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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.2.8 伊福部先生の命日

コラム

2016.2.8 伊福部先生の命日

 

2月8日は伊福部昭(1914~2006)の命日だった。2006年に亡くなられたので今年でちょうど10年、先生の家は神道なので「10年祭」である。一昨年が生誕100年にあたり、様々なコンサートやイベントが行われ、NHK初め多くのマスコミが特集を組んだ。それがあまりの騒ぎだったので、それに比べると地味に思えるかもしれないが、今年もコンサートは多く行われる。

5月2日には、演奏・日本センチュリー交響楽団、指揮・和田薫で「ゴジラ音楽祭in京都~伊福部昭没後10年に寄せて~」が行われる。「SF交響ファンタジー第3番」と「ゴジラ」全編上映に合わせた生演奏コンサートである。

 

伊福部先生と初めてお会いしたのは1977年、LPレコード「日本の映画音楽 伊福部昭の世界」を作った時だった。蝶ネクタイをして現れた先生のダンディーなこと、今だに忘れられない。

その頃私は、弱小、タレントの居ないレコード会社の名前だけはディレクター、毎月の編成会議に出す企画を考えるのに必死だった。当時誰も見向きもしなかった邦画のサントラの作曲家別の企画も、そんな追い詰められた中から必死で捻り出したものだった。

映画音楽といえば洋画に決まっていた。「日本の映画音楽」という大仰なタイトルは邦画の映画音楽であることを解らせる為に必要だった。作曲家毎に全部で11枚作った。伊福部先生の売れ方は他を寄せ付けず圧倒的だった。地味な企画物LP、1000枚も売れれば上等という時、万に達した。営業の人が“お前が作ったイフクベナントカが紀伊国屋の帝都無線でアルバムの一位になってるぞ!” この日のことは忘れられない。

先生は言わずと知れた「ゴジラ」(1954)の作曲家である。ビデオもない、サントラといえば洋画、そんな時代にあのドシラドシラの音楽に飢えていた人々が沢山いた。それに幸運にもぶつかったという訳である。

1980年代に入り映画の「ゴジラ」シリーズが復活した。その3作目「ゴジラvsキングギドラ」(1991)の時、お願いして映画音楽の現場に復帰して頂いた。映画の音楽の作業はいつもお金と時間がない。音楽録りの前は4~5日の徹夜は当たり前である。70代後半の先生にはさぞきつかったことと思う。1999年「ゴジラVSデストロイア」でゴジラシリーズは最期を迎える。(実際は平成になってまた復活するのだが) その時は先生の方から、ゴジラの誕生に立ち会った者としては最期を見届けなければ、と進んで参加して下さった。

伊福部先生の音楽がなかったら、ゴジラは単なる怪獣でしかなかった。先生の音楽がゴジラに神性を与えた。一神教の人格神なんかではない、もっと原初的で荒々しくて、時に人間を全否定するような神。ゴジラの音楽について伺った時“異教徒の祝祭と鎮魂”なんてカッコよくズバリと言った。ゴジラ大魔神キングギドラも、先生の音楽で神の使いとなった。具象としてのキャラクターがない「ビルマの竪琴」や「座頭市」でも、先生の音楽が付くと背後に巨大な神が立ち昇った。

もっと強く、もっと大きく、もっと荒々しく、出来る限り大声で叫べ! 「シンフォニア・タプカーラ」のコーダのあの混沌、先生がそう叫んでいるようである。