映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.3.26 「遠雷」 (1981.10.24公開) フイルムセンター

2016.3.26「遠雷」(1981.10.24公開) フイルムセンター

 

京橋フイルムセンター「現代日本の映画監督4 根岸吉太郎」、根岸作品を2週に渡って特集。「遠雷」を観た。公開当時観ているが、遠い記憶の彼方、思い出すのは石田えりの日本人離れしたオッパイ、それが強烈にこびり付いている。淡々としてメリハリが無かったような印象。音楽は井上堯之、これも全く記憶に残っていない。

小説も映画も見る方が歳を重ねるとまた違った姿が見えてくる。良い作品はそれに耐え得る。相変わらず石田えりのオッパイは感動ものだが、それ以外のものをしっかりと観ることが出来た。老いも悪くない。

立松和平の原作、宇都宮の市街地と農地の境目あたり、団地が林立するその真横でトマトのビニールハウス栽培を行なっている23歳の満夫 (永島敏行) 、頭にあるのはセックスとトマトだけ。幼馴染の広次 (ジョニー大倉) もセックスと田んぼの稲。団地が出来て人が増えて、それに合わせて飲食店風俗店が出来て、土地の値段は上がって農家は農協に大金を預けて、農家の息子は新車を乗り回して、親たちは“海外旅行さ行くべ”である。バブル前夜の日本の地方都市。つい数年前までは農村共同体が維持されていた。それが音をたてて崩れていく。そんな時間空間の境目の上の青春。

満夫はどこか覚めた目を持っていて、夫と娘を持つ団地の女カエデ (横山リエ) と遊びはしたものの本気にはならなかった。広次は本気になって逃避行の挙句、カエデを殺してしまう。

満夫の兄 (森本レオ) は農村を捨て東京で家庭を持ち、財産の分け前を要求している。親父 (ケーシー高峰) は家を出てバーの女 (藤田弓子) とそう遠くない所に暮らしている。地元有力者の選挙の時は帰ってきて、母親 (七尾伶子) はそれを屈託なく迎え入れる。 

広次は稲作の傍ら道路工事の日雇いをしている。両親揃っていて一人息子、満夫ほど揉まれていない。その分少し純なのだ。

満夫が広次に向かって言う。俺がお前だったかも知れない。二人の差は紙一重、広次は警察に自首し、満夫は見合いしたあや子 (石田えり) と結婚、二人で「私の青い鳥」(桜田淳子、ようこそここへクッククック~)を泣きながら歌う。

本当に紙一重なのだ。それでも人生は随分違ったものになってしまった。違っていく微妙を映画は生き生きと描く。

荒井晴彦の脚本が良い。台詞や場面全てに意味があるにも関わらず理詰めを感じさせず自然に流れている。

とにかく台詞がデカい。満夫はもちろん脇もみんな普通が大声だ。メシは肘をついて掻き込んで喰う。誰もがエネルギッシュで開けっ広げ。ハウスの中での濡れ場は邦画には珍しく濃厚でエロティック、イタリア映画のように大らかだ。これは日本のイタリア映画だ。都会っ子の根岸監督がよくぞこんなリアルな田舎を撮れたと感心する。

音楽は井上堯之、スパイダーズの名ギタリスト、映画音楽では「太陽を盗んだ男」がある。良いメロディを書く。細かくドラマに付けるという劇伴タイプの作曲家ではない。サウンドは当時流行りのフュージョンである。フュージョンはある程度の長さを聴かせなければ良さがでない。いくつかのシーンを纏めて、例えば、トマト栽培に夢中になる満夫とか、街に繰り出す満夫と広次とか、カエデとの関わりとか、共通の色合いを見つけてシーンを幾つか跨いでBGMとして流す。それで感情を盛り上げるというのではない。その距離の取り方が程良い。メロティが良いので楽器を代えるだけでバリエーションが出る。但しBGMとして流しているのでメロディの印象は残らない。音楽が流れて映画を快調に運んでいくという感じの付け方。

クライマックス、雨の中、盛り上がる結婚式の宴を抜け出して、助けの電話を寄こした広次の下へ車を走らす。ここにハモニカがメロを取る音楽、このメロこれまでに何回も出てきているもメロディとして意識したのは多分ここが初めてだ。ここはBGMではない。映画音楽として機能している。この一連、秀逸である。ふと考えた。この映画、ここまで音楽無しにしても良かったのでは。充分成立する。それまではハウスの中のラジカセの音楽やら既成曲を上手く充てれば良い。運び役の音楽を無くしたことで、よりドラマが鮮明となり、重くなるか軽くなるか… ずっと劇伴無しでハモニカが最初の音楽、これはインパクトがある。そしてクッククックへと繋ぐ。随分すっきりする。勝手な想像ではある…

あの結婚式、農村共同体への挽歌たったのかも知れない。満夫も広次も土と共に生きて来た。ハウスの中で広次が逃避行を語る長いモノローグ、カメラは広次のアップで固定、このジョニー大倉は素晴らしい。その中の台詞、夜通し車を走らせていたらいつの間にか自分ちの田んぼの脇を通っていた、手入れもせずほったらかしにしていたのに、苗はちゃんと育っていて涙が出てきた、を聴いて、涙が出た。土と共にあった二人、土地を売ってくれと来た不動産屋を追い返した満夫、遠雷が遠くに響く。夏の終わり、農村共同体の終わり、青春の終わり…

 

満夫とあや子夫婦は時代には勝てず土地を売って、その金でガソリンスタンドかアパートを経営、広次が出所した時、親は農業から足を洗いこの土地から居なくなっていた。団地は今や高齢者のみが取り残され、飲食店も寂れている。もしかしたら満夫は親父と同じように地元の顔となり、市会議員位に成っているかもしれない。TPP反対の先頭に立っているかも。所属は多分、自民党。遠雷は今や土砂降りである。勝手な想像…

 

この映画には1981年が真空パックされている。満夫の人生の境目、宇都宮郊外の農村の境目、そして日本社会の境目、それらが生のままで取り出せる。それらはみんな今に繋がる。

若い時は石田えりのオッパイに幻惑されてしまった。それだけではなかったのだ。再会出来て良かった。大きなスクリーンで見直せて良かった。DVDでは再会の喜びは半減する。

でもDVDで良いから観てほしい。

 

監督 根岸吉太郎  音楽 井上堯之