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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.5.2 「ゴジラ音楽祭 in 京都」 開催

コラム

2016 5 2「ゴジラ音楽祭 in 京都」開催

 

一昨年7月、東京オペラシティにて初めて「ゴジラ」(1954)を完全上映して、それに合わせて音楽を生演奏するという、上映会と演奏会の合体企画をやりました。大変好評で、昨年1月には東京NHKホールで再演をしました。今度はそれを京都で行います。

 

ゴジラ音楽祭 in 京都 ~伊福部昭没後10年に寄せて~」

2016.5.2  18時開演   ロームシアター京都メインホール

* SF交響ファンタジー3番

*「ゴジラ」(1954) 完全上映全曲演奏

演奏 日本センチュリー交響楽団  合唱 大阪センチュリー合唱団

指揮 和田 薫       ゲストトーク 大森一樹

 

完全上映、全曲演奏のこのスタイル、今や洋画での企画が目白押しです。「ゴッドファーザー」「タイタニック」「モダンタイムス」etc 残念ながら邦画は今現在「ゴジラ」のみです。

このスタイル、10年位前から考えていました。ただ技術的に可能かどうか。そしてお金が掛かる。中々実現出来ないでいた時、5~6年前、米国からこのスタイルの「ウェストサイド物語」が招聘されました。米国でも同じようなことを考えている奴がいるんだ。

規模が違いました。大元はバーンスタイン財団。バーンスタインの (死後?生誕?) 何周年だかの記念行事で世界を回る企画でした。東京国際フォーラムAで3公演、指揮・佐渡裕、演奏・東フィル、大阪で2公演。新聞広告で知り、最初の公演に慌てて飛び込みました。全曲演奏、背景音楽、ダンス音楽はもちろん、歌のバックも演奏されました。Vocalはナタリー・ウッドだったりリチャード・ベイマーだったり、そのままです。技術的な話になりますが、それは台詞、効果音、音楽、歌、がそれぞれ別トラックで残っているということです。このスタイルでやる時、音楽を生演奏する訳ですから、上映は音楽を抜いたもの、つまり台詞と効果音のみが付いた映画でなければなりません。「ウェストサイド」はさらにオケ無しの歌だけが流れなければならない。向こうはそれをちゃんと別トラックで保存してあったのです。まずそれが一番の驚き。

それから譜面の修復はさぞ大変だっただろうなと思いました。映画用のスコアは残っていたのか? 映画音楽のスコアは録音が終わるとそこで役割は終わるので大体どこかへ消えてしまいます。スタジオの倉庫にグチャグチャになっていたりします。もちろん作曲家にもよりますが。仮にバーンスタインはきちんと残していたとしても録音現場での修正は当然あっただろうし、録音した後のダビング作業での編集や修正もあるので、残された譜面通りに演奏しても必ずしも映画通りになるとは限りません。ボツになった曲もあったりします。最終的にはフィルムに録音された音楽を原本として最後は耳で聴いて譜面を修復しなければなりません。さらに元のイメージを損なわない範囲でフルオケの演奏会として遜色ないように楽器を増やしたりすることが必要です。映画音楽はいつもフルオケでやっている訳ではないのです。この譜面の作成がさぞ大変だっただろうと推測します。

次に画面に合わせて演奏することの難しさです。特にミュージカル、ダンスも歌もある。“アメリカ”のダンスシーンでキメのところで音楽がちょっとでもズレたらカッコ悪い。歌のバックはさらにデリケートです。佐渡裕は指揮台脇のモニターとスコアから目を離しませんでした。モニターには映画の画面が映っていてそこには音楽のスタートマークやカウントが表示されていたものと思います。背景音楽なら半秒ズレても何とか誤魔化せます。しかし歌やダンスは24分の2 (1秒24コマ、その2コマ)秒ズレでも違和感が出ます。これは大変だったと思います。それに「ウエストサイド」は長い。終わって佐渡は疲れ切っていました。そして何とか無事に振れたのでホッとしたとコメントしました。本音だったと思います。

「ウエストサイド」話が長くなってしまいました。これが日本での全編上映全曲演奏スタイルの最初です。観終わって聴き終わって私は良くやった!と感嘆するとともに複雑でした。向こうは台詞、音楽、効果音を別トラックで保存している。邦画で残されている音はそれらをミックスした完成音、映画に焼き付けられた音のみ。このスタイルをやるにはミックス音から音楽を抜き出したものを作らねばならない、それって可能?

