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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.5.06 「スポットライト 世紀のスクープ」

洋画

2016.5.06「スポットライト 世紀のスクープ」Tジョイ大泉

 

社会派エンタテインメント。オスカーの脚本賞と作品賞を受賞した。

カトリックの聖職者の幼児に対する性的虐待を、アメリカの地方紙ボストングローブが告発した実話に基づく話。こういう“実話に基づく”はこの手の映画には有効であり映画のリアリティを増幅する。

調査によるとアメリカの聖職者の6%が幼児への性的虐待を行なっているのだそうだ。その数は記者たちの想像を遥かに越えていた。地道で丹念な取材と調査を映画は淡々と追う。徹底的に記者たちの側から描く。変にドラマチックに盛り上げたりしない。被害者への聞き取りだったり、公文書館での書類の調査だったり、絵的にも地味である。それを飽きさせることなく見せる脚本と演出は大したもの。役者たちも良い。エンタテインメントとして一級品である。

それを認めた上で…。

このスクープに大きな圧力は掛からなかったのか。当然あったはずである。相手はカトリック教会、アメリカでは神の名の下では何でも可能である、と台詞にも出てくる。敵は単に幼児性愛の聖職者ではなく教会組織だ、という言葉も出てくる。行きつくところヴァチカンである。巨大な政治権力だ。経済的力もある。新聞の不買運動だって可能だろう。裏社会との繋がりだってある。銃弾の一発や二発撃ち込まれたっておかしくない。この映画、当然あったであろう背後の巨大な圧力が起ち現れない。あったはずの背後の怖さが感じられないのだ。

そもそもの発端、この地方紙がどこだかの大手に買収され、そこからコストカッターらしき編集局長が送り込まれてくる。その人がもっと売れる紙面を作れということで、簡単に済ますはずだったこのネタの掘り下げを指示するのだ。ボストン市民の50?%がカトリックという台詞が出てくる。この編集局長、最後は資本の論理に従い、本社の指示で敵に回って記事の抑えに回るのかなと思いきや、最後まで記者たちを支えるのだ。ジャーナリズムの正義を通すのだ。読みは外れた。

記者たちは表に出たがらない被害者を説得して裏をとり、資料を徹底的に調べて、遂に確証を掴んで記事化する。そのプロセスは息をもつかせぬ、面白い。記者たちの勝利、ジャーナリズムの勝利。しかしそれが公になる手前にはさぞ色んなことがあったはずだ。記者たちそれぞれの個人的レベルでの葛藤は描く。電話取材しか応じない者の音声からそれは僅かに感じられはする。敢えて触れなかったのかも知れない。それが私には物足りない。

もうひとつ、送り込まれた編集局長はユダヤ系。アイルランド系が主流を占めるボストン。この街のローカル紙の編集局長にユダヤ系とは珍しいというような台詞も出てくる。移民国家アメリカ、その辺の利害もあるはずだ。

資本の論理、移民国家、宗派対立、それらの上に半分以上を占めるカトリックが君臨して纏め上げているボストンという街。そのカトリックの権力は半端なものではないはずだ。その組織の告発にいたっては生半可な圧力ではないはずだ。

ボストンでの告発は成功する。多くの子供たちが救われた。しかしその動き、ヴァチカン本丸には遠く及ばない。世界には暗黙の了解の下に隠蔽された多くの事実が未だそのままにあると映画は結ぶ。

音楽はアバンからマイナーのPfソロが入る。何で初めから色付けしてしまうのか。事の起こりの段階からこのPfソロが大活躍である。初めから或る感情の枠にはめ込む予定調和映画ならそれで良い。この映画、スタートはニュートラルでなければ。こういう事実がある、それに対して記者たちが動き出す。そこで初めて見る側にある種の感情が湧いてくる。何故そこまで音楽を我慢出来ないのか。押し付ける感情より湧き出る感情の方が遥かに強いはずだ。音楽無しで充分に持つ。その方がリアリティが出た、間違いなく。

中盤、記者たちが取材や調査に奔走するシークエンスの一連を纏める音楽は映画の運びとして必要だ。そこまでは中途半端に音楽は付けなくて良かったのに。ちょいとしたアクセントや感情に付けると、その後、同じような所にまた付けることになる。その間大した間もない。気が付くと音楽だらけ。一旦音楽に委ねてしまうと観る側は思考停止状態になる。気持ちは音楽が導いてくれる。映画は浅くなる。

ほとんどがPfソロのワンテーマ。ワンテーマ、モノトーンで通したことは良い。エンドロールでしっかり聴くと、後ろにチャランゴの様な弦の擦る音、エフェクトの様な音、弦も入っている。しかし劇中ではほとんどPfソロに聴こえる。曲は悪くない。メロ頭は明解でインパクトがある。だから余計に気になる。毎回同じ様に入る。またか?である。付け過ぎた音楽が間違いなく映画を浅くしている。

音楽はベテラン、ハワード・ショア。この人の責任というより監督の様な気がする。それとも昨今の日本のプロデューサーと同じように、音楽は出来るだけ多く入れて解りやすくして下さい、なんてPの意見か。

マイケル・キートン(バットマン&バードマン)が良い味出してる。

これ2002年の話、通信の主役は電話、とってもレトロに感じてしまった。

未だに隠蔽されたまま続くこの種の犯罪、今のネット社会ではどんなことになっているのだろう。

 

監督.トム・マッカーシー  音楽.ハワード・ショア