映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.1.15 「ブリッジ オブ スパイ」 Tジョイ大泉

2016.1.15「ブリッジ オブ スパイ」Tジョイ大泉

 

導入が圧巻である。

自画像を描く痩せた初老の男、NYブルックリン大橋の袂の汚いアパート、街のノイズが効いている。地下鉄、物静かなこの男を慌しく追うFBI、イースト川での写生、ベンチの下に貼り付けられたコイン、部屋に戻るとカミソリの刃でコインを割いて中から小さく折り畳まれた紙片を出す。そこに踏み込むFBI、男は動ぜず、さりげなく絵の具を拭き取る布に紛れ込ませて紙片を処理する。音楽は一切ない。どこかの第二次大戦時の外交官を描いた映画は鼻からサスペンスを煽る音楽だったなあ。

最初に入る音楽は保険ビジネスの交渉をするラウンジにBGMとして流れるジャジーなPfの既成曲、現実音である。そこにいるのが大柄で顔はぶくぶく、顎の弛んだドノバン(トム・ハンクス)、押しの強いやり手の弁護士、かつてはニュールンべルグ裁判に関わったとの台詞がチラっと、今は保険関係を専門にやっている。自信に溢れる1950~60年代にかけてのアメリカン。トム・ハンクス、それらしく太った。

一方、英国生まれのソ連のスパイ、初老の痩せた知性、おそらくこれまでに大変な地獄を見てきている、「裏切りのサーカス」を生きて来た。

この二人の、国と思想を超えた友情がこの映画を一貫する。これがあるから事実を並べた絵解きから上質なエンタメへと昇華した。

スピルバーグは本当にエンタメの人だ。解りやすく解りやすく作る。それが時に説明過多となったり、芸術的深味のないものと受け止められたりする。

最初に入った劇伴、始まってかなり経ってから。サスペンスを強調する音楽、それまでリアリズムに徹していたところに入ったそれはインパクトがあった。急に作り物めく。Pfソロ (Synの電気的音が重ねられている) に続いて8分音符の弦のキザミ、サスペンスは煽られ、解りやすくなる。私なら無しだ。これは良い悪いではない。資質だ。実はどのシーンだか忘れた。音型と、無くても良い、という記憶だけははっきりしている。

アメリカは敵国のスパイだろうと正当な裁判に掛けるとアピールする為、ドノバンが弁護人に選ばれる。どこの国もそうだがアメリカは特にポピュリズムの国である。一時の感情に支配されるということ、“私はシャルリ”である。一家はアメリカ中を敵に回す。銃を撃ち込まれるのだからあの国は怖い。

ドノバンは一切口を割らず逆スパイの提案も拒否したこの男アベル(マーク・ライランス)にシンパシーを感じる。アメリカのスパイが捕まった時、交換要員となると裏で訴え、死刑回避の判決を引き出す。相当な政治的判断である。

接近して来たCIAとこんな会話を交わす。君はユダヤアメリカ人か、私はスコットランドアメリカ人だ(不確か)、この国は移民の集まりだ、それを国として一つに纏め上げているのは規律だ、憲法だ。移民国家でない国の憲法の耐えられない軽さ。

彼は憲法に則って敵国スパイを弁護した、でもポピュリズムによるバッシング。この辺をもう少し詳しく描くのかと思ったら、一気に結審してしまった。

一方で時々インサートされた、U-2偵察機による上空からの情報収集、その為に選抜された若者たち、彼等にはもし捕まった場合に直ぐ死ねるという青酸カリの毒針を仕込んだコインが渡されていた。決して強制はしないが…

裁判が結審すると直ぐに真っ黒な機体のU-2の華々しい離陸である。ここにはホルンが高らかに鳴る,解りやすい絵面にあった音楽。そして撃墜、若者はコインを使わず捕えられる。

この一連、新聞記事で済まそうと思えば済ませられた。邦画なら間違いなくそうする。それをしっかり出撃、撃墜、キリモミの中から脱出するパイロット、おまけにワイヤが引っかかり爆発寸前の機体に宙ぶらりん、何とか手繰り寄せてワイヤ切り離しボタンを押すというハラハラのサービスまで付く。これがスピルバーグのエンタメ精神だ。

ここからはスパイ交換のポリティカルサスペンス活劇である。

1960年頃、ドノバンの家のTVには「サンセット77」のクーキー(エドワード・バーンズ)が映っていて、国務長官はダレスだった。私が最初に耳にした国務長官の名で、ダレス・国務長官という言葉はセットだった。「サンセット77」も喰い入る様に観ていた。小学校5年生頃。アメリカは輝いて見えた。そのダレスにドノバンは呼び出され、東ベルリンでスパイ交換の交渉を民間人としてやることになる。

ちょうどベルリンは壁を作り始めていた。コンクリートブロックを積み上げていくその脇で、アパートの2階から飛び降りる人の姿がある。今ならまだ西へ行ける、そんなドサクサのベルリン、その向こうには人気も疎らな荒涼とした東ベルリンの建物が並ぶ。この広い絵があるから、そこで展開される室内での交渉事にもリアリティがでる。相当広いオープンセットと後ろはCGか、当然お金は掛かっている。でもこのお金がリアリティを生む。東と西のコントラストも食事などで上手く出している。

音楽は例のPfと弦のキザミが大活躍である。後半はほとんどこの楽曲だけである。サスペンスを強調して必要な所に的確に付いている。感情には付けない。音楽が多いスピルバーグ作品の中では相当抑制された部類に入ると思う。コンビのジョン・ウィリアムスが体調不良で担当出来なかったとのことだが、J・ウィリアムスだったらもっと音楽は多かったのだろうか。

アメリカ、ソ連、そこに東ドイツが絡んで、機密漏えいの阻止と国家の体面がゴチャマゼになりながら、グリーニッケ橋で無事交換は成就する。

ドノバンとアベルが最初に接見した時、アベルは昔話をした。その時、アベルは何語だかで話しているのだが字幕が出ない言葉があった。字幕ミスか、ヤバい言葉か。少ししてそれがアベルが尊敬する男を表す言葉としてアベルの口から説明される。“不屈の男”、橋の上でドノバンはアベルからこの言葉を贈られる。

スパイはどっちに転んでも哀しい。アベルも若きパイロットも国へ帰ったところで、機密を喋ったのではと疑いの目を向けられる、あんなに拷問に耐えたのに。

ドノバンがアベルに聞く。戻ったらどうなる? アベルが言う。直ぐ分かる、迎えに来たものが私を抱擁するか、黙って車の後ろ座席に座らせるかだ。アベルは後ろ座席に二人の男に挟まれて座った。それを見つめるドノバン、照明がドノバンの顔を暗く照らす。

トーマス・ニューマン、ここでこれまでのサスペンスではなくフルオケでゆったりと大きなメロディーを唄う。過酷な現実と時代に、それを超えた二人の男の通い合った心に。

トム・ハンクス熱演、しかし痩せたアベルが居なかったら、この映画、これだけのものにならなかった。スパイのソクラテスである。

上質なエンタメ映画。つい詳述し過ぎたが、面白い映画の面白さは読んでから観たって変わらない。

監督 スティーヴン・スピルバーグ  音楽 トーマス・ニューマン