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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.4.25「ルーム」日比谷シャンテ

2016.4.25「ルーム」日比谷シャンテ

 

先日も千葉大の学生が少女を2年間監禁するという事件があった。7~8年前には新潟で7年に及ぶ長期の監禁事件があった、確か。おぞましいが現実、頻出している。

17歳で誘拐され納屋に監禁され、犯人の子供を産み、今、男の子は5歳。物語はそこからスタートする。男の子、自意識が芽生え、“ルーム”の中では収まり切れなくなってきた。母が創り出した“ルーム”のフィクションは限界である。

“ルーム”とは胎内の延長、そうせざるを得なかった。産みはしたものの外界との接触はない。母は疑似胎内の“ルーム”で男の子を守り育てた。男の子が成長して自意識が芽生えるに連れて疑似胎内の綻びが露呈してくる。時々来る食料やらを持ってくる男…

脱出は第二の出産、巻かれた絨毯は産道である。死体のふりして絨毯で簀巻きにされた隙間から見た世界が素晴らしい。電線が電柱が空が、少年目線の主観映像。初めて見る“ルーム”の外の世界。ジャックは初めて世界に産み落とされた。子供の柔軟性は瞬時にそれに対応した。

映画はここから先に重きを置く。

母にとって戻った世界は7年前とは違っていた。両親は離婚している。周囲は好機の目で見る。“ルーム”のシンプルな“地獄“とは違って複雑多岐なストレス。少しずつ精神を病んでいく。ジャックも時に母と二人だけの“ルーム”の方が良かったと叫ぶも、段々と他人とのコミュニケーションの喜びを感じ始める。子供は順応するのだ。

ラスト、母とジャックは“ルーム”を訪れる。もっと広いと思っていたのに意外に狭かった。ジャックはベッドやタンスや椅子一つ一つにさよならを言う。かつての自分の世界に訣別する。

母・ジェイ (ブリ―・ラーソン) がオスカーの主演女優賞を獲った。確かに熱演である。しかし少年・ジャック (ジェイコブ・トレンブレイ) の方だ。こっちこそ主演男優賞である。恐ろしいほど自然に成り切っている。こんなに成り切ってしまって後で精神的問題が起きやしないかと心配になる。凄い男の子である。もちろんそれを引き出した監督初め回りも素晴らしいが。

映画が描く物語の前には“地獄“があった。それには敢えて触れない。ジャックが生まれてからは生きる支えが出来た。母と子、子供の成長と世界の認識、映画がこっちに焦点を絞ったことは見識である。“地獄“はジェイを見れば解ることだ。ただ、母と子、それをシンプル前向きに整理し過ぎたのではないか。男の子の順応の仕方が単純過ぎる気がする。何らかのトラウマがあるはずだ。何かを引き摺っているはずだ。それを描いて克服するというプロセスを経てこそ奥行が出ると思う。面白いしハラハラドキドキはあるしジワッと来るし片時も目を離せないのだが、一つ奥行の無さを感じてしまうのは私だけだろうか。

これから先、二人には様々な問題が待ち受けている。成長するに従い生じるだろう自分の存在への問、母と子の自立。他人との比較は嘆きと怒りしか生まない。悠久の時の流れの中に位置づけられた時、光が見える。言うのは簡単。

これらがどこかに匂い立って欲しかった。ただ新たな旅立ちというシンプルで前向きなだけでなく。

音楽は、当たり前の付け方をしているという印象。サスペンス、心理描写、絵面 (えずら) に合わせた音楽を書いている。監督とはコンビの様である。映画音楽の経験はどの位あるのだろう。オーケストレーションは上手くない。ポピュラー系の人だと思う。もっときちんと書ける人を配せば、格調が出たのに。

 

監督 レニー・アブラハムソン  音楽 スティーブン・レニックス