映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.2.3 「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」 シネスイッチ銀座

2016.2.3「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」シネスイッチ銀座

 

画家アレックス(モーガン・フリーマン)と教師ルース(ダイアン・キートン)の夫婦はブルックリンのエレベーターのないアパートの最上階(と言っても5F?) に住んで40年になる。冒頭、犬の散歩から帰ったアレックスが息を切らせながら階段を昇ってくる。このアパートに住むのも限界と感じたルースはここを売り、エレベーターの付いているアパートへ引っ越そうと言い出す。アレックスはしぶしぶそれに従う。買い手を集めた内覧会、入札、新たなアパート探し、不動産屋の駆け引き、それらをシャレたタッチで見せる。

黒人と白人の夫婦の40年、いろんなことがあったことは想像がつく。折に触れて若き日の二人が回想でインサートする。

結局売るのは止める。行ける所まで行こう。二人は改めて二人の大切なもの、価値観を確認する。

一方に内覧会に集まったIT関係の若夫婦やら養子を貰ったというカップルやら様々の今のNYの人々が描かれる。行く先々で会うオマセな子供やら、そのへんは軽妙でシャレている。

もう一方にこの夫婦の40年がある。この眺めの良い部屋からブルックリンの40年を見て来た。それはNYの40年でありアメリカの40年だ。どちらかというとこちらにウェイトはない。エピソードもステレオタイプ。ウェイトは今の方にあり、それでコメディを作っている。時間配分を均等にせよなんてことではない。この夫婦とアメリカの40年を凝縮したシーンが一つ欲しかった。とっても難しいこととは思う。それがシャレたコメディをそれ以上のものにする。

夫婦のアパート売り出し騒ぎの間中、NYはテロリスト騒ぎが並行していた。どの内覧会へ行ってもみんなTVの中継に見入っていた。イスラムを悪者と決めつけていた。容疑者が捕まった時、アレックスだけはあんな若者がテロリストであるはずがないという。付和雷同せずに生きて来たのだ。流されずに生きて来たのだ。画商が肖像画は今は売れないというもマイペースを守り続けるアレックス、それを支えるルース。今の風潮をニガニガしく思っている。それをさり気なく匂わす。この夫婦の価値観はよく出ている。

平日の銀座の劇場、珍しく満員。ほとんど中高年、夫婦連れも多かった。それらの人を満足させるに充分な映画ではある。その先、である。モーガン・フリーマンの顔、ダイアン・キートンの顔には、それがある。それをシーンに作り上げる監督や脚本家の、死にもの狂いの知恵が欲しかった。

音楽はトーマス・ニューマンの兄のデヴィッド・ニューマン。ニューマンファミリーである。シャレたコメディらしくPfと弦のジャジーな曲。程よく付けているもボリュームレベルは低く、台詞がやたら多いせいもあるが、ほとんど耳にも記憶にも残らない。ローリングに多分オリジナルなのだろう、男性のボーカルが入る。音楽として意識するのはここだけ。でも印象に残るメロではない。こういう映画こそ夕暮れのイーストリバーのベンチで二人座ってブルックリン大橋を黙って見つめる、若い二人が今の二人にOLする、そんなシーンを作ってほしかった。そしてそこに綺麗なテーマを流して欲しかった。『The way we were』である。メロドラマっぽくなるかもしれないが、久々にそんな演出が出来る映画だったのに。

監督.リチャード・ロンクレイン  音楽.デヴィッド・ニューマン