読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.5.27「海よりもまだ深く」Tジョイ大泉

2016.5.27「海よりもまだ深く」Tジョイ大泉

 

冒頭、公団アパートでの、例により樹木希林 (母) のどこまでがアドリブか解らない絶妙なやり取り、相手が小林聡美 (嫁いだ長女) だから申し分ない。その後、突然、見慣れた電車が大きくカーブを切ってすれ違うカット、それをローアングルで捉えた画面の左端、遠景に小さく映る数件の建売住宅。アレ? もしかして? DVDなら戻せるがそうはいかず。次のカットで西武池袋線清瀬駅が出て来た。間違いない。あれは我が家だ。一気に親近感が湧く。どのカットも見覚えがある様な。私と生活圏が重なる映画。そして主人公良太 (阿部寛・長男) も、年齢的には私より一世代若いが心境的にはつい少し前の私であり、とっても地続き。

良太、多分50歳位、かつて小さな文学賞 (島尾敏雄賞、本当に有る様な無い様な ?) を受賞したがその後は鳴かず飛ばず、今は怪しげな興信所勤め、小説のネタ探しと自分に言い訳をしている。小説家の夢はまだどこかに燻る。妻 (真木よう子) とは離婚。中学生の息子一人。月に一回の息子との逢瀬を楽しみにしている。養育費は滞りがち。今日も死んだ父親の残した金目のもの漁りで実家を訪れている。それでも一人暮らす母は嬉しい。カルピスをカチカチに凍らせたお手製のシャーベットを文句を言いながら食べる。いちいちその通りと私は頷く。

死んだ父親は堅実な人ではなかった。それで母は苦労した。遂に賃貸から分譲への夢は果たせなかった。そんな父を嫌悪し、中学の時の将来の夢は公務員だった。それが今、父親と同じ様になっている。本人には解らない。

息子との逢瀬の日、二人は母のアパートへ行く。夫婦が離婚したとて祖母と孫。そこへ息子を迎えに別れた妻が来る。タイミング良く台風も来る。こんな嵐じゃ帰るのは無理よ、泊まってらっしゃい。はしゃぐ母。狭い部屋で息子を挟んで川の字になって寝る。

夜中、嵐の中、父と息子は団地の公園のコンクリート製の滑り台の下のトンネルに潜り込む。死んだ父と良太がそうしたように。そこに二人を捜して妻も来る。

台風はヘンに気持ちを高揚させる。非日常を作ってくれる。あの高揚、好きだった。相米慎二の「台風クラブ」にはそれがあった。大人になるとそれが無くなる。相米は感じられるギリギリの所であの映画を作ったのだ、きっと。

久々にあの高揚感、懐かしかった。三人は色んなことを話す。何でこうなっちゃったんだろう…、元夫婦はお互いにそうつぶやく。でも元には戻らない。戻れるかもと期待していた良太。前に進めましょう、と元妻。未練たらしいのは大体男。

子供は親が引き起こした現実を引き受けるしかない。子供の為に我慢したって良いことにはならない。女に経済力が付くにつれ、我慢のバーは低くなった。希林婆ちゃんが、女が仕事を持つとねぇ、なんて初めの方で呟いていた。親のシワ寄せを子供が引き受ける。子供の方が大人なのだ。それに子供は柔軟だ。今の子供には昔より負荷が多くなっているのかもしれない。別れたって父は父、お婆ちゃんはお婆ちゃん。この夜のことはしっかりと心に残る。良太の心に父親とここに来たことが沁みこんでいた様に。

ただ、宝くじ当たったら三人で暮らせる?と息子が言った時は辛かった。でも一時の感情に負けてしまうと前には進めない。そういう時、女は冷静で強い。

子供でいられる時間はそれぞれである。長いから幸せとは限らない。長すぎて自立し損なうことだってある。ただ親としては少しでもそうさせてあげたいと思う。この息子、「海街ダイアリー」のすずよりはずっと長く子供でいられた。

何かになろうとして成れる人なんてほとんどいない。良太はささやかながら一度は世間から承認されたのだ。大半の人はそんな一時の承認すらない。それ所か、"何か”を見つけられないまま、時々の成り行き判断で人生を作っていく、それが大半の普通の人だ。その都度折り合いを付けながら人生を作っていくのだ。成りたい自分は現実とのせめぎ合いの中で絶えず変化していく。深過ぎる思い込みは人生を硬直したものにしてしまう。

阿部寛が体格も含め豪快過ぎるのがちょっと気になった。見栄を張っている良太ではあるのだが。

若き同僚、池松壮亮の存在がどの位良太のキャラクターを描くのに役立っていることか。

元妻の再婚するかもしれない彼氏 (小澤征悦)が単純にイヤな奴だった。もしこの男がイイ奴だったら? 良太はさらに救われない。それをバネに一念発起、もう一度すべてを断ち切って小説を書き出す、にするとちょっと当たり前の綺麗な纏め方過ぎるか…

音楽、ハナレグミ。劇中の音楽はわずか。前半でのゆるい口笛は良かった。タッチのようにPfが入っていたか。ただこの映画、音楽を必要としていない。監督も音楽で演出しようとか、世界を作ろうとか、そんな気全くないのが伝わってくる。エンドロールの歌も映画に合っていてそれはそれで良い。でも無くても全く問題ない。むしろ日常の生活音、台詞と効果のコラージュでやったって良かった。希林婆ちゃんが家族のアルバムを見ながらブツブツ言う音声を流したって良かった。エンドで音楽が流れるのは、映画を締めくくることであり、さあ映画の世界は終わり、さあ現実ですよ、の区切りである。大半の映画はそれが必要。しかしこの映画、映画の世界がそのまま現実の世界に地続きで流れ込んできている。私の場合、特に。出来るだけ区切り感の無い音処理の方法は無かったのだろうか。

エンドロール前に再び電車がすれ違うローアングルのカット。今度こそ我が家を確認。多分、保谷高校あたりから狙ったカット。

 

監督.是枝裕和  音楽.ハナレグミ