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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.7.8 「マネーモンスター」 Tジョイ大泉

2016.7.8「マネーモンスター」Tジョイ大泉

 

本番前のTV局、人気司会者.リー・ゲイン (ジョージ・クルーニー)、敏腕ディレクター.パティ・フェン ( ジュリア・ロバーツ)、慌しい打ち合わせ、動き回るスタッフ、カメラはそれを手持ちで追い回す。矢継ぎ早の台詞、それを煽る打ち込みリズムの音楽。そして本番。タイトル「マネーモンスター」、TV番組のタイトルがそのまま映画のタイトル、快調である。

その番組とは株をネタにした番組。面白おかしく誇張し煽る、株式エンタテインメント。全米駆使の人気番組。

その本番中のスタジオに侵入してきた男、この番組に騙され母の遺産の6万ドルを損したという。爆弾チョッキとピストルを構え、死ぬつもりで番組をジャックした。

それからはリー、パティ、犯人の、スタジオと副調を舞台のやり取り、そこに警察、犯人の恋人。損発生株の暴落の真実の追求が同時並行し、飽きることはない。ただあまりに目まぐるしい。株価操作のトリックを理解しない内に次のシーンへ。でも深く理解する必要はないようだ。それに暴落の理由として、ストライキに入った南アフリカの鉱山の株、直ぐに収束するはずのストが収まらず云々、ちょっと取って付けた様。要は、馬鹿で善良で安易に金儲けをしようとしたアメリカで最も一般的な庶民の男が損して頭に血が昇って死を覚悟で、チャラチャラと煽り立てた司会者と番組に文句を言いに来たことさえ解れば良いのだ。深い経済の知識は不要である。

番組ジャックは生で放送される。Barでゲームに興じていた人たちがやがてTVに釘付けになっていく。全米が固唾を飲む。番組を面白くすることしか頭に無かったリーが、自分が煽った情報が仕組まれたものかもしれないと疑い出し、犯人と同調していく。パティはリーを助けようとしながらも、同時に迫真のドキュメントを作っていく。

株価操作の張本人に“悪かった”とTVカメラの前で言わせた犯人は、その直後に警察の狙撃手によって射殺される。それ以外の話の落としどころは無い。

“強欲は善”はリーマンショックで終わったと思いきや、相変わらずの様だ。ウォール街は増々ゲーム資本主義 (多分誰かがこう言ったかも)、マスコミはそれを面白おかしく誇張して流す。情報を持つ一部の人間が儲け、“度胸!”とばかりに参戦した素人がババを掴む。

昔の株は人間臭かった。「大番」(本当に例えが古くて申し訳ない) ではないが、色んな人間ドラマがあった。コンピューターが導入され金融工学が入ってきてからは人間のぬくもりは無くなり、代わりに売り買いのキーボードを叩くコンマ何秒の違いが勝負を決める様になり人間の顔は見えなくなった。

コンピューターは世界を瞬時に繋げた。スピードアップはお金の回りを早くし、そこにレバレッジ等の金融テクニックが掛け率をより大きなものにする。お金のリアリティは無くなりただの数字と化す。気の遠くなる様な数字をトレーダーたちは毎日動かし然したるものも感じない。マスコミとつるんで情報をちょっとだけ操作すれば何とかなる。そんなゲームに、TVで煽られ参戦した庶民にとって、お金は相変わらずリアル、損すりゃ特にリアルだ。たったの6万ドル?とリーは言う。

ウォール街のゲーム資本主義はバーチャルの域に入った。微細な波風は瞬時に世界に拡がり、マスコミの手も加わっていつの間にか大きなうねりに増幅される。

今更コンピューターの無かった頃に戻ることは出来ない。ただ真偽も確かめず誇張して煽り一般庶民を巻き込むことだけはしてはならない。このマスコミの最低限をリーもパティも解ったはずだ。だから二人は「マネーモンスター」から引退するものと思っていた。そうして欲しかった。

犯人が射殺され、TVのこちら側でも暫しの沈黙が流れる。しかしBarでは程なくして止めていた手が動き出し、中断していたゲームが再開される。世界が一斉に元通りに動き出す。この感じ、良く出ていた。リーとパティはテイクアウトのファーストフードを食べながら次の番組のことを話始める。何も変わっちゃいない、元通り。

番組を降板した二人が田舎暮らしを始めるとか、犯人の墓参りをするとか、その時脇のTVに「新マネーモンスター」の次なる司会者が映し出されるとか、それ位の終わり方を期待したのに。

それなりに楽しめるのだ。その辺はさすがにジョディ・フォスター。ただ、アメリカの末端にまで沁み込んでいる“強欲は善”を批判するものでも、「マネーショート」(2016.3.4拙ブログ) や「ウォール街」、ましてや「ドリームホーム」(2015.11.30拙ブログ) の系譜の映画でもない。株とTVを使ったサスペンスエンタテインメントなのだ。

ただサスペンスとしては今一つ緊張感が無い。どことなくおっとりしている。犯人がテロリストのような綿密な計画に基づいた者ではない、素朴な庶民ということがある。しかしこれは重要。もっとこの犯人に感情移入させる演出もあったのでは。”殺しちゃ可哀そう” という。

サスペンスについては映画の時間と現実の時間を完全にシンクロさせるというやり方もあったか。爆弾チョッキは1時間後に爆発とセットしてしまってある、とか。

スタジオを出てからの街中の距離感、よく分からない。何とかいう会社のCEOを探し出す下りもちょっと安直。美人秘書との訳アリも取って付けた様。アルゴリズムの創始者の東洋人とどこかの国のハッカーのインサートも何かなぁ。

音楽、打ち込み、ベタ付き。でも早い展開のドラマには合っている。編集と音楽と効果は良い呼吸である。印象に残るメロがあるという類の音楽ではない。エンドロールに、映画の内容に合わせたお金にまつわるラップ。ちゃんと歌詞の字幕が出た。安っぽい。

ジョディ・フォスター監督としてはこの纏め方は納得なのだろうか。いかにも底の浅いハリウッド的ハッピーエンド、何も変わらない。変わらないのが最大の皮肉とも取れるが、一人くらい解りやすく変わってほしかった。カメラのオペレーターだってよい。この人は事件を一部始終見ていた。多分犯人は馬鹿だが悪い奴ではないと思った。“俺、ちょっとこの仕事イヤになりました”、リーがやめるより皮肉が効く。その位やらなくちゃ。エンタテインメントなんだから。

 

監督.ジョディ・フォスター  音楽.ドミニク・ルイス