映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.11.07 「ベストセラー 編集者バーキンズに捧ぐ」 日比谷シャンテ

2016.11.07「ベストセラー 編集者バーキンズに捧ぐ」日比谷シャンテ

 

1929年、バーキンズの元にたらい回しにされた原稿が持ち込まれる。”モノにならない、だがユニークだ” というコメントが付いて。分厚い原稿、それをデスクで読み始める。帰りの列車の中、家に帰ると家族を避けてクローゼットの中、翌朝出社の車中。その日の午後 (あるいは数日後? ) 、押しの強い、大声の若者が訪れる。散々断られ続けた彼は、当然断られることを前提にまくし立てる。

”我が社で出版します”

それがバーキンズとトーマス・ウルフとの出会いだった。

 

原作はノンフィクション、バーキンズはそれまでにヘミングウェイやスコット・フィッツ・ジェラルド等を発掘している。バーキンズのノンフィクションだから、彼の生涯が描かれているはずだ。ヘミングウェイやS・F・ジェラルド発掘の話も当然描かれているはず。映画はその中のトーマス・ウルフとのエピソードに絞る。溢れ出る饒舌を削り、売れるものにする、その裏で、自分が編集の手を入れることにより才能を汚してしまっているのではないか、という思いを絶えず持ちながら。

ウルフとバーキンズに絞った脚本が良い。色調を極端に落とした、モノクロに近い画面が、出版が個人の才能と才能のぶつかり合いで成立していた時代を、格調高く映し出す。懐かしいのではない、威厳のあった時代。

コリン・ファースジュード・ロウが対照的なキャラクターを演じて火花を散らす。起伏の多いウルフより、いつも(室内でも)帽子を被り、絶えず原稿を読み、削りの赤を入れ、煙草を燻らせ、感情を表に出さないバーキンズの方が演じるのは難しかったはずだ。二人とも見事に演じている。

監督のマイケル・グランデージはこれが最初の長編映画とか。演劇出身でそちらでは大変な実績があるよう。でも演劇的匂いはどこにも感じない。むしろベテランの監督という風情すら感じる。

音楽はアダム・コークという人。ひじょうにオーソドックスでクラシカルな劇伴。かと思うと時代に合わせたジャズも上手く生かしている。アメリカがようやく独自の文化を発信した時代。音楽はジャズだった。導入はPfの単音にClaが静かに入る。良い映画音楽だったと記憶している。

情けないことに細部の記憶がおぼろげ。いつも映画を観終わると忘れないようにメモ書きする。ストーリーは反芻出来るが、音楽の細部はメモでもしないと忘れてしまう。歳のせいもある。記憶力劣化は甚だしい。この映画、メモ取る前に「永い言い訳」と「インフェルノ」を観てしまった。上書きされて音楽の記憶が消されてしまった。”良い音楽だった、この人、これから映画の仕事沢山来るのでは” それだけが引っ張り出せた。情けなや。

この監督とは舞台で長くコンビのよう。ミュージカルも書いている様だから、クラシック系ポピュラー系、どちらも行けそうだ。映画音楽でもきっと良い仕事をするはずだ。

 

監督 マイケル・グランデージ  音楽 アダム・コーク