映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.01.16 三縄一郎さんの訃報

2018.01.16 三縄一郎さんの訃報

 

三縄さんが昨年12月16日に亡くなっていた。99歳。知らなかった。年賀状を出したら、ご遺族からその旨記した手紙が来た。葬儀は家族葬として行ったとのこと。それにしても新聞には載ったのだろうか。新聞をあまり読まなくなっているので、僕が見落としたか。

 

三縄一郎さんは映画の効果の第一人者、というより映画の効果の歴史そのものだった。音大声楽科出身。お姉さんが築地小劇場の女優だった関係で、戦中の築地小劇場に入り音響効果マンとしてスタート。その後東宝に移り、長きに渡り東宝の効果を担った。黒澤もゴジラもみんな三縄さんだ。現場でも随分ご一緒したし、CD「黒澤明 映画音楽」(上中下巻)を作った時はインタビューもさせて頂いた。その頃すでに80代半ばのはずだが、黒澤作品やゴジラのことを澱みなく話された。

「用心棒」の時、撮影所のサロン (食堂) で、“三縄君、人を斬るとどんな音がするもんかね、今度の作品にはそれを付けようと思うんだ”と黒澤監督が言ったのは有名な話である。三縄さんたちは鶏やら何やらを買ってきてそれを斬り刻むも音がしない。試行錯誤の末、鶏の中に割り箸を突っ込んで、それをグサッとやったらそれらしい音になった。もうこれは伝説の域である。

ゴジラの鳴き声、これも伝説。コントラパスの弦を松脂塗って皮の手袋で引っ張ったらそれらしい音がした。それを回転変えたり動物の鳴き声をミックスして作った。2014年、NHK-Eテレが伊福部先生の番組を作った時、三縄さんに東宝録音センター旧館に来て頂き、調整卓の前で話して頂いた。番組ではほんの少ししか使わなかったが、担当ディレクターは、NHKアーカイブに残します、と言っていた。ゴジラの鳴き声は、同じことを伊福部先生も言っていて私がやりましたと言う。僕は三縄さんの方に軍配を上げる。あるいは最初に擦る時に伊福部先生は立ち会ったかも知れない。関わったとしてもほんの少し、回転変えたりの電気的処理や他の鳴き声とのミックス三縄さんの手になる。そもそも最初のアイデアはどちらが出したのか。真実は遠く霞の彼方である。

2014年だから3年前。一人で砧の録音センターへ来られた。帰りは、車呼びますというスタッフを制して、大丈夫だよとバスに乗って帰られた。お会いしたのはその時が最後になった。

黒澤組の古い人に聞くと、あの黒澤も三縄さんにだけは怒鳴らなかったと言う。

映画の音響効果そのものだった。

                                       ( 2018. 01. 16 )

 

2018.01.07 貝山知弘さん、追悼

2018.01.07 貝山知弘さん、追悼

 

1月7日、貝山さんが亡くなった。84歳だった。

僕は貝山さんを勝手に僕の唯一の師匠だと思っている。

 

1976年、売れてるアーティストのいない東宝レコードの名ばかりの新米ディレクターだった僕は毎月の編成会議が苦痛だった。何か企画を出さなければならない。僕の映画音楽の原点である「裸の大将」(1958. 監督.堀川弘通 音楽.黛敏郎) の音楽テープを撮影所で見つけた僕はこれをレコードに出来ないかと考えた。見れば棚には黛さんの東宝でやった映画音楽のテープがズラリとある。これでアルバムを作ったら。でも売れるかなぁ。映画音楽といえば“太陽がいっぱい”であり“エデンの東”の時代である。邦画のサントラなんて見たこともない。ましてや一人の作曲家の映画音楽作品集。ただ、撮影所のテープを借り出して、それを編集するだけだから新録音より遥かに安く出来る。弱小レコード会社、制作費が安いというだけで企画が通ってしまうこともある。でも僕一人で勝手に作っちゃって良いものだろうか。貝山さんに相談した。

 

貝山さんとは前年の「日本映画名作撰」(ビデオが普及する10年前、邦画の名場面をレコードで聴くという企画、LP10枚組 販売.日本ディスクライブラリー) という通販企画でご一緒していた。

