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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2014.7.22「春を背負って」スバル座 

2014.7.22「春を背負って」スバル座 

 

木村大作、言わずと知れた日本を代表する名カメラマンである。「八甲田山」「南極物語」「駅」「鉄道員」作品歴は上げたら切りがない。その人が何年か前に自ら監督して「剱岳-点の記」を作った。ドラマ部分は板付きが多く、お世辞にも上手い演出とは言えなかったが、実話に基づく新田次郎の原作と、役者を連れて剱岳に登り大変な撮影をした映像の力、木村個人のキャラクターによる宣伝効果もあって、映画は大ヒットした。監督は最初で最後と言っていた。止めておけば良かった。一度監督をやると止められなくなるとよく言われる。木村は二本目を作ってしまった。

原作はある。しかし脚本は浅い。東京のIT企業で成功しつつもそんな自分に疑問を抱き始めた主人公が父親の山小屋を継ぐという話である。父に世話になった人々がそれを支える。浅くてステレオタイプ。それを映像の力で乗り越えられるか。浅いものは浅かった。

音楽、池辺晉一郎。タイトルから入った音楽は当然物語に入ってのファーストカット、雪を踏みしめる足のアップの前でFOするはずが、絞るタイミングを失ったかのようにズルズルと物語の中に流れ込んで、父親との子供の頃の回想に深く食い込んでいく。そして中途半端にFO。鶴の山越えに取って付けたようにシーン頭ジャストからまた音楽。現在となって、今働く東京のシーンにまた音楽、音楽を付けるということの意味を全く考えずただ絵面にひっぱられて付けていく。絵だけで見せていれば、それなりにまだ感情の深みは出ただろうに、音楽を付けることによって画面をペラッペラにしている。音楽を付けると感情を盛り上げるという効用がある反面、合わないと感情移入を浅くするという好例。私だったら葬式まで音楽は全部取る。一度そうやって見てみればそっちの方が遥かに良いことが解るはずだ。

音楽自体が良くないし、その付け方はさらにダメだ。池辺先生の責任もあるが、これは木村監督に負うところ大だと思う。

俺はバロックが好きなんだ! そう言われて見せられた実景のパイロットフイルム、確かに実景にはバロックは合う。だってそれ「唄う天気予報」でしょ。バロックは数学的無機的音楽、感情的表現ではない実景には邪魔をせずに合う。池辺先生にもバロックと言ったに違いない。先生は考えて映画に合う様なバロックを書いた。その分所謂バロックのシンプルさは無くなった。単純な旋律押しのものではなくなった。大作さんがいうバロックとはメロが単純に立ってるというだけの意味なのだ。

濃密なドラマが展開している所に、ドラマのエモーションとは全く無関係に距離を置いたバロックが流れる時、凄い効果が現出することがある。コントラプンクト。例えば殺人のシーンに感情の高まりと衝撃を表す様な音楽を付けるよりもバロック音楽がカットインする方が遥かに効果的だったりする。大作さんの映画がこれに当てはまるか。ドラマの感情をより増幅させる為に、つまり盛り上げる為に音楽が必要なのが木村映画だ。ドラマと距離を置いた音楽なんかではないのだ。ストレートに、この(底の浅い)ドラマを盛り上げる為に音楽を付けてくれと言えば良かった。しかし間違いなくバロックと言った(と思う)。だから池辺先生は一所懸命考えてああいう音楽を書いた。それを距離を置く付け方ではなく、感情を盛り上げるように付けていった。

しかし音楽がそういう性格のものでない時それは邪魔以外の何者でもない。感情移入を浅いものにし逆効果となる。そういう意味でこれはダメな音楽付けの良いサンプルとなった。

唯一、遭難エピソードのとっても当り前なサスペンス音楽、さすがにここにはバロックとは言わなかったのだろう、それだけが良かった。

人が行けない様な所まで行って撮ってくる凄い映像、でもそれだけで劇映画は出来ない。それだけで成立させたいならばNHK「名曲アルバム」を作れば良い。撮影・木村大作NHK名曲アルバム」、良いものが出来ることは受け合いである。

役者で唯一、ワンパターンとは言われながら、蒼井優が出てくるとそこだけ安心出来た。彼女の肉体を通すと生硬な台詞も解凍されて人間の言葉に聴こえる。大した役者である。

役者のみなさん、お疲れ様。そして池辺先生、お疲れ様。

監督 木村大作  音楽 池辺晋一郎