映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.1.24「ペコロスの母に会いに行く」DVD

2016.1.24「ペコロスの母に会いに行く」DVD

 

2013.11.16公開 数々の賞を受賞して気になっていたが見逃していた。ようやくDVDで観た。

監督の森崎東(1927.11.19生)、主演の赤木春恵(1924.3.14生)、この二人がボケていく老人の話を撮る。映画なのか現実なのか解らなくなる。ペコロスとは小玉葱をいうのだそう。ハゲた60過ぎの息子のあだ名である。

息子 (岩松了)、私と恐らくほぼ同い年、我ら世代は最初に手にした楽器がギター、シンガーソングライターもどきをやり、一時はこれで生きる! なんて錯覚を起こした経験をみんな持つ、多分。みんな簡単に挫折した中で、プロとして成功したのが吉田拓郎やら何人か、一方今だに地方のライブハウスなどで趣味として歌い続けているオヤジ、息子はそんな中の一人、酔っ払いのオッちゃんオバちゃん相手に時々ステージというより店の隅の空きスペースで時代遅れの自作自演をやる。ジジババにはそれなりに受ける。一応地方のタウン誌の広告営業をやっている様。その雑誌に漫画を描いたりもしている。

母親はしっかり者だったのだろう。神経質で大酒飲みの夫に苦労した。その夫が死んだ頃から認知症が始まった。電話の受話器を外すとそのまんま、仕事中の息子の携帯に些細なことで頻繁に電話してくる、駐車場で暗くなるまで息子の帰りを待つ、車をバックして駐車させようとしたバックライトの先に照らし出された姿は一瞬ホラーだ。

婆ちゃんを気遣う孫息子、今時見上げたもの。世話の限界を感じた息子と孫は相談して介護施設に入れることにする。施設に預けた帰り際、息子と一緒に帰ろうとする母親、状況が理解出来ない。バックミラーに呆然と立ちつくす母の姿、言葉が出ない。

舞台は長崎、介護施設は近い。息子は頻繁に訪れて母親も慣れてくる。ボケは進むが息子だけはハゲ頭を触ると解る。トーンは喜劇、絶対に暗くならない。所々でジワッとしつつ笑いを取る。岩松了が良い。このハゲキャラが救いだ。竹中直人も出ていて、ハゲは人を和ませ深刻にブレーキを掛ける手立てとして使い出が良い。

息子の唯一の憩いの場所、温水洋一の店。ここにもハゲが。おそらく幼馴染なのだろう。「その後のあぜ道のダンディ」である。光石研田口トモロヲ岩松了温水洋一、良い相似形だ。

母の会話に時々死んだ人が現れ始める。おじいちゃん(加瀬亮)、とっくに死んでるじゃないか! ちえこちゃん(幼馴染)、それ誰? 母の中で新しい時間と空間が出来始めていた。我々の日々の生活での直線的不可逆的時間、それとは別の行き来自由なそれ。脳の深層にそっとしまってあったものが一気に並列で現出する。母の中では辻褄は合っているのだろう。が、我々からすると、何言ってるの? となる。それを我々の時空間の論理に押し込めてはいけないのだ。とは言うものの…

もしかしたらそれは人生の終わりに立ち現れる豊饒な時空間なのかも知れない。とは言うものの…

みんなでランタン祭りに行く。眼鏡橋の上で、母と、早く死んだ母の妹と、給料をみんな飲んでしまう神経質な父と、口減らしで売られていって原爆の犠牲になった幼馴染のちえこちゃんが、並んで花火を観る。ボケが映像化される。母の人生がワンカットで表現される。映画ならではの表現、白眉である。

息子にそれは見えたか。見えはしない。しかし母の表情を見て、“ランタン祭り,来て良かった来て良かった”と繰り返す。

これを森崎東が撮ったのだ。赤木春恵が演じたのだ。映画の世界と作り手の境が解らなくなってしまう。

冒頭、可愛らしいペコロスのアニメが入り簡潔に自己紹介、導入は快調。メインタイトルにはオルガンの音がカットインして、それは女学生のコーラス『早春賦』の練習風景だった。それを憧れの目て見る幼き日の母とちえこちゃん。この歌は折に触れ母が口ずさみ、テーマソング的に重要な役割を果たす。

劇伴は、トンビが舞う長崎の実景には木管がメロを取る弦のオケ、ちえこちゃんとの回想にはPf、おじいちゃんとの回想にはVC、老人たちの描写にはフォーク調、眼鏡橋では女声のボーカリーズ、必要なところに過不足なく入る。でも過度な主張はしない。さり気なく感情を盛り上げて、PfとVCがそれを担う。単純なオーケストレーションだが合っている。主役は『早春賦』に譲る。

重箱の隅、息子が店に頼み込んでギター弾きながら唄う『寺町坊譚』、あの歌の音質が明らかに違っていた。ちゃんとスタジオで録り綺麗に修正して仕上げた音だった。あれは演奏歌が不味くても現場プレスコでやるべきだった。少しハウリングさせたりして。重箱の隅の隅だが…

主題歌、一青窈の『霞路』(作詞.一青窈 作曲編曲.武部聡志) も“ありがとう”の連呼で良かった。

音楽クレジットに、音楽監督、星勝、作曲、林有三、豊田裕子。どういう分担の仕方をしたのか。エンドロールの3拍子の曲は、豊田が作曲とPf、編曲は別の人だった。

森崎東と盟友だった佐藤勝、佐藤先生だったらどんな音楽を付けたかとつい考えながら観てしまった。

松竹大船調喜劇の伝統を受け継ぎ、誰もが笑えてホロリとするエンタテイメント。その中に人間の一生があり、昭和の歴史があり、そして助け合い支え合う家族や多くの人々がいる。これこそ映画という大衆に向けた表現の見事な結実である。

 

2~3年前にTVのNHK特集で「電子立国日本」や「マネー」などで有名な相田洋ディレクターの、自らの母を介護する姿を撮ったドキュメンタリーをやった。しっかりした母親だったが92歳あたりからボケだし、それからの数年の介護の様子を、映像作家の性、ハンデカムで撮ってしまったのだ。社会的視点からは、介護施設の問題、ヘルパーの問題、年金の問題等ある。それらは介護する側の問題、それはそれで重要。相田氏、母の介護をして、人間の終わり方を見ることが出来た。これでようやく一人前の人間になれた、と言っていたのが印象的だった。

私事、私も現在92歳の母親と二人でほぼ同居状態である。我が母、まだペコロスの母の手前、でも会話には死者が頻出するし、5分前に言ったことは忘れている。そのくせ、よく覚えているね! とこっちが驚くような小学校の話などが出てくる。私の頭も薄い。映画の世界と重なる。NHK相田洋のドキュメントも含め、これらがみんな重なり一色田になる。

ペコロスは漫画を書いている。表現することによって客観視出来、バランスが取れる。私に何があるか。こんなブログもバランス装置の一つなのかも。

この映画を劇場で観なかったことは不覚。

監督 森崎東  音楽監督 星勝  作曲 林有三、豊田裕子  主題歌 一青窈