映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.10.4 「ハドソン川の奇跡」 新宿ピカデリー

2016.10.4「ハドソン川の奇跡」新宿ピカデリー

 

鳥によるエンジントラブルから、冬のハドソン川へ着水して全員無事だったという2009年の実話に基づく映画。搭乗、操縦席、事故発生、管制官とのやり取り、ハドソン川への不時着、救出、どれも徹底的にリアルに描く。CGや合成技術の痕跡は見分けがつかない。本物の飛行機を不時着させて撮影した訳ではないのだから、それらはあらゆる技術を駆使して作り上げたものであるはずだ。それが普通に溶け込んでいる。CGや合成はここまで来たか。

冒頭、マンハッタンの摩天楼をギリギリかすめながら飛ぶジェット機、ついに片翼がビルに接触したところで目が覚める。機長サリ― (トム・ハンクス) の悪夢。明らかに9.11がある。それに続いて事故調査委員会。時系列としてすでに事故は起きている。委員会はラガーディア空港に着陸出来たはずだという。彼らは航空会社や保険会社の思惑でハドソン川に着水したことが誤った判断だったと証明したい。

一方では155名を救ったヒーローとして騒ぎ立てられている、ヒーロー扱いと調査委員会との間で苦悶するサリー。その間に事故がカットバックで挿入される。

結果が分かっている事を描く難しさ、そこで委員会での立証を山場に持ってきた。上手い構成である。

委員会の席上、コンピューターによるシミュレーションが行われる。何度やっても無事空港に着陸出来る。サリーの判断は間違っていたのか。サリーがタイムラグに気付く。鳥が巻き込まれてエンジントラブルが発生するなんてケースの対処法のマニュアルはない。想定されていたものなら決められた対処法に拠って即座に対応出来る。が、この場合、逡巡する時間が必要だ。旋回して空港へ向かえば、建物に接触する恐れがある。高度と建物と空港の位置とエンジンの総合判断が必要だ。コンピューターには逡巡する時間が考慮されていなかった。サリーがそのことを言う。委員長はそれを仮に35秒と仮定した。するとコンピューター上で飛行機はビルに接触して空港には着けなかった。冒頭の悪夢である。この委員会のシーン、手に汗握る。

ボイスレコーダーをその場で聴く。それに合わせて映像が忠実に事故を再現する。208秒 (離陸してから着水までか) のドラマ、サリーも副機長アーロン (ジェフ・スカルズ) も冷静で正しい判断をした。

個々の乗客を描いて過剰に涙を誘うようなことはせず、さり気なく幾つかのエピソードを挟むその度合いは絶妙。無事着水するも真冬の川の水はすぐさま流入してくる。そこからの脱出、主翼に並ぶ乗客。通報に即座に駆けつけた巡視艇、落ちる飛行機を見て駆けつけた民間艇、岸に救急車、NYが一丸となって救出にあたった。サリーが言う。これは我々乗務員の力だけではない、NYの市民がみんなで作り上げた奇跡だ。イーストウッドの考える、あるべきアメリカの姿がここにある。

 

アメリカはヒーローが大好きだ。解り易いヒーローがいないと纏まらない。トム・ハンクスは、悩みつつ、それを表には出さず、冷静、仕事に責任感を持ち、家庭を思いやる、ヒーロー扱いされようと決して驕り高ぶらない、理想のアメリカンを嫌味なく演じる。「ブリッジ オブ スパイ」でもそうだったが、太めの体躯が、人を押しのけてでも勝ちたい! という、勝者としてのアメリカンヒーローとは違った、もう一つの優しく包容力のあるヒーロー像を示している。

どうしても「フライト」(2013.3拙ブログ) のデンゼル・ワシントンと比べてしまう。こちらはアルコール漬け、薬漬け、セックス漬け。飛ぶ直前にセックスと薬でキメ、背面飛行を行って不時着、でも犠牲者を最小限に止め、一度は英雄視される。しかしその後はバッシング。組合と会社が裁判をパーフェクトにコントロールして、彼がひと言”イエス”と証言しさえすれば無罪となるところまで段取りする。しかし彼は言わなかった。それは嘘だから。

二人は真逆だ。しかし資本の論理で動いていないところは同じだ。そしてどちらも、強い者が勝つ、勝った者がヒーローだ、というアメリカンヒーロー伝説とは全く違ったヒーロー像を作っている。

 

サリーは無事着水出来るという確信があったと証言する。彼の操縦技術がいかに優れているか、いかに経験が豊富であるかが描かれる。しかしそれよりも彼には9.11のトラウマがあった。あの惨劇を再び起こしてはならない。だからハドソン川を選んだのだ。地上の管制官はその時全員助からないと確信した。155名、全員無事。確かにこれは奇跡なのだ。

 

音楽はほとんどがPfソロである。クレジットにはクリスチャン・ジェイコブという個人名と、ザ・ティアニー・サットン・バンドというバンド名がある。前半、サリーの細かい感情にPfソロが短くアドリブの様に入る。これ、イーストウッドが自分で弾いているのではないか。イーストウッドはよく自分でやる。「エドガー」(2012.3) は確か全編彼のPfだった。ローリングのクレジットを読み切れなかったので確かなことは言えないが。このチョコチョコと短く入るPfソロ、無くても良かった様な気がする。

全員無事と分かった一番の盛り上がり、そこもPfソロだった。でもこの優しいソロは良かった。このさりげなさは素敵だ。弦はPfの後ろに薄く入っていたかも知れない。でも弦として解るように鳴るのはローリングに入ってからである。ここは大きな弦楽が抑制を効かせつつ厳かに鳴る。その後、何故か女声Vocalが入った。悪いとは思わなかったが意味不明ではあった。歌詞に関連があったのかも知れない。

 

クリント・イーストウッドは誰もが知る共和党支持者である。しかし彼の中にあるアメリカンヒーロー像は、トランプとはおよそかけ離れている。

 

監督.クリント・イーストウッド  音楽.クリスチャン・ジェイコブ、ザ・ティアニー・サットン・バンド