映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.8.10「進撃の巨人 前編 ATACK ON TITAN」新宿TOHOシネマズ 

2015.8.10「進撃の巨人 前編 ATACK ON TITAN」新宿TOHOシネマズ 

 

映画「進撃の巨人」を観た。漫画もアニメも見ていない。「進撃」初体験である。

冒頭簡単なアニメで、人を喰う巨人が居て人類は滅亡の危機に瀕し、ヨーロッパ中世の要塞都市の様に巨人除けの巨大な壁をめぐらし、今はその中で社会を作り生き延びていると、説明あり。巨人が何かの説明はない。

次に話の中心となる若者3人が壁の外れで、いつかこの壁を越えたい、壁の向こうには何があるのか、人喰い巨人なんて本当にいるのか、と語り合う。初々しく素朴な若者の抱く疑問と夢、物語の始まりである。ここのシーン、若者ただ突っ立って学芸会のよう。

そこに早くも巨人が出てきてしまう。最初だけ壁を越え天空を覆い尽くすような巨大な巨人。雲や雷や風といった自然現象と一体化したもののようで象徴的。しかしそれは直ぐに消え、その後にビルの瓦礫の間から現れたのは醜い裸体の巨人たち。象徴性は微塵もない。肉は弛み、口は裂け、眼と眼の間は開き、水頭症の様だったり。これが性器のみを隠した(巨人は生殖能力がなく、従って乳首や子宮やペニスは無いと、後で説明される)姿で巨大ゾンビよろしく出てくる。鎌倉中世の飢餓草紙や地獄絵に出てくる餓鬼に弛んだ肉を加えたよう。差別され忌避されるキャラの巨大な大集合である。これらが人間を鷲掴みにしてムシャムシャと喰う。以後は若者3人の成長や恋愛模様、仲間との葛藤などあるものの、メインはひたすら巨人との血しぶき体液飛び散る戦いである。

巨人とは何かの象徴であるはずだ。壁にも意味がある。長谷川博巳が、本当の敵は内側に居る、みたいな思わせぶりを言う。”家畜になるな! ”なんて反抗的な言葉も繰り返し出てくる。しかし前篇ではその謎解きは一切無い。最後まで見るも気持ちは宙ブラリンのまんま。後編でその謎解きがあるのか、ないのか。後編絶対見る!となれば製作側はしてやったり。

しかしそう思う者何人いるか。引っ張る為の物語が薄すぎる。ただ単に、グロ、差別、稚拙、莫大なお金掛けて大変な労力使って一体この映画の意味は?

冒頭の説明アニメの後の壁内の人間の営み・市場の描写、昔「ノートルダムのせむし男」(誰のだったか)に出て来た中世パリの、腐りかけた食物と血と汗と体液と汚物にまみれた強烈な匂いを思い出した。あのオープンセットのシーンは良い。但し「ノートルダム」にはもっと引いた画があった。

要は中世城塞都市。音楽もあの頃のトラッドの匂いと予想していた通り、冒頭から町中、若者たちの会話のバックには、私の好きな「ペンタングル」(80年代のブリティッシュフォーク) のような香りの劇伴が付いていた。しかし若者たちのちょっとセンチメンタルな感情移入のシーンになると、何で直ぐにPfソロになるのか。ウェットの押し付け。この映画の何カ所かに付いているPfソロは全部取るべし。そうすると持たないか。

大半を占める戦いの音楽、やたらコーラスが入ってベタ。持たせる為の音楽、寂しいから付ける音楽、そうやって使われる音楽は哀しい。

ローリングに「SEKAI NO OWARI」のラップ。何これ? 一段落してから劇伴に戻る。これは何なのだろう。

効果音が活躍出来るネタなのにそれも見当たらない。”ダースベーダ―の息”よろしく巨人のすすり泣きでも、薄く拡がる嘲笑でも、グチャグチャという舌なめずり音だったり、音によるアイコンが作れたのに。

桜庭ななみのお腹がグーッと鳴ってもギャグにならない。長谷川博巳がカッコイイ儲け役。石原さとみはTVで時々弾けていたけどこれで決定的に一皮剥けた。アラレちゃん、一番の儲け役。

監督 樋口真嗣  音楽 鷺巣詩郎  主題歌 SEKAI NO OWARI「ANTI-HERO」