2016.1.6 「情熱のピアニズム」 DVD
2016.1.6「情熱のピアニズム」DVD
保谷北口から数分の住宅街に、こんなところにこんな店が! と驚くようなジャズのお店がある。「Hōya-Bunca」、JBLのスピーカーでアナログレコードをかける。LPレコードはどの位あるのか。週に一ぺん、そこで空気を通した音を聴く。
そこのマスターに、これ知ってますか、と見せられたのが、数年前 (2012.10.13イメージフォーラム) 公開したドキュメンタリー映画「情熱のピアニズム」の劇場パンフレット。私は映画の存在も、ミシェル・ペトルシアーニというジャズピアニストの存在も、知らなかった。映画は公開当時はそれなりの話題になったらしい。ぺトルシアーニはジャズ好きには知られる存在だったらしい。
1964年に生まれ、1999年36歳で亡くなっている。生まれた時、全身の骨が折れていたという。遺伝による病気である。長生きはしないとみんなが思うも何とか成長し、でも身長1メートル、自分では歩けない。父親が音楽好きという環境もあり、子供の時からピアノの才を示す。子供だが大人と対等にプレイし、18歳でアメリカに渡り、名だたるミュージシャンとセッションし、レコードを残し、3回結婚する。そして子供を一人残し、死ぬ。
映画は、親、兄弟、かかりつけの医者、ミュージシャン仲間、音楽関係者、妻たち等のインタビューと、よく有ったと思う演奏や日常の映像、スティールで、生涯を追う。
明るくて、賑やかで、スケベで、ラテンのノリ、思いつくと直ぐ行動する、生き急いでいたのだ。
頭と手だけは大きかった、と言うか普通だった。その頭に黒いソフト帽を被り、サングラスをして、鍵盤を叩く指は機関銃のように早かった。タッチは痛いくらい強かった。演奏途中で骨折することもあった。
短期間で英語をマスターし、アメリカに渡り、彼に取ってヒーローだった、ジム・ホールやウェイン・ショーターやハービー・ハンコックやチック・コリアやリー・コニッツ等と同じ舞台に立つ。それを語る彼の嬉しくて興奮するインタビューが眩しい。
普通より老いの時計は早い。年に200ステージ近くをこなし、ローマ法王の前でも演奏した。肉体的ハンデを愚痴るようなシーンは一つもない。それよりも生きる方が先。刺激になるようなことは何でもやった。インタビューで女たちから非難の言葉は一つも出てこない。
タッチは強く痛く、でも信じられない程早く指は動き、しかも滑らか、右手で叩き出す高音のメロと左手のリズム、その絡み合いは何かに導かれているようだった。右手が連打する高音の同一音は叫んでいるようでもあり悲鳴のようにも聞こえた。骨折しても弾き続けた。
監督は「イルポスティーノ」を撮ったマイケル・ラドフォード。時系列で淡々とした構成、作為は挟まない。インタビューと演奏が程よい。子供を産むかどうか迷う、生まれた男の子も同じだった、ここもさらりと流す。ただ大人になったこの子へのインタビューはやはり辛い。父は身長1メートルだったけど僕は1メートル26だ…
時々神様は過酷な天才をこの世に遣わす。天才はその過酷を難無く乗り越えて生まれた喜びを満喫し、表現を残して去っていく。
昨日TSUTAYAでようやく見つけて今日観た。全く偶然だが、1月6日はミシェル・ペトルシアーニの亡くなった日だ。
監督 マイケル・ラドフォード 映画の為のオリジナルの音楽はない