナカムラが担当している様。この人が西川監督とコンビだったのだ。本作でも頭のレトロジャズと中程の「バイエル」ギターバージョンはその人の演奏によるものと思われる。ローリングで演奏家の名がクレジッタされていたが、読み切れず未確認。作曲家というより演奏家としての参加。本作、実質的な音楽監督は西川美和だ。

映画音楽の方法に正解はない。最後は監督の主観に収斂するしかない。作曲家の見方が入り、監督の意図を遥かに超えた深さと広がりを持つことがある (稀だが)。その逆もある。ただ自分の内へ自己完結させていくと、映像と音楽が起こす奇跡の瞬間が訪れることはない。

 

僅かなシーンだが、浮気相手を演じた黒木華が、実に”らしかった”。深津絵里はいつも役その物になってしまう。灯が演じる以前の自然さで良かったのに対し、真平はしっかりと演じて見事だった。胸が一杯になるシーンはみんな真平絡みだった。

モックンは熱演、しかし綺麗過ぎる。あの端正な顔はどんなにむさ苦しくしようと変えようがない。ノーブルですらある。本当は少し汚らしさが漂う役者の方が滑稽さは出たかも知れない。そうしたら商業映画として成立しない。難しいところ。

 

原作・脚本・監督 西川美和     音楽のクレジット無し(未確認)