映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.3. 「アメリカンスナイパー」 日劇マリオン 

2015.3. 「アメリカンスナイパー」 日劇マリオン 

 

アメリカに生まれてなくて良かった。アメリカはカウボーイの国、肉体の国なのだ。ヒーローはカッコよくて強くなければならない。ヒーローが肉体によって成り立つのはどこの国も同じかもしれないが。

彼がスナイパーとなるまでが重要である。アメリカンドリームではなく、アメリカンヒーロー伝説そのもの。ロデオなどを転戦するカウボーイなのだ。その彼が9.11をTVで観て、この国を何とかしなくちゃと海兵隊へ。この単純さ、これがアメリカだ。

彼は屈指のスナイパーとなる。戦友が死んで彼の愛国心はさらに高まる。イーストウッドは敢えて殺される側の論理を描かない。一方的にこっち側、だから全く正しいし疑う余地もないし高揚もする。この映画の秀逸な予告で、あわや子供を?というところは実はちゃんと本篇では直前で回避されている。しかし彼は撃つべき時は子供でも撃つのだ。こっち側だけで完結している者としては当然正しい。

何よりゾッとするのは平穏な生活から戦場へはあっという間、十数時間で移動できるということだ。確かにアメリカから中東へは空間的には可能である。しかし気持ちの方はどうなのか。気持ちは付いていけるのか。イーストウッドはこの移動を余計な描写は一切省き、テロップ1枚で済ます。

地獄の黙示録」を思い出す。「タクシードライバー」を思い出す。「ディアハンター」を思い出す。しかしあの頃と今とでは戦場と家族との距離は時間的空間的に様変わりしてしまった。技術は時間空間をそれまであった自然的時間空間とは全く違う不自然でいびつでグチャグチャしたものに変えてしまった。主人公は銃撃戦の最中携帯でアメリカの家族と話をし続ける。それから数秒後には敵を射殺するのだ。人間の気持ちはそれにどこまで耐えられるものか。心は少しずつ砂漠化していく。

イーストウッドの演出はパーフェクト、全く澱みがない。ひとつとして躓くカットも編集もない。音付も上手い。音楽は最小限、ほとんどが劇中に流れる既成曲。劇伴にあたるものは前半のサスペンス強調の効果音的いくつか位。おそらくこれはイーストウッド自らPfを弾いているのではないか。そしてクライマックスの盛大な葬儀で良く耳にするTpソロの葬送曲が流れる。モリコーネの「続・荒野の一ドル銀貨」の中の曲だそうな。この曲はアメリカと関係があったのか、それとも全く曲調として合うという理由か。映画の演出として見事な選曲である。オバマも列席したニュースフィルムが巧みに挿入される。

アメリカの為に戦い、自らの心を病み、同じように心を病んだ者に殺されたアメリカンヒーロー、アメリカの英雄、共和党万歳、全米ライフル銃協会万歳!

その後に長い黒味、ローリングクレジット、音楽は流れない。長い沈黙。これまでこっち側からだけで描いた映画の世界に投げかけられた疑問符、アメリカよ、どう思う? これで良いのか?

ボールは我々観客に投げられている。

敵であるイスラムのスナイパー、元オリムピック選手という設定も上手いし、少しだけの描写も良い。

監督 クリント・イーストウッド  音楽のクレジットは無かったのでは?