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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.2.16 「オデッセイ」 新宿ピカデリー

2016.2.16「オデッセイ」新宿ピカデリー

 

火星の基地の外での作業中、突然襲った嵐に吹き飛ばされた男ワトニー(マット・デイモン)、ロケットは傾き、このままだと発射不可能となる。決断を迫られた女性隊長ルイス(ジェシカ・チャスティン)は、ワトニーは死んだと判断、火星を脱出する。

ところがワトニーは生きていた。火星に一人取り残された男のサバイバル。まずは吹き飛ばされた時、体に食い込んだ金属片をロボットアームを操作して摘出。そして食料と水の確保。食料は残されていたジャガイモを発芽させて、新たにジャガイモを作る。スタッフの排泄物は個別に真空パックに保存されている。それを基地内に運び込んだ火星の土と混ぜて有機物を発生させて土壌を作りそこで栽培。彼は植物学者なのだ。水の作り方は難しくて解らなかった。でも科学的に間違いない、きっと。

普通は絶望する。そして発狂するか。しかしワトニー、あくまで前向き冷静ヘコたれない。そして明るい。バックにルイス隊長が残していった音楽、’70、’80のディスコサウンドが流れる。ノリの良い、前へどんどん突き進む音楽で萎える気持ちを鼓舞しているのだろう。食料と水を確保し、NASAとの交信も可能になった。

後半はいかに救出するかのハラハラドキドキ、それはそれで面白いし良く出来ている一級のエンタメ映画。が見所は前半の、めげずに明るく、緻密な科学的根拠に基づいた「いかにして私は一人取り残された火星で生き延びることが出来たか」の『How Toもの』である。負の内面はほとんど描かない。結果、軽くなる。

『宇宙』に私はどうしても地球的思考を超えたもの、神秘、神性、を感じてしまう。かつて宇宙飛行士へのインタビュー集「宇宙からの帰還」(立花隆著)で、帰還した者の内、政治家になった者、自殺した者等いたが、かなりの人が伝道師や聖職者になったと書かれてあったことを思い出す。彼等は漆黒の宇宙の中に青く浮かぶ地球の姿を見た時、月を見た時、火星を見た時、地球的思考は吹っ飛び、神秘、畏怖、砂粒程でもない自分、さらには自己の消滅を体感したのではないか。それまでの自分でいることが出来なくなった…

2001年宇宙の旅」を筆頭に宇宙もの映画には程度の差こそあれ、どこかで必ずそんな匂いがあった。この映画にはそれがない。確信犯的にそれを描かない。

「2001年~」から随分経ち、今や宇宙もビジネスの対象にさえなっている。そういう時代に相応しい映画なのかもしれない。徹底的に地球的思考で貫き通す宇宙映画、もっと言えばアメリカ的思考を宇宙に持ち込んだ映画…

2時間半近く、飽きることなく一気に観られた。エンタメとしては一級。さすがリドリー・スコット。ただ宇宙はどこか神秘的であってほしいと思う者には、何かが足りないと思えてしまう。

音楽はハリー・グレッグソン=ウィリアムズハンス・ジマーの音楽工房の人とか。成る程、打ち込みをベースに生弦を被せたり、状況に合わせた劇伴である。しかし主役は圧倒的にディスコサウンドだ。私の世代のものなので懐かしくてノレた。イケイケのノリの中で火星であることを忘れてしまった。隊長の荷物から見つけた音楽という設定があり、音楽の趣味は良くない、なんてジョークも出てくる。劇中音楽ではあるが、それ以上の役割を担っている。ワトリーのキャラと演出には合っているのだろう。確かにこれらを劇伴でやるとノリはなくなる。この映画の胆はノリなのだ、きっと。

グラミー賞のドラマ部門ではなく、コメディ・ミュージカル部門で作品賞、主演男優賞を受賞したという。観ればこの部門への分類、解らないでもない。でも監督としてはそれで良いのか。コメディとして割り切って作ったのか。

原題「The Martian」(火星の人)、邦題「オデッセイ」。この邦題、見事。「オデッセイ」なんて言われると神性を感じてしまう。私の様に宇宙物にはどうしてもそんなものを期待してしまう者にとっては、上手い題名である。映画に確信犯的に欠けている要素を邦題が補った。見事な羊の頭、まんまとハメられた。

監督.リドリー・スコット  音楽.ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