映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.2.27「キツツキと雨」角川シネマ有楽町

2012.2.27「キツツキと雨」角川シネマ有楽町 

 

何かとっても嬉しい映画だった。

ひ弱な、ヨーイスタート!も小声でしか言えない新米監督が木こり(林業)の男と出会い、しっかりと大声で、ヨーイスタート!と言えるようになるまでの話。殺人も病気も大した事件もない淡々とした話だけれどジワッとした味を醸し出す。雨が降り止んだだけで思わず涙ぐんでしまったのに我ながら驚いた。

オープニング、脇枝切りの為にロープで木に登っていくと、奥に拡がる山間の小さな集落、その何とも言えない佇まいに、マリンバのゆったりした音楽が流れて、それだけでこの映画を好きになった。マリンバは良い。あの音色自体が“今”を批判する。

木こりに役所広司、新米監督に小栗旬、二人とも見事にハマッている。映画の現場を多少は知っている、同じような監督を沢山見ている私としては、その通りといちいち膝を打つ。初めはみんなそうだった。中にはまれに初めから威張って大声出す、初めから監督の奴、も居るが、大多数はこんなプロセスを経て一人前の監督になっていく。有名役者の山崎努に恐る恐るダメだしする時、私だったらどうする?と自問自答していた。私はリテイクを言えず、ハイオーケーと言ってしまった口か。(ちなみに私は監督なんかではない、一般論としての話) 山崎に握手されて思わず泣き出す小栗、次の作品では間違いなく山崎をまた使うだろう。少しずつスタッフの信頼を獲得して、新米やるじゃない!が積み重なって力と成っていく。力とは信頼の総和である。これはどこの世界も同じこと。それを身近な、まさに映画作りの現場に収斂させた目の付け所が良い。映画の現場はそんな人間の力関係が短期間一つ目的に集約されている。

変わるキッカケは木こりとの出会い。これは偶然。雨が上がったのも偶然。偶然は誰にも平等にある。それをプラスに掴めるかどうかである。全く当たり前のどこにでもある話を一本の映画として作り上げた力、見事である。

村の真ん中をS字型に通る一本の道、ゾンビ撮影の大ロングなど、所々に大きな絵を入れて、ちゃんと映画にしている。風呂の横一など構図も確か。

音楽はマリンバを中心に小編成。バイブ、リコーダー、アコなど素朴な編成で、付けている所は少ない。でも効果的。ひとつメロがしっかり通してあればもっと良かった。ローリングの歌 (星野源) も違和感なし。音楽、どういうユニットなんだろう。

石井裕也の強引な作為で創り出す喜劇も良いが、こういう自然体でゆるいユーモア、捨て難い。

キツツキとは木こりのことか。キツツキも雨も偶然。

監督脚本.沖田修一 音楽.omu-tone