映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.6.7 「クロエ」 シャンテ  

2011.6.7 「クロエ」 シャンテ  

 

ひとつ間違えると安っぽい昼メロになるところをそれなりにゴージャスなセミエロティックサスペンスに纏めたのはハリウッドの力か。

何不自由ない中年のジュリアン・ムーアが夫の浮気を疑い、娼婦に誘惑を依頼、夫を試す。娼婦クロエ (アマンダ・セイフライド) は夫が誘いに乗ったことを事細かに報告し、ジュリアン・ムーアは自らクロエの罠に嵌っていく。挙句にムーアとクロエはレズの関係にもなる。そのプロセスはゴージャスにしっかり撮っており、それは楽しめる。すべてがバレて、クロエは大きな一枚ガラスと共に堕ちて、死ぬ。サスペンスホラーにガラスは付き物。

だけれど何でクロエはそんな嘘を付いてまでムーアに付きまとったのか。レズで愛してしまったからか。すべてに恵まれたムーアへの嫉妬か。何かクロエにトラウマがあったのか。冒頭のクロエのモノローグを私は見落としているかも。それともクロエは老いを意識したムーアのコンプレックスの投影だったのか。どれとも決定的には取れないまま映画は終る。

髪の串がアイテムとして何度も出てきて、最後も元に戻ったムーアの髪にさしてあった。これは何を意味するのか。私が何処か見落としたのか。

エピソードや小道具に明確な意味を求めない、つまり曖昧でも良い映画と、それらに明確な意味を持たせて構成する映画とがある。サスペンスホラーものは後者。だとするとこの髪の串は何なのか。

音楽はオーケストラの分厚いサウンド。ゴージャス感を出したかった、チープにしたくなかったということか。が、暑苦しさを感じた。もっと薄くシャレた音楽をつければ良いのに、というところが随所にあった。その辺の感覚、真っ当だが古臭い。プロデューサーがアイヴァン・ライトマン、「抱きたいカンケイ」の監督 (多分) 。あの音楽のセンスと通ずるところありである。フランス映画ならあんな音楽の付け方はしなかっただろう。

それにしてもジュリアン・ムーア、「キッズオールライト」といいこれといい、中年になっても良い脱ぎっぷりである。美人だし体系だってそんなに崩れていないのだが、腕から背中にかけてのソバカスは、外人女は中年になるとああなるのか、という見本。

クロエとのレズシーンは中々。レースカーテン越しの設定だったので、ソバカスが分からず中々エロティック。

監督 アトム・エゴヤン  音楽マイケル・ダナ