映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.5.30 「プリンセストヨトミ」有楽座

2011.5.30 「プリンセストヨトミ」有楽座  

 

万城目学原作の映画化。テレビスポットはちょっとそそる。

豊臣の子孫のプリンセスを何百年にも渡り大阪の人々(男たち)が守り続けているという話。その組織はOJO 。明治維新の時、正式に維新政府より承認されていたとのこと。今だにこのOJOに年5億だかの補助金が出ている。それに気付いた会計検査院堤真一、村田将生、綾瀬はるか、の三人がこの組織と対決する。

 ド頭、グロッケンがいかにも意味有り気なフレーズを繰り返す。ミステリーの導入の定番。でもこれで一気に物語世界へ引き込まれる。次に会計検査院の日常。また大阪。この辺の音楽及び画面のつなぎが良い。導入は良く出来ている。見せ方、撮り方も上手い。

音楽は、先のグロッケン、弦の白玉、打楽器、とサスペンスものの定番が並ぶがきっちりとやっていて、外さない。佐橋さん、職人技。

綾瀬の天然系コメディエンヌぶりが絶妙なアクセントになっていて良い。綾瀬がいることによりメリハリがついて、飽きさせずに引き込んでいく。

しかし半ば、お好み焼き屋のオヤジこと大阪国総理大臣の中井貴一が真実を明かしだすあたりから、話の無理が気になりだす。小さい頃から女になりたかったという少年も気持ち悪い。

彼等が守ってきたものとは、父と息子の絆、となると、ええっ? である。確かに、死を意識した父親が息子と長い廊下を歩きながら真実を伝える、という代々受け継がれている儀式は父権喪失の時代には思い起こさなければならないものかもしれない。しかし、守り続けてきたものの核がそれ? である。

「草原の輝き」(監督・エリア・カザン、毎度例えが古くてすいません) で父親と息子は、話さなくちゃいけないことを結局話さないままで終る関係、という台詞があった。バド(ウォーレン・ヴィーティー) の父親が飛び降り自殺するところに被っていた。

大阪が日本国に対し宣戦布告をするものと思っていた。そうしてしまうと話の収め方が難しくなるのは解るけれど。話がどうにも腑に落ちないのである。

大阪国の男とは息子をもつ40代、その男たちが、トヨトミのプリンセスを守る。だが、密かに生き延びたのは徳松、男である。細かい辻褄合わせの台詞があり、それを聞き漏らしているのかもしれないが。

音楽は後半で映画と共にトーンダウン。エンドロールはケルティックウーマン。曲は佐橋で英語詞。中途半端である。ケルティックウーマン使う以上、ケルトのトラディショナルの合いそうなもの撰んで使ってしまえば良かったのに。

そうか、これダビンチコードの大阪版なんだ。国会議事堂の絨毯の柄もそんな感じだった。

だとしたら、もっと腑に落ちる話にしてほしかった。

監督 鈴木雅之 音楽 佐橋俊彦