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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2013.3.4「脳男」スカラ座

2013.3.4「脳男」スカラ座

 

頭で宗教曲のコラール。「悪の経典」(監督.三池崇史)の方は『マックザナイフ』。片やSP、片やLPだが、ともに回転するレコードのアップ。入り方は同じである。しかし、善悪の規範を持つ宗教曲と、意味のない人殺しの切り裂きジャックの歌、この差が二つの映画の根本的違いを象徴している。人を殺すということにおいては共通。「経典」はそこから完璧に意味を剥奪したという点において今日的。「脳男」は、最期に愛を、感情の存在を信じることにおいて古典的、というかこれまでのドラマツルギーを踏襲して腑に落ちる。むしろ残虐シーンは「経典」より多いにしても、ホッとして見られるのは「脳」の方である。

どちらも人を殺すこれまでの理由を一つずつ潰していく。

貧困? どちらも資産家の子供で莫大な遺産を相続している。

知的理由? どちらも超頭良い、その能力は常人ではない。海外に留学して高度な教育を受けている。

肉体的コンプレックス? どちらも容姿に恵まれ、その身体能力は飛びぬけている。

さてその上で人を殺す理由は?

これまでのあらゆる殺人は、この内のどれか又はその複合で分析出来た。それらがみんな満たされていて理由にならない、この二本の映画の理由は、「感情の欠落」である。「経典」は最後までそれで通す。「脳」は感情は残っているという終り方をする。前者はだからゲーム的であり、漫画的でさえある。若者はこの映画を笑いながら見るそうな。後者はよりグロであるにも関らず、脳男に感情移入が出来、最後は可哀想でさえある。似たようで全く真逆の映画、人間感情として、やはり「脳」が普通に納得出来、また安心する。こういう収め方をしないと人間は単に肉の塊となってしまう。現実にはそういう人間も居るのかもしれない。しかし「人間は感情を持つ動物である」というのは人間が社会生活を営む上で前提として置く信仰のようなものなのかもしれない。それを壊すと人間社会は成立しない。それを敢えてやった「経典」は、だからよりゲームっぽく漫画っぽく今日的なのだろう。「脳」はそこをちゃんと踏みとどまった。それ故リアルなドラマが成立した。

音楽はグランドファンクの制作。作曲家の名前が何人か並んでいた。メロ無しのエフェクト風、でも良く合っている。後半のポイントで弦が感情を盛り上げる。全部終ってキングクリムゾンのエフェクトで歪ませたボーカル。ローリングの既成曲でこんなに見事に内容とマッチしたケースを見たことない。見事な選曲。脳男の内面のように、キンクリのボーカルが何時までも耳に残った。音楽制作、大変だったろうなぁ。

瞬きしない無感情の脳男を生田斗真が熱演。眼球だけの演技は見事。この監督は上手い。三池も上手いがこの人オーソドックス。色調抑えた画面は最近の邦画では出色。松雪泰子も良かった。クライマックスの地下駐車場、叫ぶ松雪の胸の谷間が始めて見えた。それまでは全く見えなかったのに。ジジイは一瞬そっちに目を奪われた。ジジイのみかなぁ。せめてここも谷間を見えないようにしてくれたら、などと。

二階堂ふみも益々妖怪ぶりを発揮。終り方の山が三つに分散してしまっているのは整理した方が良かった。気持ち悪い映画ではあるが、腑に落ちる納得感はあって、爽やかとはいわないが、スーっとはする。

感情の芽生えた、美しい殺人ロボット・フランケンシュタインよ、どこへ行く。

そうか、フランケンシュタインと必殺とターミネーターだ。

監督 瀧本智行  音楽 今堀恒雄、ガブリエル・ロベルト、suble 

主題歌 キング・クリムゾン「21世紀のスキッツォイド・マン」