初対面の貝山さんはラフな格好で首からペンをぶら下げ、落ち着いた良い声をしていた。

「雨のアムステルダム」(1975. 監督.蔵原惟繕) を完成させたばかり、これから公開という時だった。東宝の社員プロデューサーで「狙撃」(1968. 監督.堀川弘通) や「赤頭巾ちゃん気をつけて」 (1970. 監督.森谷司郎) といった、ちょっと東宝らしからぬ作品を作る人だった。同時にオーディオ評論や音楽評論も手掛けていて、すでにフリーになっていたか、まだだったか。僕には輝いて見えた。

 

“それ面白いよ、直ぐ黛さんに会いに行こう”と貝山さんが言った。この言葉が無かったらLPレコード「日本の映画音楽」というシリーズは無かった。

僕なりにセレクトして纏めたカセットテープを持って、貝山さんと二人で、当時黛さんの事務所があった平河町の北野アームスへ向かった。会話はほとんど貝山さんと黛さん、僕はただ居るだけ。カセットを聴き終わって黛さんが突然僕に向って“ところでこれは東宝だけでやるの? 僕は松竹でも日活でも仕事しているから、そっちからも入れようよ”東宝作品だけで安直に考えていた僕の企画は一気に立派なものになってしまった。

帰り道、二人で、黛さんカッコイイね、やっぱりスターだね、と話した。ところで解説書はどうするの? こんな映画ですという説明を短く、それじゃつまらないよ、黛さんにインタビューしない? 僕がやるから。

黛さんが選んだ東宝以外の作品の音楽テープも揃えて、黛さん、貝山さん、エンジニア、僕とでスタジオに籠った。編集をしていきながら貝山さんが色々と話を聞きだしていく。確かこの時は録音などせず、貝山さんがメモ書きしていったのでは。

上がって来た原稿は400字で20枚あった。簡単に済まそうと考えていた僕には予想もしない展開となってしまった。でも内容は面白かった。読みでもあった。これ本に出来るかもとさえ思った。LPレコード紙ジャケの時代である。入れられる紙は二つ折り4Pが限度。ジャケット担当に相談したら、Q数落とせば何とか入る、でも字、小さいよ!

こうして“日本の映画音楽シリーズ”のパターンが出来た。2枚目からはインタビューは録音して僕が文字起こしをした。貝山さんが忙しかった時、やってみなさいよと言われ、僕が纏めたこともある。ここで急に話題が変わってしまうよ、整理し過ぎるとその人の語り口のニュアンスがなくなるよ、僕は貝山さんの下でインタビュー原稿のイロハを学んだ。「日本の映画音楽シリーズ」11枚を作った3年余はいつもゲラを持ち歩き、毎日貝山さんに連絡を取っていた。

 

全く別の仕事で或る俳優のアルバムを担当させられたことがあった。ポリシーを持つ人でこちらの会社の都合という論理を受け入れてくれない。かなり悩んだ。その話を貝山さんにすると、“それを楽しまなくちゃ、楽しめないようだったらプロデューサーなんて辞めた方がいいよ” この言葉は忘れられない。若造の腰は据わった。

 

サンタナはイイねぇとよく話した。

 

「初恋」(1975 監督.小谷承靖) ではスィングル・シンガーズの既成曲を劇伴として使っていた。6ミリ (磁気テープ) を自ら編集していた。

未知との遭遇」が公開された時、“やられた、もうあの企画はダメだ、二番煎じになっちゃう”と言っていた。異業種の著名なクリエイターと似たような企画を進めていたらしい。

貝山さんの映画は興行的にはどれも今一つだったが、必ずどこかにそれまでの東宝とは一味違う貝山さんらしさがあった。それが好きだった。

 

3年前、僕の仕事卒業パーティーでは挨拶をお願いした。少し背中が丸まっていたが黒ずくめで相変わらずダンディーだった。

いつもご馳走になりっぱなし、いつか僕がご馳走しようと思いつつ、その機会を永久に失ってしまった。

                                   ( 2018. 01. 15 )

2017.12.27 「勝手にふるえてろ」 シネリーブル池袋

2017.12.27 「勝手にふるえてろ」シネリーブル池袋

 

