読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2013.11.13「清洲会議」日劇マリオン

2013.11.13「清洲会議日劇マリオン

 

信長亡き後の織田家の行く末を話し合った歴史的事実を、よくぞ集めたというオールスターキャストで喜劇仕立てにした、三谷幸喜の原作・脚本・監督そして宣伝マン作品。入りは上々のよう。しかしやはり映画ではない。映像で語っていない。台詞劇。

エンタテイメントに徹しているのは良い。だから見ている間は楽しい。後に何の感動も残らない。それはそれで良い。だけど表現方法が違うのではないか。舞台でやる方がはるかにおもしろくなるだろう。それは前回の「金縛り」も同様。障子開けると庭を挟んで秀吉側と柴田側。丁々発止のやりとり。これは舞台の右左に並列させてやった方がテンポも出てはるかに面白くなったはず。

信長の次男三男それぞれ個性的で、でもこの出し方も舞台でやった方が面白く出来る。そして役所広司・権六。今、日本映画は役所が居なかったら成立しなかった企画が山のようにある。それくらい重要な素晴らしい役者である。今回もあの肉体を通すことによって成立したという点多々あり。しかししかし、役所はどんな役をやってもどこかに知性が滲み出る。今回、権六は正直で人が良くて純情だけど知性は無い!という面白さ。役所が居たから映画になるも、それゆえ喜劇に成りきれなかった。西田敏行だったら、舞台で大泉とアドリブ入れつつ丁々発止やったら、面白い喜劇になっただろうに。みながらどうしても舞台に置き換えてしまうのだ。

音楽・荻野清子、今や三谷のお抱え作曲家。映像の補強増幅役を担って、しかも大編成で暑苦しい。特に長いアバンに押し付けがましく付けた音楽、これは荻野のせいではない、おそらく。作曲としても細かく木管やらを書いてかえって鬱陶しく邪魔。書き過ぎ。もっとシンプルで良かったのに。編成も小さいところは小さくて良かったのに。エンドロールの音楽だけは良かった。しかし何で中途半端な終り方をするのか。音楽無くなった後、効果音のみの演出あるも、さり気なさを狙ってかオフレベルなのが良く分からず。よく聞こえない。これでは意味なし。最後の効果音演出は「そして父になる」の見事さと比べようもなし。

監督 三谷幸喜  音楽 荻野清子