映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.6.08 「ディストラクション・ベイビーズ 」 シネリーブル池袋

2016.6.08「ディストラクション・ベイビーズ 」シネリーブル池袋

 

海沿いの中小造船所の様子が続く。香港のスラムみたい。予告編にしては長いカット、と思ったら喧嘩する柳楽優弥、本編が始まっていた。メインタイトルも何もない。そこに向井秀徳のクレイジーでノイジーでアバンギャルドで、痛い、EGの音が被る。

松山市三津浜の身寄りの無い18歳。喧嘩が生きている証とばかりにひたすら意味もなく喧嘩をする。手加減を知らない。止められるまでボコボコにするされる。鼻の骨が折れたか。それでも、あゝさっぱりしたとばかりに、新たな相手を捜してまた喧嘩をする。組の者だろうと学生だろうとすれ違ったギターを抱えたミュージシャンだろうと。

ほとんど言葉を発しない。喧嘩に理由も意味もない。ただ歯が折れ血だらけになって地べたに寝そべった時、密かな笑みのようなものを浮かべる。

こいつに、裕也 (菅田将暉) という、勝手に付いてくる子分の様な奴が出来る。この女しき殴れないヘタレが携帯で喧嘩の様子を次々にアップする。そこにキャバレー女・那奈 (小松菜奈) が絡む。男はそんなこと無関係にひたすら喧嘩、殴り殴られ、後には、怪我人、死体、警察が続く。誰が死んで誰が死んでないかも解らない。

 

通常映画は何か事件が起きた時、その理由を掘り下げてドラマを作る。観る者が納得するような物語がないと気持ちが収まらない。この映画、それを可能な限りそぎ落とす。僅かに残った痕跡、真っ当で兄を心配する弟 (村上虹朗) がいること、身寄りはなく近所の親父 (でんでん) に育てられたこと、舞台は愛媛県松山市三津浜、喧嘩神輿の祭りがあること。

男の台詞もほとんど削られ、“楽しけりゃエエけん” 残されたのはこれ位。

これらと映し出される映像と音でご自由に物語をお作り下さい。

映像にこちらの想像力を喚起する力が無かったら、何だコレ? である。

小さなアーケードを走り回って喧嘩して、隠し撮りかそのリアルさと言ったら無い。音もほとんど同録か。そして何より役者。柳楽の少しガニ股気味の体つき、太い眉、ギラギラした目、浮かべる薄笑い、手加減加えない殴り方、これらがイヤでも観る者の想像力を刺激する。ラスト、喧嘩神輿の祭りの夜、海から還って来た (ただ海をバックに立っているだけなのだが) 男がサングラスを外して坊主にした顔を現した時、私にはスサノオに見えた。

菅田はペラッペラのカッコ付け、腕力も度胸も無いけど小狡い小知恵はある携帯男。居るよなぁ。

小松菜奈は嫌味なキャバレー女を何とか演じるも、後半突然キレてからの変貌ぶりは見事。

三人に共通するのはどうしようもないイライラ、それはいつの時代にもある青春のイライラなのか、現在の日本ゆえのイライラなのか、疲弊する地方のイライラなのか。

さらには人間が根源的に持つ暴力性。社会性の為に抑え込んだ生物としての暴力性。

映画は今、男たちの殴り合いの現象だけを捉える。社会的に見たらそれは犯罪、理由なき無差別暴行通り魔事件となる。ネットにも投稿しているので、劇場型愉快犯か。

ネットが直ぐに反応する、何て酷い奴らだ!

観る者は何とか自分で腑に落ちる物語を想像して納得しなければならない。これは面倒なことだ。腑に落ちる物語を作れないことだってある。それを突きつけてくる映画。

 

音楽、向井秀徳、今Zazen Boys、元ナンバーガールだ。劇伴はほんの少し、何か所かにトップと同系統のクレイジーでノイジーでアバンギャルドで痛いEGが鳴る。喧嘩のBGMなんかではない。このEGと柳楽の表情で考えよ! という音楽。エンドロールは向井の歌、これは普通だ。観たのは一度だけなので、歌詞は聞き取れず。どんな歌詞なのか。曲としては暴力的でもノイジーでもない。歌詞が解らないので的外れかもしれないが、ちょっと普通過ぎやしないか。映画的に纏める、ということでは全く真っ当全く正しい。だが収まり過ぎ。私としてはちょっと物足りなさ有り。最後に音楽が “お前はどう思うんだ” で締めてほしかった。この映画で真っ当な物語を醸すのは弟とこの歌。これがないと物語は崩壊するのかもしれないが。

シークエンスの繋ぎはぶっきら棒、絵も音もバサッ! である。黒味が数秒、乱暴なこの繋ぎ、好きである。

監督、真利子哲也、知らなかった、こんな人居たんだ。映画を今起きている現象だけで纏めたこと大正解、喧嘩ばっかりを飽きさせずに見せるテクニックと演出見事、男の台詞を削ったこと大正解。そして何より役者が本当に成り切っている。

 

監督 真利子哲也  音楽 向井秀徳