映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.11.02 「手紙は憶えている」 日比谷シャンテ

2016.11.02「手紙は憶えている」日比谷シャンテ

 

アウシュビッツの生き残りは僅かになっている。ホロコーストへの反省は薄らいで行く。逆に賛美するような動きが世界中に起きている。

高級老人ホームの90歳になんなんとする主人公セブ、あのクリストファー・ブラマー、”エーデルワイス” の人、当たり前だが老けた。一週間前に妻が死んだことも解らなくなっている認知症の老人を、ある時は毅然とある時は老醜晒して汚らしく、見事に演じている。名優は凄い。

アウシュビッツで生き残ったユダヤ人は戦後多くの人がアメリカに渡り、全く新しい人生を始めている。セブも、老人ホームの友人マックス (マーティン・ランドー) もそう。ドイツに居た時の家族はナチに殺された。家族を殺した忘れられない地区責任者、その者も戦後アメリカに渡って偽名を使い、生き延びているという。二人はその男を捜し続けた。四名までに絞り込めている。マックスは車椅子生活、自由が利かない。セブに、この中から探し出して殺せ ! と言う。セブも友にそれを誓う。マックスは段取りを事細かに手紙に認め、認知症で忘れてしまうセブに、この通りにするのだ、と指示する。老人ホームの個室の電話に張り付いて、指示し連絡を待つ。

二人はアメリカのリスタート人生で成功した様だ。お金は持っている。セブは手紙に書かれた通り、まず銃砲店で、撃った時に衝撃の少ない拳銃を購入する。運転免許証だけで簡単に買えた。4人を訪ねてアメリカとカナダの国境を列車やバスで何度も越える。車中で小さな子供との交流があったりする。少女とも仲良くなる。ひ孫位か。アウシュビッツで殺された我が子はこの位の年齢だったか。この少女の曽祖父が捜している男だったらどうする? 撃てるか? など、色々と見ている方が勝手に想像を巡らす。

痴呆老人のロードムービー、しっかりとシナリオは出来ている。でもそれはマックスとセブの間だけ、それ以外の人には国境を股にかけた俳諧老人ロードムービーだ。

ついに男を突き止めた。訪ねると男は ”待っていた” という。銃を構え、ドイツ名の名前を言うと男は ”それはお前の名前だ” と言う。セブはユダヤ人ではなかった、男とセブはドイツ人だった。ドイツが降伏した時、それまでの加害者が生き延びる方法は被害者、ユダヤ人に成りすます事以外に思いつかなかった。二人はアウシュビッツの囚人番号を腕に焼き付け、ユダヤ人に成りすまし、アメリカで生き延びた。捜していた男とは自分だった。セブは男を撃ち自分も撃つ。マックスはいっぺんに二人を始末した。

 

音楽、マイケル・ダナ。Cla、Ob、Fag 、木管を上手く使い、小編成の弦、特にVCを上手く使っている。音楽はかなり多い。音楽がこの映画のトーンを作って、とっても効果的。メロが残るというより、現代音楽だ。きちんと画面に合わせて書いている。正統な映画音楽の方法を知り尽くした作曲家の仕事だ。老いの悲哀とナチ捜しのサスペンス、両方をフォローした良い音楽である。

 

最後のどんでん返しは予想がついた。それでも目が離せなかった。殺す側だった者が殺される側になり、必死で生き延びた。ドイツ人は簡単にユダヤ人に成れるもんなんだ。二十歳そこそこ、どんなことをしても生き延びたかった… 同じことはアウシュビッツで死んだユダヤ人にも言える…  

大構えの映画ではないが、重い歴史を背負ったサスペンス映画として見応えがある。

 

イスラエルのナチ戦犯を捜す秘密警察モサド、 その情報網は世界中に張り巡らされているという。フレデリック・フォーサイス原作の「オデッサ・ファイル」(1974 監督.ロナルド・ニーム) という映画を思い出す。アイヒマンを捕えたのもこの組織だ。マックスはきっとこの組織の関係者だ。

 

監督 アトム・エゴヤン  音楽 マイケル・ダナ