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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.1.21「海難1890」丸の内TOEI1

2016.1.21「海難1890」丸の内TOEI1

 

大島ミチルDay、2本目。

ド頭にトルコの大使?のメッセージが入る。(頭ちょい欠けで席につく) 日本・トルコの友好親善映画なのだ。

明治の中頃、和歌山沖で遭難したトルコ船を漁民が村をあげて救助したという実話と、1985年イラン・イラク戦争が勃発した時テヘランからの邦人脱出を、トルコ政府は自国民を差し置いてまで行ってくれたという実話を、関連付けて一つの話にした。

テーマは、国や宗教や思想を超えて、目の前の助けを求めている人には手を差し伸べようという、素朴なヒューマニズム

難破した船、暗い海で必死に救助する人々、混乱する空港、脱出しようとする人々、どちらも映画的にはスペクタクルな絵となる。しかしこれを単なるスペクタクルな絵の羅列から感動のドラマにするのは簡単なことではない。浅い涙を流させることは簡単、随所にそれは散りばめられている。深い涙が湧き出るようなドラマにし得たか。そこは疑問が残る。

ともすれば羅列に終わりそうな物語を何とか纏めたのは音楽である。

ハープをヒューチャーした大編成のオケ、これがワンテーマを朗々と奏でる。悲劇を強調するようなマイナーではない。もっとシンプルで大きな堂々としたメロ、これが難破シーンも救助のシーンも、テヘランの空港でも一貫する。時にハープだけになったり編成の大小はあるがテーマメロは一貫する。この音楽があるのでこの映画は纏まった。

久々にメロのはっきりした大編成の映画音楽らしい映画音楽。エンドロールも久々の主題歌無し。大島音楽で締めた。ここのメロを取ったのはリコーダー(?)、劇中に出て来た音色ではなかった。

「のような~」では小編成でジャジーに軽やかに、「海難」では大編成で重厚且つおおらかに、どちらもはっきりとしたメロディー、大島ミチルの映画音楽である。こういう映画音楽、もう成立しないのではないかと思っていた。

選曲でベタベタと絵面に合わせてくっ付けて音楽だらけにするも何の印象にも残らない昨今の映画音楽、それとは真逆の、明確なメロを決めて、それをきちんと絵に合わせた尺で演奏し、テーマメロをアレンジでその都度のシーンに合わせていくという、かつてやられていた方法、これをもう一度きちんと見直すべきである。大島はそれを見事にやってくれた。

作曲家は選曲材料提供家ではない。その為には作曲家も映画をもっと深く理解しなければならない。映画監督も作曲家を自分の考えの下にねじ伏せてはいけない。作曲家に従うと、“自分の好み”という枷を超えられることがある。その時起きる掛け算は映画を監督が意図した以上のものにすることがある。そうならないこともあるが… とっても難しい。

かくして大島ミチルDayは、やっぱり大島さん、正統な映画音楽作曲家を継承していると確認する一日だった。

監督 田中光敏  音楽 大島ミチル