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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.8.24  トゥーツ・シールマンス逝く

コラム

2016.8.24 トゥーツ・シールマンス逝く

 

1985年「夜叉」( 監督.降旗康男、主演.高倉健 )の時、初めて映画音楽を外国人アーティストに依頼した。それがトゥーツだった。監督やプロデューサーと相談して、今度の映画はジャズっぽい音楽でやってみようということになった。健さん(なんて親し気に書くが、挨拶したことはあるが話したことはないし、僕の名前なんてもちろん知らない) もジャズは好きとのことだった。

トゥーツ・シールマンスはジャズハーモニカの世界的プレーヤー。マイルスともセッションしているし、映画では「真夜中のカウボーイ」のテーマ演奏 (主題歌「うわさの男」ではないインストのテーマ) や、ビリー・ジョエルのヒット曲 (失念!) のイントロや、クインシー・ジョーンズの映画の仕事にも数多く参加している。我々ビートルズ世代としてはジョン・レノンが尊敬していたと言うことで知られる。

話すように囁くように吹く。ハーモニカを通して優しく、自由自在に語りかけてくる。どんなメロも彼が吹くと彼の曲になってしまう。何とも言えない情感が漂う。健さん映画には合う。

外タレ(当時外国人アーティストをそんな風に呼んでいた)を使ってのトラブルをかなり聞いていたし、間に入る人物には怪しげな人も居る。名前だけで結局劇伴は日本人の作曲家がやったなんて話も聞いていた。

まだクランクイン前、時間はある。人を介さず直接コンタクト出来る人が良い。たまたま新聞の催物欄で「ジャック・ルーシェ・トリオwith トゥーツ・シールマンス」( J・ルーシェだったか自信がない) を見つけた。まもなく来日する。

サントラをリリースしてもらうことになっていたコロムビアのインターフェース・レーベル (日本発のJAZZを目指すレーベルだった) の英語の堪能なスタッフと品川プリンス (確か)を訪ねた。暖炉とパイプが似合う様な品のいいおじいさん、トゥーツはその時すでにおじいさんっぽかった。マネージャーも居ず一人で対応してくれた。手元にあった資料を全部持って、でもシナリオの英訳までは作ってなかった。僕が内容を言い、コロムビアスタッフが英語で通訳した。そこでどこまで伝わったかは解らない。これから撮影に入り、仕上げをし、音楽録りは大体この辺というようなラフなスケジュールも話した。彼はその頃ブラジル音楽にハマっていて、ブラジル、NY、ベルギーの3カ所を行ったり来たりしていた。その頃はブラジルにいる。ブラジルでの録音だと良いのだが。僕の頭の電卓が即座に動いて、こりゃダメだ!

函館だったか、国内ツァー中のトゥーツからカセットが届いた。”DRAGON” と書いてあった。メンバーに手伝ってもらってデモを録音したよ。

トゥーツは ”夜叉” がとうしても解らなかったようだ。”Most sad and most angry girl”なんて僕が言ったからかも知れない。刺青のコンテを持って行ったせいもある。彼の中では Syuji (健さんの役名)の刺青はDragon、Syuji=Dragon になってしまったようだ。

カセットを聴いた。合う、が、ちょっとウェットでマイナー過ぎないか。監督に聞かせると、合わないのばかりなのに合いすぎるなんて贅沢だよ、と言われた。

トゥーツは「真夜中のカウボーイ」にしても「ゲッタウェイ」にしてもプレーヤーとしての参加で劇伴のオーケストレーションはやっていない。曲も書くし演奏もするが、ここからここまで何分何秒という劇伴は書いていないのだ。選曲という方法もあるが、それは端から考えてなかった。トゥーツのメロを使った映画音楽の骨組みは佐藤允彦氏にお願いした。これまでにトゥーツとの仕事もしており事はすんなり運んだ。スケジュールもブラジルに行かないで何とかなった。

半年後、トゥーツはたった一人、スーツケースとギターを抱えて来日してくれた。それからの5日間は、昼前にキャピトル東急 (ビートルズが泊まった、今は無いか? ) へ迎えに行き、眼と鼻の赤坂コロムビアのスタジオで録音。骨組みは佐藤氏がしっかり作ってくれていたので、そこにトゥーツが加わってのセッションである。ハーモニカはこんなにも可能性のある楽器なんだ! と驚きの毎日だった。夕方になると彼はヘロヘロになり、ソファーにグニャリと潰れるように横たわった。そうするとその日の録音は終了した。

録音が全て終わり、最後の日にお疲れ様の宴を催した。トゥーツは菜食主義 (それ程うるさくはない) でお酒も飲まない。が宴席を盛り上げてくれた。マイルスにいじめられたなんて話、こんな伝説を僕如きが直接聴いて良いのかと思った。コロムビアのスタッフも佐藤允彦さんもみんな英語が解る。コロムビアの一番若いWと私だけがダメ。始めの内は通訳してくれていたものの、話が興に乗りお酒も回って、気が付くと僕とWは取り残されていた。絶対に英語を話せるようになる! とその時 (だけ )思った。

その後何年かしてバッタリWに会った。”俺、英語話せるようになりましたよ” レコード会社は変わっていたが、しっかりと活躍していた。

トゥーツの音楽は監督も健さんも気に入ってくれた。撮影所の年配のスタッフからは、”なんで日本海の漁村にジャズが流れるんだよ!” と言われた。完成した映画には、わざわざ田中裕子(ヒロイン、漁村の飲み屋の女将) が客に ”これトゥーツシールマンスなんよ” なんて言う台詞まであった。

