2015.8.31「東京裁判」(1983) ユーロスペース
スクリーンで観てなかった。ようやく観た。ユーロスペースでこの日のみ特別上映。2回回し。12時半の回に行く。私以上の高齢者で満杯。ギリギリで入れた。
昨日、「それでも日本人は戦争を選んだ」を読了。本を読まない私の今年初めての本。タイミングが良かった。この映画、確か講談社何十周年かの記念事業。米ペンタゴンの記録フイルムを講談社が買い、膨大なそれを3年掛けて小林正樹監督が纏めた。それにしてもアメリカは何ときちんと映像として残していることか。さすが映画の国。
クレジットに武満の音楽。本編ファーストカットはナチの象徴の鷲の像が崩れ落ちるところから始まる。そしてポツダムに集まる連合国側の指導者、そして日本である。日本を中心に現代史を要領よく的確に追う。そして裁判。裁判を時系列で追いつつ、所々にニュースフィルムを挟み込んで、個々の被告の罪状を上げながら日中戦争から太平洋戦争までを辿る。「それでも日本人は~」の最終章をそのまま記録映像で見せてくれる。
戦争を裁判で裁くことは出来ないというアメリカの弁護人や全員を無罪としたインドのパール判事、知識として知ってはいたが生の映像で見せられると驚きと感動すら覚える。そして当時の日本のリーダー達が、リーダーとしての責任を負う覚悟をみんな持っていたことに感動する。徳田球一の”天皇の財産を解放して云々”のコメントの安っぽさに驚く。当時の左翼はあんなにもポピュリストだったのか。
オーストラリア出身の裁判長は明らかに天皇の責任を明確にしたかった。天皇は思ったより遥かに政治に関わっている。しかし戦後の日本統治を考慮した政治判断からマッカーサーは天皇を残す道を選ぶ。その辺は裁判団内部にも考え方の違いがあり、裁く側も一枚岩ではない。理性的判断はいつも政治的有効性の前に屈服する。悪役東條も自分のところで止めるという役割を解っている人だったのだ。
4時間37分、途中休憩を挟んで飽きさせることなく一気に見せる。小林正樹の手腕、佐藤慶のナレーションもさぞ大変だったろう。
アバコスタジオ3Fのサロン、脇のテーブルに小林監督と武満、安武プロデューサーも居たか。
小林監督 ”武満君、音楽はもう少し多くならないかね”
武満 “大丈夫です、充分に持ちます”
大分前に宇野さん(武満マネージャー)から“「東京裁判」のサントラやらない?”と連絡、私は“やります”と即答。完パケの音をもらって、それをLPレコード(まだCDではなかった)に纏める、発売はキングレコード。それがその時の私の仕事で、監督や武満との打ち合わせには残念ながら一切立ち会っていない。
また宇野さんから連絡あり、音楽10分位しかないみたい。それじゃLP作れない。それで慌てて音楽録りの日、アバコスタジオへ赴いての上記の会話。武満、全くブレず。今日観て解った。武満が正しい。
音楽はトップのクレジット、原爆関連のニュースフィルム、南京虐殺のニュースフィルム、エンドだけである。
正確には
1. トップクレジット
2.ニューメキシコでのアメリカの原爆実験成功
3.原爆投下、広島・長崎
4.ビキニ環礁の原爆実験
5.南京大虐殺
6.アウシュビッツ
7.裁判終了後の世界情勢 全9分弱 (小学館「武満徹全集第4巻」参照)
裁判の実写に付けると、音楽の種類如何に関わらず、今の録音のクリアな音が映像を嘘っぽくしてしまう。フィクションにしてしまう。感情的演出など以ての外。だから裁判の実写に武満は付けなかった。ニュース映像にはたいてい当時の音楽 (ほぼクラシックの選曲) と当時のナレーションが被っており、ナレーションを生かす為にもリアリティという点でも原音を生かした方が良い。当然BGMとしてクラシックも生きる。
裁判映像や歴史証言としてのニュースフィルム、それらと明らかに異なる ( と武満が考えた) もの、そこにのみ音楽を付けた。それは歴史を超えて明らかに人類に反するもの、そこにのみいわば神の視点から音楽を付けた。これがこの映画に対する作曲家の出来る唯一の演出であり、メッセージだった。おそらく原爆や南京虐殺の映像にはナレーションも音楽も付いていたはずだが、原音は外して武満が自分の音楽だけで演出した。改めて武満の凄さに打ちのめされる。
LPレコードは10フィート運動の製作した「予言」(監督.羽仁進 音楽.武満徹)をカップリングして何とか1枚にした。
「野火」の石川忠と武満の音楽は似ていなくもない。どちらも響きと面の音楽。石川はそれをスティールドラムで即興的にやり、武満は弦で緻密に響きを作った。どちらの音楽にも背後に広大に拡がる宇宙がある。闇がある。
製作年 1983年 277分 監督. 小林正樹 音楽. 武満徹