自意識過剰で妄想癖の恋愛初心者ヨシカを松岡茉優が熱演。憧れのイチには鼻も掛けられず、二の本気度に気付いてハッピーエンドとなる、あまりにもよくある話。イチとは高校の頃から憧れ続ける一番好きな人。二とは告ってくれた会社の同僚。バーチャルとリアル。妄想と自意識を総動員して当たり前の青春映画との差別化を図る。随所に、タモリ倶楽部のTシャツやらアンモナイトやら、おじさんでも解るギャグ小技が満載。これ、てっきり漫画が原作? 差にあらず、芥川賞作家綿矢りさでした。きっと過剰反応する自意識が事細かに書き連ねてあるのだろう。読んでないのに言うのも何だが好みではない、多分。それを如何に面白い映画にするか。それなりに頑張っている。普通の映画にしてなるか、という意気込みは感じられる。何より松岡茉優が熱演、キャラも合っている。しかし弾けているのは彼女だけ、映画自体が弾け切れてない。ポップじゃない。中島哲也が撮ったらなぁと思った。このネタ、やらないか。

下妻物語」には地方のダサさと都会のオシャレが難無く飛び越えられる面白さがあった。それをポップに映像化した。こちらは全てが主人公の中で自己完結する。それはそれで良いのだけれど、勝手な思い込みでストーカーをしたり殺人を犯すような時代だ。二が現れないヨシカだっている。例えばオカリナさん (片桐はいり) の隣に二が現れないブラック・ヨシカが住んでいたって良い。いつも節目がちだけどアンモナイトの話だけはヨシカと盛り上がると言うような。そして彼女がストーカー事件を起こしてしまう…

オカリナさんも釣りおじさん (古館寛治) も駅員さん (前野朋哉) も脇は中々、みんな彼女を応援する善意の人ばかり。かつてのハリウッドミュージカルだ。どこかにちょっとした毒があれば話に深味が出た?

映画が漫画チックなので音楽もタッチ音楽やら説明的。こういう映画こそ一つメロを決めて通すようにすれば。そのメロが歌になり、予算の無い中での一点豪華なミュージカルシーン。ミュージカル風、有るにはあるがチープ、歌も印象に残らない。

イチとアンモナイトの話で盛り上がる唯一のラブシーン。その後の、“君、名前何て言ったっけ” (不確か) 、この落差など音楽的演出は出来たはず。(もしかしたらあったのかも。私の記憶に残ってないだけか?)

会社休んで引き籠り、携帯が鳴って飛びつくなんて、同じような女の子には “ワカル!” という小技が沢山あるのだろう。しかし小技の “ワカル!” は映画を縮こませる。大枠があっての小技である。この種の映画、リアルである必要はない。もっと大袈裟で良い。

 

監督 大九明子   音楽 高野正樹

2017.10.10 「ダンケルク」 新宿ピカデリー

2017.10.10 「ダンケルク新宿ピカデリー

 

今頃「ダンケルク」、昨年秋の映画。二度見したかったのだが、その機会を逸した。直後のメモを頼りに記す。細部の記憶は曖昧。

 

映画は文学と美術と音楽と科学技術を総動員して作り出す表現である。そこから出来る限り文学性を取り除いたら…

ダンケルク」は台詞と物語を出来る限り排除する。「ダンケルク」というだけですでに歴史的事実は了解されている。その歴史的事実を改めて検証する、あるいは新たな視点から描く、という作り方だってある。この映画はそれらを全て排除する。ダンケルクというイギリスとは目と鼻の先にあるドーバー海峡沿いの街に追い詰められた若き兵士が生き延びようと必死でもがく姿だけを描く。

のっけから何の説明もなくひと気の無い街を若者が逃げ惑う。そこに銃弾が降り注ぐ。敵の姿は無い。何処からともなく降り注ぐ。海岸にたどり着くとそこには何万という兵士が海の向こうからの救出の船を待っている。荒涼とした砂浜に列を作る兵士達の灰色の大ロングが詩的でさえある。逃げ込める場所などないそこに、敵の爆撃機が機銃掃射してくる。面白いように兵士は倒れて行く。その中で生き延びようとする若者…