コロムビアは試験的にCDも発売した。でもメインはまだアナログLPだった。

 

2011年、「あなたへ」の製作が発表された。音楽は林祐介さん。まだ映画の経験は少なかったが、良いスコアを書いた。

僕の中では、どこか「夜叉」と「あなたへ」の健さんがつながっていた。ちょっとでも良いからトゥーツに参加してもらえないか。1曲録音の為だけでベルギーへ行っても良い、予算が許せば。許す訳がない。またしても偶然、トゥーツが東京ブルーノートに出演するとのこと。この偶然には驚いた。直ぐにブルーノートから連絡してもらうも拉致あかず。25年以上前の話、覚えてないか。スケジュールは初日がすみだトリフォニー、2日間オフで、その後ブルーノートで3日間。ブルーノートスタッフからは、トリフォニーへ来て直接交渉して下さいということだった。

2011年10月8日、かつて「夜叉」でお世話になったこと、またお願い事があること等、英文に纏めて (勿論人に頼んだ)、それと「夜叉」のLPを持ってトリフォニーに向かった。

コンサートは満杯で素晴らしかった。でもそんなことを言っている場合ではない。終演後が勝負。休憩時間に浅岡君 (ペンネーム 賀来タクト) とバッタリ、彼は英語が出来る。事情を話す。演奏が終わるとサイン会で長蛇の列、コンタクトする余地無し。終わって楽屋へ引き上げた。ここだ。浅岡君と突撃する。トゥーツ89歳、疲れ切っていて私が差し出したLPにサインをして返してきた。ダメだ、僕はただのファンだ。マネージャーらしき人に趣旨を話し、英文を渡して引き上げた。浅岡君が居なかったら呆然と佇むだけだった。

翌日、ブルーノートのスタッフから連絡、明日13時から2時間だけなら空けられる。それからはスタジオ押さえて、林祐介さんにも連絡。この件、僕の思い入れの単独行動、けれど監督にだけは連絡を入れた。曲は宮沢賢治の「星めぐりの歌」、これはドラマの中で重要な役割を担う歌。インしたばかり、音楽の具体的打ち合わせなどやってない、思いつくものとしてはこれしかなかった。これをアカペラで拭いてもらう。映画の中に使えないようならそれも仕方がない。

2011年10月10日、体育の日、築地オンキョースタジオ、トゥーツ・シールマンス一行6名。「星めぐりの歌」のメロをほとんど口伝えで教え、吹くといつの間にかトゥーツの曲になっていた。2時間は3時間となり、次の約束ギリギリまでやってくれた。トゥーツのドキュメンタリーを作っているとかでベルギーの放送局スタッフが数名、VTRを回し続けていた。この模様はキネ旬のコラムに賀来タクト氏が詳しくレポートしてくれた。

ブルーノートの最後の日、差し入れを持って挨拶に行った。楽屋で「DRAGON」はどういうメロだった? と聞かれ鼻歌で唄った。あっ、分かった、思い出した、今夜はそれをやろう。

“次の曲は25年前にKEN TAKAKURA主演の映画の為に書いた曲、SYUJI=DRAGON!”

感激だった。

トゥーツ版「星めぐりの歌」は“天空の城 竹田城”で健さんが佇むシーンに使われ、万感迫る良いシーンとなった。

後日、撮影所へ行くと健さんが「あなたへ」の宣伝取材を受けていた。きっと誰かが僕を音楽Pだと言ってくれたのだろう。廊下へ出てくるなり、

トゥーツ・シールマンス、良かったよ、ブルーノートへ来たんだって、今度来た時は必ず連絡頂戴よ、家直ぐそばだから”

健さんから言葉を貰った最初で最後だった。翌年ブルーノートがまたトゥーツを呼ぶ予定だった。それを知っていた僕はどうやって案内したらいいんだろうなんて夢想した。

翌年のツァーは無しになった。海外ツァーはあれが最後となったようだ。

 

僕が住む保谷(西東京市)の駅の北口の住宅街にHoya Banka というアナログLPが何千枚もあるジャズ喫茶がある。そこのマスターが“ここに”Dragon“がありますよ”とCDを持ってきてくれた。

toots thielemans european quartet 90 yrs.」Ⓟ2012 CHALLENGE RECORDS Made in AUSTLIA

あの曲、ステージでも演奏してくれていたんだ。メロを忘れていた位だからてっきり映画の為だけと思っていた。紛れもなく「夜叉」のテーマだった。思わぬところで連絡の途絶えていた古い親友と再会したような気分だった。

 

2016年8月22日、台風の中、渋谷でドキュメンタリー「健さん」( 監督.日比遊一、音楽.岩代太郎 )を観た。トゥーツのハーモニカの様な音色が所々に聴こえた。ローリングに、ハーモニカ・八木のぶお、とあった。八木さんは面識はないが、トゥーツが好きらしいことは人づてに聞いている。成程である。

その夜、浅岡君からトゥーツ死去のメールが入った。健さんも逝きトゥーツも逝った。僕は英語も喋れないまま、「夜叉」当時のトゥーツの歳をとうに越えてしまった。

 

トゥーツ・シールマンス ( 1922.4.29-2016.8.22 )