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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.10.21「エンディングノート」新宿ピカデリー 

2011.10.21「エンディングノート」新宿ピカデリー 

 

自分の父親の死をづっと録り続けたドキュメント。

是枝監督のアシスタントをやっていた女性が監督で、なるほどテレビマンユニオンの伝統がこんな形で受け継がれているか…

何かというとビデオを回す習慣があった家族ゆえ、元気な頃の映像もあり、物語として纏められたのだろう。上場会社の取締役までやった人なので、まあ中流の上という家庭環境。しっかりした父親で今わの際まで自分の葬式に呼ぶ人のリストをチェックする。凄い父親である。

それを次女が撮影する。そして編集し、元気な頃の映像、家族の歴史などをスチールで構成し、第三者が見ても分かる、エンタテイメントに仕上げている。

ナレーションは監督であり撮影者である次女自身が、父親として語る。これにはちょっと違和感あり。女声で父親当人をやるのはちょっと無理な気もする。いっそのこと、猫とか犬とか、そうすればもっと客観的かつエンタメになったろう。やり過ぎか。

でも、それでなくてもここまでやるのか、という感あり。

音楽もギターソロで簡単なフレーズを繰り返したり、Flのソロが入ったりのアマチュアレベル。その素人っぽさが悪く無くて、てっきり身内か友達の誰かがやっているのかと思ったら、ローリングに「ハナレグミ」のクレジット、ビクターの協力クレジットも。そして主題歌まであって確か大貫妙子

ドキュメンタリーにも演出はある。そういう意味ではドラマと変わらない。映像自体は作られたものではなく現実の実写、でもそれを演出意図のもとに組み立て、音楽を入れて、一つの表現とする、ドラマもドキュメンタリーもある思いを伝えるという点で変わりはない。

かって1970年代、私が学生だった頃、脱ドラマと盛んに言われた頃、TBSの「お荷物小荷物」(中山千夏が出てた)はその代表作。ドラマだけれどバックステージを見せて、これは作り物であることを示した上で展開する。役者も役と素が淡いとなる。確かこの演出は村木良彦か今野勉だったのでは。テレビマンユニオンの製作。テレビマンユニオンは後にドキュメンタリードラマというジャンルで歴史物のドラマとドキュメントの境を壊した作品を作った。是枝氏はそのテレビマンユニオンでドキュメンタリーを作っていた人。だから是枝作品にはいつもドキュメンタリー的手法が入っている。なまじの演出より、現実を切り取ってそれをある演出の下に編集していくという手はリアリティを出せる。それは素材次第。でも…、ここまでやるのか。ここまで作ってしまうのか。

それは「監督失格」で感じた違和感と同じである。ただ「監督失格」の場合は手法以前にあの男のあんな映画を作る女々しさが私には耐えられず拒否反応が出た。

エンディングノート」にそれはないのだが、感じる違和感はおそらく同じである。

ドキュメンタリータッチのドラマ(例えば「アルジェの戦い」古いか)と、ドラマのように加工したドキュメンタリー、ようは一番的確に伝えたいことを伝える手法を選べば良いわけで、へんな線引きは無用な訳だけど。

人はどんな映像も編集して面白くしたくなるものだし、音楽とか入れて一般映画のようにしたくなるというのは、とっても解ります。やり始めると身内云々の素材の問題より、少しでも面白くしたいという気持ちが勝ってしまう、というのはエンタメの製作に関るものはみんなそうです。でも…、である。

この違和感、中々整理がつかない。

監督 砂田麻美  音楽 ハナレグミ