座礁した船がある。満ち潮になれば動くかも知れない。何人かがその船にたどり着く。船倉に身を隠して満ち潮を待つ。船が動いた時、機銃掃射が船倉に穴を開け海水が侵入してくる。甲板に出れば銃弾が待っている。

時々、兵士たちを守るべく敵の爆撃機と戦う空軍兵士のシークエンスが入る。機上からの見た目の空撮が、この海岸にいかに多くの兵士が追い詰められているかを一目で解らせてくれる。みんな生き延びたいと必死の若者たちだ。

台詞は極端に少ない。物語は “生き延びたい” だけだ。砂浜、船倉、機上、ランダムに繋げているが躓くことはない。エピソードごとの中心の役者はいるが、ほとんど僕には同じに見える。端正な顔立ちで人気者もいるらしい。個々の役名は不要だ。設定も不要だ。何とか “生き延びたい” ともがく若者がいる、それで充分だ。戦争のリアルってこういうことなのだ。

もがく若者にほとんど同化している自分に気づく。だから必死になって、疲れる。

塚本晋也の「野火」を思い出した。あそこにも戦争のリアルがあった。

台詞と物語をベースにそれを映像化して映画の世界を作る、それもあっていい。というかそれが通常で主流だ。一方で、映像と音で疑似体験空間を作るのも映画だ。但しこちらの極端な例はテーマパークのイヴェント映像だ。「ダンケルク」は劇場公開用劇映画にしっかりと留まる。

コマーシャリズムの映画である以上、最低限のドラマ設定はやむを得ない。それをケネス・ブラナーとマーク・ライアンスが担う。ケネス・ブラナーは全員救出など無理なことは端から解った上で、一人でも多くを救いたいと奮闘する英国の指揮官、マーク・ライアンスは同じ思いで小舟を出す漁師。“生き延びたい” 以外のドラマはこの二人の名優で充分だ。

音楽はハンス・ジマー。確か最後の方、一箇所だけ救出成功 (もちろん一部)  のところにメロディーが高らかに鳴る。それ以外メロらしいメロはない。全編ベタ付け。感情移入を誘発する様な音楽は細心の注意を払って排除する。そうしないとウソになる。状況を作り出すこと、映像の運びをスムーズにすること、に徹する。違う音楽の付け方があるとすれば、音楽を全く無しにすることくらいだ。ベタ付けは嫌いだが、この映画に関する限り上手くいっていると思う。ハンス・ジマー的音楽の付け方の、これと「ブレードランナー2049」は到達点の様な気がする。

本当はケネス・ブラナーもマーク・ライアンスも高らかに鳴るメロも無しにしたかったのかも知れない。“生き延びたい” だけの映画。でもそれは膨大な予算を掛けたコマーシャリズムの映画には無理な話。ギリギリのところでこの監督は劇場用映画を作り上げた。

僕はダンケルクの海岸に二時間居た。

 

監督 クリストファー・ノーラン   音楽 ハンス・ジマー

2017.12.23 「『羅生門』『用心棒』」上映会」 1/20に開催

2017.12.23 「映画音楽の名作を観る-黒澤明監督特集『羅生門』『用心棒』」上映会」、1/20に開催

 

練馬区文化振興協会主催で「映画音楽の名作を観る-黒澤明監督特集『羅生門』『用心棒』」上映会」が来年 (2018) 1月20日 (土) に開催されます。2作品の上映の合間のミニトークにお声が掛かりました。私如きでよろしければということで、お引き受けしました。邦画の映画音楽に焦点を充てた珍しい企画、こんな上映会をするなんて私としては嬉しい限りです。『羅生門』の音楽は早坂文雄、『用心棒』は佐藤勝、師弟の関係です。共に黒澤映画を支え、また黒澤の要求に苦しみ戦った二人です。

