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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.6.20「愛と誠」有楽町角川シネマ

2012.6.20「愛と誠」有楽町角川シネマ

  

色んな映画があって良い。色んな見方があってよい。いつ頃から私の見方はもっとも一般的当たり前な見方、つまりハリウッド的 (言葉の壁を超えて世界中誰が見ても面白いと思う) になってしまったのか。若い頃ならこの映画きっと面白がれただろうに。

疾走する三池崇史が勢いのままに作り飛ばした怪作。

原作は梶原一騎の漫画。私が20代だった頃。不幸な生い立ちの強い男と絵に描いたようなお嬢様の恋物語。このステレオタイプを極端なまでに増幅したストーリーで人気があった。核は人情男気。

その極端を三池はさらに増幅させて映像にする。シーンごとに黄色系だったり赤系だったりに着色し、ガレキとゴミを撒き散らしてライト煌々。そして突然唄いだす。その歌は我が青春の70年前後の歌謡曲。”命掛けてと誓った恋は~”(「あの素晴らしい愛をもう一度」)だったり”また逢う日まで”(「また逢う日まで」)だったり”狼少年ケン”(TVアニメ)だったり。選曲センスはほとんど私と同じ。だけれど一青窈市村正親夫婦が突然デュエットで歌いだしたのには、やはり驚いた。インド映画も真っ青である。歌はどれもしっかり2コーラス。

取ってつけたような極端な演出はあって良い。「スラムドックミリオネア」だってそんなもの。三池はもちろん確信犯である。しかし、しかしである。それはどこまで熟慮されてのものなのか。あまりに嘘っぽい話なら歌でも唄わせてもっと徹底的に嘘っぽくしてやれ、ということなのか。嘘っぽさにリアリティを持たせる表現をどこまで考えたのか。

勢いのある人は下手に考えるよりも勢いで突っ走ってしまう方が結果として良いことがある。今の三池にはその勢いがある。しかしである。企画したプロデューサーたちはこういう映画を作ろうと始めから考えていたのか。初めから万人受けは狙わない、こういう映画で良い、と肝を据えていたなら外の者何をか謂わんやである。プロデューサー諸氏はどうだったのか。三池に監督させたいが為、三池に引っ張られてしまった? のではないのか。

音楽は小林武史。劇伴はほとんど無く、既成歌謡曲のアレンジといくつかのオリジナル歌物。アレンジは良い。打ち込みだけでなく、ブラスも弦も入っていてお金かけてちゃんとしている。だけど小林武史である必要は全く無かった。歌も綺麗に録音されている。レコード並の録音である。リバーブもバッチリ。これが違和感あり。台詞のトーンから急に歌になると少し声が細くなって綺麗にリバーブがかかっている。これが不自然でどうしようもなかった。歌が終ると元の台詞のトーンに戻る。

伊原剛史の17歳の悪は面白かった。「狼少年ケン」も秀逸。そこだけ見ればであるが。

ガムコの安藤サクラ、 園子恩の「愛のむきだし」に出ていた。彼女の「また逢う日まで」も秀逸。余貴美子がひとりリアルを演じて締める。

ローリングの「かりゆし58」の歌、悪くない。

監督 三池崇史  音楽 小林武史