映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2013.6.5「リアル~完全な首長竜の日~」有楽座

2013.6.5「リアル~完全な首長竜の日~」有楽座  

 

先週土曜公開、入ってないと聞いた。成る程入ってない。

ド頭,トイPf、曲終わり絶妙な間で台詞、効果。完璧。綾瀬はるか佐藤健、二人のマンションの一室。色調が抑えられていて、この空間が単純にリアルな現実でないことが解る。センシングという方法で昏睡状態の綾瀬の意識に入っていく佐藤。現実と、進入した意識の中の現実が交互に展開し混在する。意識の中は色調を落とし、現実は普通の色調と、初めは気にして見ていたが、それも見分けが着かなくなり、治療を行っているリアルなはずの病院もどこか非現実っぽく、医師の中谷美紀もどこか怖い、何かやりそう。

女(綾瀬)は漫画家で少し前に自殺未遂を起こしている。男(佐藤)はその理由が知りたくて意識に潜入する。少しずつ謎が解けるような解けないような。導入から前半は、演出、美術、撮影共に非現実・バーチャルを描いて見事。どうしようもなく即物的な映像という表現手段で、非現実を描くことが、いかに難しいか。知恵とお金と手間が必要なのだ。それを見事にやってのけている監督は誰?尻のローリングでようやく知った。黒沢清だったのだ、さすがである。

私は成り行きで映画を観る。監督名で選ぶことはあまりない。私のマニア度はこんな程度である。

ところが中盤、実は昏睡状態だったのは男で、こっちが漫画家、川に落ちたのが事故か自殺か、自殺だとしたら何故?それを知りたくて、そして何とか昏睡状態から目覚めさせようとして、女の方が男の意識に侵入していたという大どんでん返しが起きる。それから後の話の展開は無残である。

二人は離島出身、女は地主の娘、男はリゾート開発でやって来た開発業者の息子、幼い二人に恋心が芽生えるも、少女に思いを寄せるもう一人の少年がいた。その少年が目の前で溺れ死に男は何も出来なかった。それが男のトラウマとなり、少年の象徴としての首長竜が行く手を阻む、このトラウマを解決しない限り男は前に進めない、首長竜との対決。  

今、島はリゾート開発失敗で残骸の島と化している。

何だ、この陳腐な展開は。せめて、二人の意識が混在して、二人とも昏睡状態になったまま、意識の中で添い遂げる。それを、中谷美紀が微かな脳波に気づきながら、強引に “ご臨終です” と宣言してカットアウト、位の終わり方にしてほしかった。

映画は、昏睡状態の男の瞼がピクッと動く!つまりトラウマ解決して、希望!で終わる。途端にミスチルのいつもとは違った声を潰した激しいロック。

ミスチル入る前に少しだけ冒頭と同じトイPf、これは良いアイデア。音楽はシンセに生も効果的で良かったと思う。知らない作曲家である。トイPfのアイデアだけでも合格。

明るくなってチラホラいた女の子から笑いが出た。何?これ? である。

原作は首長竜の化石が出ること、島での幼少期と淡い思い出、そこでの不慮の事故、不慮の中に潜在的に自分の殺意が含まれていたのではというトラウマ、リゾート廃墟と化した島、漫画家としての成功と行き詰まり、これらの要素が巧みに配置されてきっと面白いのだろう。しかしこの映画、男のトラウマ?、少年の怨念?の象徴として首長竜を登場させてただただ圧倒的違和感を作り出してしまった。黒沢清とは思えない。プロデューサー連中がメジャー映画かくあるべしと寄ってたかって鋳型にはめ込んだか。

監督・黒沢清、音楽・羽岡佳