映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.2.15「灼熱の魂」シャンテ   

2012.2.15「灼熱の魂」シャンテ   

 

見ている間中、ほとんど息が出来なかった。

中東のどこか、 キリスト教徒とイスラムの憎悪の応酬の中で信じられない一生を送った女、その女ナワルが残した遺書に従い二人の子供が母の過去を遡る。一通の遺書には「父を捜せ」、もう一通には「兄を捜せ」と書かれていた。それは二人の誕生の秘密を探り出す物語である。

「サラの鍵」とWっていた。てっきりナチの話と思っていた。しかし時代がどうも違う。1970年あたりの話。謎解きサスペンスの展開だが、その話があまりに過酷なので、謎が解ける爽快感は全くない。謎が解けるたびにどんどん重くなっていく。

若き日、主人公ナワルは異教徒の若者と恋に落ち子供を身籠る。若者は殺され、生まれた男の子は引き離されて孤児院に預けられる。必ず迎えに来ると誓うも宗教対立と政治が入り乱れての内戦、混乱の年月。時が経ち、ナワルは反対勢力に捕えられる。そこに現れたのが自白と洗脳のスペシャリスト、成長した我が子。敵の手で立派な戦士となっていた。拷問には当然性的手段も含まれる。ナワルは気が付く。息子は気が付かない。ナワルは双子を産む。父と兄は同一だったのだ。

日本に生まれて良かった。日本の戦後に生まれて良かった。観ながらづっとそれが鳴り響いていた。墓石に刻まれたナムルの生年月日 1949~2009 私と同い年の物語なのだ。昔の話ではないのだ。これが一番衝撃だった。

よくこんな話を考えた。いや、こんな話を考え付く歴史と体験を彼らは持っている。その前では何も言えない。それをきちんと映画にする凄さに驚嘆と尊敬を抱かずにいられない。

知らないまま父を殺し母と交わってしまうオイディプスの話を下敷きにしていることには気づいた。国も特定していない。過酷過ぎる現実の向こうに不特定性と微かな神話性を匂わせていることが、この映画に普遍性と辛うじて息が出来る隙間を作っている。

レバノンからカナダへ移住したワジディ・ムアワッドという人の戯曲の映画化とのこと。これが戯曲とは。監督はカナダの人、ドゥニ・ヴィルヌーヴ。音楽はグレゴワール・エッツェル。初めて聞く名前ばかり。

音楽は既成のロックが僅かな要所に上手く使われている。オリジナルの音楽は必要最小限のサスペンスを盛り上げる運びとしてのもの。エモーショナルなものは一切ない。複雑な構成だが、効果音が上手く付いていて解るように出来ている。音楽の手なんか借りてない。

「憎しみの連鎖を断ち切る」凄い話である。

監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ  音楽 グレゴワール・エッツェル

 

今や現実はこれをも越える…