映画監督がどうしても御することが出来ないのが音楽家と言われています。監督が自分の意向通りに作曲させる、音楽家から引き出す、これは至難の技です。まずは”言葉”で意向を伝えますが”言葉”の意味は人それぞれに微妙に異なる。音楽という抽象を伝えるのに”言葉”は非力です。そこでクラシックやら具体的な音楽を”こんな感じ”とコミュニケーションツールとする。この具体は音楽家を悩ませることになります。音楽をめぐるコミュニケーションは両者を疲れ果てさせます。それでも音楽が思い通りに行かない世界の巨匠たちは、年齢による思考の硬直化もあるのでしょう。晩年は伝えようとする努力をしなくなり、既成のクラシックの選曲でやるようになっていく。ようやく思い通りになった。でも監督の演出意図を超える音楽の掛け算効果はない。確実な予定調和の足し算効果止まりです。黒澤の最後の2本「八月の狂詩曲」「まあだだよ」はクラシックの選曲でした。

そうなる前の黒澤の必死で音楽家とコミュニケーションを取ろうとしていた頃の代表作がこの2本です。

黒澤と音楽家たちの戦いについては既に多数の書籍が出ています。当日、私に与えられた時間は20分位、深い話は出来ないし、私は研究者ではないのでその能力もない。佐藤 (勝) 先生から聞いた話などをランダムに話してみようと思います。

 

日時   2018. 1. 20 (土)  開場 12時30分

場所   練馬文化センター小ホール 西武池袋線練馬駅徒歩1分

全席指定 1000円

チケット 練馬文化センターチケット予約専用電話 03-3948-9000 (10時~17時)

         ネット予約販売 http://www.neribun.or.jp/

         練馬文化センター大泉学園ゆめりあホール窓口(10時~20時)

2017.12.05 佐藤勝、18回目の命日

2017.12.05 佐藤勝、18回目の命日

 

あっと言う間の一年である。12月5日、南大塚の西信寺にお参りに行ってきた。黄色く色付いた巨大な銀杏の木が初冬の抜ける様な青空に映えていた。境内は落ち葉で埋め尽くされている。ここは佐藤先生と千恵子さん (奥様) が最初に所帯を持った所である。境内の一角にあった家を借りたとのこと、今の御住職がまだ子供で先生たちは随分可愛がったそうである。葬儀の時はその方が務めて下さった。

先生の奥様の千恵子さんはシャンソン歌手である。CDも出している。でも先生は奥様の為に曲は書いていない(はずだ)。コンサートにもあまり顔を出していなかった。ちょっと距離を置いていた様である。僕は何回か小さなお店でのライブに行ったことがある。そこで千恵子さんは必ずPfバックに「一本のえんぴつ」を唄った。これは絶品だった。

「一本のえんぴつ」は1974年に行われた第一回広島平和音楽祭に美空ひばりが出演することになり、急遽、松山善三 (作詞) と先生とで一晩で作ったという、知る人ぞ知る名曲である。色んな人がカバーしている。美空ひばりも良いが千恵子さんのそれは圧倒的だ。完全に自分のものにしていて、千恵子さんの為に書いたようである。

七回忌の時、「佐藤勝 ソングブック」(東宝ミュージック ネットショップ発売) というCDを作った。先生は歌も沢山書いていて、「若者たち」(作詞.藤田敏雄、歌.ブロードサイド・フォー) や「恋文」(作詞.吉田旺、歌.由紀さおり) や「昭和ブルース」(作詞.山上路夫、歌,ブルーベル・シンガーズ) というヒット曲もある。それらの音源を集めてソングライター佐藤勝のアルバムとして纏めた。

先生と千恵子さんの歌を一曲づつ入れることにした。先生は歌も上手で、発足間もないトリオレコードから自作自演のアルバムも出している。シンガーソングライターである。その中の「馬車馬のように」(作詞.伊藤アキラ)を収録した。

千恵子さんの一曲は新録することにした。もちろん「一本のえんぴつ」である。実はこれをやりたかった。Pf 掛け合いスタイルも良いが、弦を入れたオケをバックにするとさぞ良いものになるのでは… 編曲は上野耕路に頼んだ。出だしはPfとの掛け合い、途中から厚い弦がそっと入る。先にオケを録って歌は後からDB。掛け合いスタイルに慣れてしまっている千恵子さんは歌入れの時、唄い難い唄い難いと文句ばっか言っていた。生の掛け合いに慣れてしまっているとガチッとリズムが出来たオケで唄うのは随分勝手が違ったかも知れない。でもコツを掴むとさすがに歌い込んでいる曲、今時のピッチ合わせなんて不要だった。

