映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.3.11「女が眠る時」 Tジョイ大泉

2016.3.11「女が眠る時」Tジョイ大泉

 

書けなくなった、ヤレなくなった作家 (西島秀俊) が、リゾートホテルで見かけた初老の男と若い女の如何にも訳有りカップルを見て、妄想を膨らませて、その力で次作を書き上げ、妻ともヤレて妊娠する、という話。馬鹿みたいな話である。それを映像や音の力で成る程と納得させるのが映画。しかしこれを観て誰が納得するのか。

妄想だから、筋の辻褄か合わないとか、そんなこと有り得ないとか、それをとやかく言うつもりはない。まずリゾートホテルのチンケなこと、ちょっと小金持ちのファミリーが行くような伊豆今井浜のホテル、アングルに苦労したようだが部屋の間取りの狭さは透けて分かる。ホタル族がタバコを吸うような猫の額のようなベランダが付く。

さっきまで子供が騒いでいたようなプール、その向かい側のデッキに女 (忽那汐里)、その脇に男 (たけし)。女は妖艶とは程遠く幼ささえ漂わす、魔性のマの字もない。男はどう見たって中小企業のオヤジかヤクザ、腹は弛み知性のチの字も感じない。これでどんな妄想が湧くというのか。

部屋は何十人ものパーティーが出来る位の広さ、広いベランダがあり、その向こうには地中海、女は妖艶魔性の香り、初老の男は知性を漂わせつつもどこかにアブノーマルな匂いがする。これでこそ妄想は湧くというものだ。

日本にだって妄想が湧きそうなホテルはありそうなものである。妄想が湧きそうな役者は居そうなものである。

「狂ったバカンス」(1962伊)という映画があった、これはコメディ仕立てだったけど。男はウーゴ・トニャッツィー、女はカトリーヌ・スパーク、男は小娘に翻弄された。納得。邦画で「燃える秋」(1979)、男は佐分利信、女は真野響子、初老の男の呪縛から女は逃れられない。納得。毎度例えが古い。

妄想を納得させるにはそれなりのお膳立てと役者が必要である。どちらもないところに成る程という妄想は起きない。西島が一人空回りする。

せめてエロティックであればと思うも、忽那は全く、妻(小山田サユリ、この人知らない)と西島のベッドシーンもエロくない。

リリーフランキーだけは相変わらずで、解ったような解らないような講釈で煙に巻く。これはこの人の風貌も含めた才能。

日本に地中海がないなら、いっそ四国お遍路の旅とか、山登りで行き会ったカップルとか、欧州映画のセコイ真似ではなく、独自のものを考えればまだマシだったのに。

音楽は頭とお尻のみ。Pfのマイナーの良く有るアルペジオ、でもこれだけは印象的。劇中には時々Synの雰囲気音、音楽というより音効の領分。

どうもこの映画、“大人の事情”の匂いがしてならない。たけしがなんでこれに出たのか、何のメリットもないのに。おそらく割いた日数は4~5日では。製作は電通。本当にベルリンで上映してしまったのだろうか。きっと深い大人の事情があるのでしょう。こんな映画作って誰にも何のメリットもない。

音楽、たしか、“はやしゆうすけ“と平仮名表記されていたような。「あなたへ」の林祐介だろうか。ネットでしらべても、中森明菜のイメージソングは載っているも、音楽が誰か載っていない。誰か教えて下さい。

 

監督.ウェイン・ワン  音楽.はやしゆうすけ(?)