映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.12.21「カミハテ商店」ユーロスペース 

2012.12.21「カミハテ商店ユーロスペース 

 

若い新人監督らしい。高橋伴明がプロデューサー。関根恵子主演。

「上終」でカミハテと読む、本当にある山陰の寒村、自殺の名所。そこでコッペパンと牛乳を売るおばあさん。自殺する前に誰もそこでコッペパンと牛乳を買う。最期の人とのふれあいの店。関根、寡黙でひたすら暗い。映画自体台詞が少ない。というより、その地自体に人間の発する音が少ないのだろう。でも自然の音には溢れている。海の音、風の音、雨の音、深々と降る雪の音。足音やら人が自然と接する時に発する音が粒立つ。それをうまく掬って、音の演出が上手い。カット変わりにそんな音を効果的に配す。

音楽、谷川賢作。のっけから明快に入る音楽に驚いた。擦る弦の音、Synのパンフルート系のかすれるたどたどしい笛、タブラの様なパーカッション、そしてバグパイプのような通奏低音民族音楽的、東洋的、でもケルトっぽくも聴こえる。それらが短い動機を繰り返す。山陰の漁村は一気に神話的世界となる。音楽はほとんどこの一曲だけ。それを要所要所に上手くはめている。

関根がおばあさんにしては綺麗で、というより立派で、台詞がどっしりと重くて、その見た目声の立派さにちょっと違和感を覚える。要はこのおばあさん、死を覚悟した人を見送る、巫女さんのような人。母に言われたのか、自殺した人の靴を祭っている。もっとよれよれのおばあさんで、恐山の巫女さんみたいな方がリアリティあったのでは、などと見ていたが、それでは映画は成立しない。私の方が、山陰の漁村というリアリズムに捉えられていた。映画はもっと自由で良い。最後の関根の立派でふくよかな笑顔は、エーゲ海に立つ、ギリシャの巫女さんのようだった。これで良い。納得である。

谷川賢作の音楽が無かったら、山陰の漁村から飛躍出来なかった。あの音楽で、神話的世界を獲得して普遍性が出た。

武満徹のように、ゴーン、ヒューっとやる手もある。Pfでポロンポロンとやる手もある。弦カルで厳しくやる手だってある。しかしどれよりこの谷川賢作の選んだ音楽には及ばなかっただろう。「はなれ瞽女おりん」で雪の中を行く瞽女のロングショットに武満音楽が流れた途端に、背後に宇宙が拡がった、私の武満体験、それに匹敵するかどうかは解らないが、音楽がドラマの感情を増幅するというものではなく、音楽が映像世界の背後にさらなる普遍の世界を立ち上がらせるという、久々に音楽のそんな力を感じた。

話も良い。演出も上手い。映像が語っている。でも音楽が無かったら、山陰の話で終っていた。

監督 山本起也  音楽 谷川賢作