音楽用コンピューターソフトにプロトゥールスという機械があり、これが日進月歩で精度を上げていました。このソフトのお陰で何とかなりました。「ゴジラ」は台詞と音楽が重なるところは比較的少ないのは解っていました。効果音はほとんど音楽と被ります。音楽を生演奏する訳ですから映画から音楽を取り除かなければならない。映画の中の音楽を取り除くとその間の音は台詞も効果も含めみんな無くなってしまいます。生演奏で音楽は流れても画面のゴジラは口を開くも鳴き声は聴こえないということ。効果を新たに付け直すしかないか。これは時間コスト共に大変な大事になります。演奏会だから音楽をメインに考えて、台詞や効果が聞こえなくなるのは仕方がないと割り切るか。さて…

撮影所のスタッフがとにかくトゥールスでやれるところまでやってみます、ということで1ヶ月後行ってみると、見事に音楽抜きのサウンドトラックが出来ていました。あのTV塔のアナウンスも後ろの音楽は無くなって、でもアナウンスはちゃんと残っていました。これは感動ものでした。一つ一つ丁寧に1秒の何十分の1のレベルで音の波を編集していったのです。でも残ったアナウンスの言葉の後ろにはやはり音楽は流れています。それを解らないようにする。言葉と言葉の隙間のほんのわずかの音楽を取り除いていく。そうして聴感上ほとんど気にならないレベルまでにしてくれたのです。あとは映画と同じ音楽が生演奏で重なる訳ですから、その中に埋もれて全く解らなくなる。録音技師の“多分これで問題ないと思います”の言葉に初めてこの試み、やれる! と確信しました。

譜面回りは和田薫氏が全面的に担ってくれました。残された譜面、SF交響ファンタジーの中の該当する部分、耳コピー、これらを総動員して修復してくれました。指揮もこれは和田さん以外には不可能でした。米国作品は作業用映像には音楽の入る箇所にスタンバイ、3, 2, 1 のカウントが入っています。こちらはそんな余裕は無かったので、タイムコードのカウンターで音楽位置を確認しての棒でした。曲ごとにテンポも違います。これは神業のようでした。

「ウエストサイド」の後、米国から「サイコ」「雨に唄えば」「カサブランカ」が同じスタイルで招聘され、東京文化会館で3日間に渡り催されました。「サイコ」のバーナード・ハーマンの音楽を生で聴ける、と喜び勇んで行ったのですが、このスタイルでやって面白いのは「雨に唄えば」だけでした。「サイコ」は始めこそ綺麗な弦で凄い! と聞き入ったのですが、映画が進むに連れ、圧倒的な話の面白さに生演奏は負けてしまいました。生は良い!と感じるのは始めだけ、そのうち耳はそれを当たり前として慣れてしまい、物語の方へ引き込まれてしまうのです。「カサブランカ」も同様でした。物語性が強いものは、結局『良い音で、映画を観た』に収斂してしまうのです。演奏が上映の添え物になってしまうのです。

昨年「ゴッドファーザー」のこのスタイルが来ました。フォーラムで見たのですが、その時も、やっぱり面白い「ゴッドファーザー」で、演奏会であることはいつしかみんな忘れていたようです。物語は強いのです。言葉は強いのです。抽象は具体に適わないのです。

ゴジラ」の技術的問題は見通しがついたものの、まだ果たして面白いものになるかどうか確信が持てませんでした。オケリハの2日目だか、「ゴジラ」を全曲通してやりました。そこでようやく確信が持てました。イケる!

ゴジラ」は絶妙に音楽と物語性のバランスが良いのです。複雑な物語ではない、多くを映像が語る、音楽自体にストーリーがある、クライマックスにコーラスが入る(これは視覚的なことも含めて)、「ゴジラ」は上映会と演奏会がバランス良く両立するのです。「ゴジラ」はこのスタイルの為にあったような作品だと思いました。本番の3日前でした。

5月2日は3回目になります。和田さんも、技術スタッフも、ちょうど良く慣れて来たところです。これまでの2回は東フィルでしたが、今度はセンチュリー交響楽団、程好い緊張がきっと良い方向に作用するのではと期待します。

関西地区の方はぜひこの上映演奏会をご覧になって下さい。洋画のものより遥かにクオリティの高いものだと確信を持っています。