映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.5.10「ブルーバレンタイン」シャンテ  

2011.5.10「ブルーバレンタイン」シャンテ  

 

これは結婚に至る熱い日々と、それから5年後の危機を迎えた日々を、見事なカットバックで繋いだ、夫婦の誕生と崩壊の物語。

女には家庭というものへのトラウマがあり、男は温かい家庭というものを知らない。女はどちらかといえばインテリで経済力があり、男は日雇いの運送屋で育児を受け持つ。娘は父に懐いているが本当は自分の子ではない。かつて男は、ひたすら“君と僕が居れば何にもいらない”と唄い、別の男の子供を身ごもっていることも承知で女の受け入れようとし、女はその優しさに負け、結婚となった。しかし結婚生活は現実である。男はこの家庭以外には何にもいらないと考え、相変わらず日雇いのまんま、日常は変わらないで良いと思っている。女は正看護婦として社会にコミットしており、経済的にも支えている。その5年の月日の結果としてのブルーバレンタインである。何だかんだと言っても抱いてしまえばこっちのものという男、でも一度拒否反応が出ると触られるのもイヤという女。セックスは何の力にもならない。

共に過ごした月日に意味があるという心境になるには5年は短いし、二人は若過ぎた。決断したのは女。追いすがる子供を振りほどいて男は出て行く。ラストカット、男の後姿の向こうに花火、“戻ってきて!”という声が被るのかと思った。がそれはなかった。確かに一時の思いで叫んでも、日々が変わらないことは目に見えている。重くてたまらない幕切れ。

何の事件が起きることもなく、誰も死なず、夫婦の誕生から崩壊までを、飽きさせることなく見事に描いた脚本と演出が素晴らしい。そして特段美男美女ではない二人の役者に拍手である。

初めの方、目まぐるしいカットバックに過去と現在の見分けが付かなくなった。おまけに娘の実の父親である恋敵の男の背格好が主人公と似ていて混乱。音楽で過去と現在を色分けする悠長さなどする暇のない直裁な編集。その内、男の頭のハゲ具合で分かるようになった。このハゲの演出はアイデアである。かつらと見分けられたのはワンカットだけ。

男を不治の病にしてしまうと「毎日かあさん」になってしまう。「毎日かあさん」のワーキングクラス版。でも病に逃げることもなく、しっかりと夫婦を見つめ続けたのは立派である。

音楽は既成曲をふんだんに散りばめる。現実音かそれに近い使い方で、特に役割を持ったものではない。劇伴は「ちょうちょちょうちょ」に似たメロのAGの曲とか僅か。矢継ぎ早の現実描写に、音楽が劇的効果を発揮する余地も必要もない。現実音としての既成曲、運び役としての僅かな劇伴、これもひとつの映画音楽である。

中にひとつ、男がウクレレ片手に歌う安っぽいラブソング、これが劇的効果を上げて秀逸、これだけが映画音楽として役割を担った。

監督.デレク・シアンフランス 音楽.グリズリー・ベア