さり気なく静かに静かに“戦争はいやだ”と歌う。軽くスウィングする様に唄う。ジワッと沁みてくる反戦歌である。

2番に“一枚のザラ紙があれば私は子供が欲しいと書く”という歌詞がある。先生たちに子供は居なかった。欲しかったらしい。千恵子さんがそう唄う。数多ある「一本のえんぴつ」の中で千恵子さんのこの録音は今だにベストだと思っている。

自分勝手で我儘な愛すべき人だった。先生が亡くなった後、千恵子さんは“佐藤っていい人だったわよね”と繰り返し言うようになった。その7年後、千恵子さんも亡くなった。

2017.11.29 「Ryuichi Sakamoto:CODA」 角川シネマ有楽町

2017.11.29「Ryuichi Sakamoto:CODA」角川シネマ有楽町

 

坂本龍一、65歳。9.11があり、3.11があり、自身が癌になり、かつてYMOで世界を席巻し、大島渚と「戦場のメリークリスマス」(1983) で出会い、ベルトリッチの「ラストエンペラー」(1987)「シェリタリング・スカイ」(1990) を担当し、癌の闘病中もイニャリトウの「レヴェナント」(2015) を好きな監督ゆえに受けてしまう。それぞれのエピソードが総花的に並ぶ。映画のシーンも幾つか挿入される。権利処理はさぞ大変だったことだろう。

初めから意図を持って作るドキュメンタリーも良いし、作る過程でテーマが浮かび上がってくるでも良い。最初に想定したテーマが製作の過程で別のものになることだってドキュメンタリーにはある。今までとは違う人物像が浮かび上がる、でも良い。

今更ながら、著名な人であり、様々な活動も知れ渡っている。それがただ並ぶ。残念ながらそこから立ち昇るものが無い。映像による「坂本龍一・入門」、それを劇場公開のドキュメンタリー映画として見せられてしまった。期待し過ぎたこちらがいけなかった。

 

映画が思ったより彼にとって大きなものであることは意外だった。脚本や監督やプロデューサーという他者の意向の下で100%自由な創作が出来ないことの不自由さ、逆にその面白さ、そこからの新しい自分の発見、それは映画音楽をやる作曲家の醍醐味であり、そのコラボがダメな人は映画音楽に向いていない。これは能力ではなく向き不向きの問題だ。坂本はそれが楽しめる方の人らしい。

「戦メリ」で出演依頼があった時思わず、音楽もやらせて下さい、と言ってしまったこと、「ラストエンペラー」で明日戴冠式の撮影をやるから音楽を作ってくれと突然プロデューサーのジェレミー・トーマスに言われて徹夜で作曲したこと、「シェリタリング・スカイ」の音楽録音現場でJ・トーマスからダメ出しが出て、モリコーネはその場で書き直してくれたと言われ、ミュージシャンを待たせてその場で書き直したこと、どれもエピソードとして一つ一つ面白い。海の向こうもこちらと変わらないんだとちょっと安心したりする。映画の人はいつも突然で強引だとは全く同感。その片棒を担いできた者としてはスイマセンと謝りつつも安心したりする。それぞれ面白いエピソードがブツ切りで並ぶ。僕としてはその辺をもっと突っ込んでほしかった。でもそうすると一般性は無くなるか。

 

同世代である。癌を患った。この人、宇宙の果てに思いを馳せている人だなあと感じた。若い頃のツッパリが抜け、飄々穏やか、この姿は素敵だ。音楽とは何か、という源流に遡っている。自然が発する音への関心が語られる。北極にまで、音を釣りに行く。決してこれまでの構築された音楽を否定するわけではない。でもそれが作り上げられた以前、音楽の源、音の原型に関心が向いている。そこを掘り下げるドキュメンタリーにするのは難しかったか。虚構の手を借りる必要が出てくるかもしれない。そうすると別物になってしまうか。自身のアルバムでそれを表現しようとしているのかも知れない。

ドキュメンタリーとしては羅列を超え切れず、底が浅い。でも今の坂本龍一は実にイイ感じになっていることは伝わる。

劇伴に相当するものはない。演奏シーン同録の坂本の音楽が多数。

 

監督.スティーブン・ノムラ・シブル  音楽.坂本龍一