映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.11.18 「溺れるナイフ」 Tジョイ大泉

2016.11.18「溺れるナイフ」Tジョイ大泉

                                                                                                            

原作はコミックらしい。漫画嫌い。未読。「ディストラクションベイビーズ」(拙ブログ2016.6.08) の二人なので見に行く。菅田、小松のファンらしき若者でマアマアの入り。

小松菜奈菅田将暉を美しく撮る映画、特に小松を徹底的に綺麗に撮った。十代の少女が持つ一瞬の輝きをきちんと定着させた。それだけでも価値はある。スタイルの良さを強調し、顔もベストなアングルと照明でここぞとばかりに美しく撮る。小松もそれに応えている。

菅田は疾風の如く走り去る美しさ。細身の体と小作りの顔、どこかさっぱりとして主役的押しの強さが無いのが良い。

話は十代の一途な恋、「ロミオとジュリエット」。東京で少女モデルをやっていた夏芽 (小松菜奈) が、父が実家の旅館を継ぐことになり、熊野 (?) 浮雲町に引っ越してくる。そこでコウ (神 ? 菅田将暉) と運命的な出会いをする。コウの家は代々 ”火まつり” の面や踊りを継承する神に仕える家系、特別な存在。東京でモデルをやっていた夏芽は田舎町ではこれも特別な存在。特別な者同志、一途な恋に突き進むことは運命付けられている。余計な説明は要らない。逢った瞬間、そう決まった。カナ(上白石萌音) や大友(重岡大毅) は密かにコウや夏芽に思いを寄せつつも、圧倒的運命的な二人の前に、素直にそれを祝福し応援する立場となる。

田舎町で突出した二人、さぞ陰口も叩かれるだろう、学校でイジメにも会うかも知れない。そういう社会的リアリティは一切省く。海岸で出会ったら、二人して直ぐに海に飛び込む。周りは関係ない。あるのは二人の思いだけだ。純粋な恋とはそういうもの、だから十代でないと出来ない。分別が付くと、打算計算見栄配慮気遣い等が介入してピュアではなくなる。

当然この恋は成就しない。もしくは”死” という形での成就。それは古今東西決まっている。

恋の障害を、自己中思い込みのストーカー男としたのは今風である。昔なら町の有力者の息子の横恋慕か、親の借金だったか。

結局この恋、定石通り成就しない。コウは浮雲町の守り神として町に残る。夏芽は東京に出て,行ける所まで行く道を選ぶ。次のステージだ。

最後に二人はバイクに乗って海沿いを走りながら、反対語や連想語の言葉遊びをやり続ける。もしかしてこれアドリブか。何と生き生きしていることか。一途だった前のステージは二度と戻らない。でもこんな出会いを持てたことの奇跡 !

このシーン、現実でもイリュージョンでも構わない。並走しての移動撮影、多分同録、時々道の凸凹で画面が上下するのがリアルだ。良いシーンである。

 

菅田、小松のファンは綺麗な二人を見られれば良い。原作を読んでいる人、その人たちには多分ストーリーは解る。ファンでもない原作を読んでもいない僕たちをこの映画は対象としていない。きっと脚本作りの段階で割り切ったのだろう。余分な説明は省く。だからどうしても話を追い切れないところがあった。もう少しだけ原作未読者にも解るようにしてほしかった。

それから ”火まつり” という神事をクライマックスに置いて、薄っすら神話性を匂わせるのだが、それが弱い。原作ではどう描かれていたのか。「火まつり」というとどうしても中上健次脚本、柳町光男監督の作品(1985)を思い出す。映画で神話性を表わすのは難しい。それを出来るのはストーリーより音楽だ。前半、海に立つ鳥居のシーン、海に飛び込む一連、に神話性を匂わせるような音楽が付いていれば。「カミハテ商店」(拙ブログ2012.2.01) は音楽が日本海エーゲ海に変えていた。ああいう音楽ということではないが。

この映画、神話性を匂わせつつ一途な十代の恋を描く、今の日本の青春映画であることは間違いない。だから音楽は青春映画の側面で付けている。Pfの長いソロ (曲としては良かった)、EGのロック等、シークエンスに合わせて付けている。青春映画の音楽としては妥当か。しかしこの映画が描こうとしている二人、それは都会のどこにでもいる恋人同志ではないはずだ。選ばれた、運命付けられた、さらには神話性を帯びた二人であるはずだ。超然とした存在であるはずだ。Pfの音色、EGの音色、これがどうにも気になる。どうしても普通の青春映画の音楽に聴こえてしまう。音楽はむしろ神話性と、選ばれた二人、という側面にのみ付けるべきだったのではないか。それ以外は要らない。青春は画面で解る。選ばれた二人、特別な二人、そこを音楽が支えた時、一途な恋に神話性が匂い立つ… 少なくともEGのロックは安っぽい。

設定は「君の名は。」(拙ブログ2016.10.29) に似てなくもない。神憑りは男女が逆だが、どちらもある日突然降りて来た運命的な恋、理屈を超えている。

クライマックスの ”火まつり”、踊りとレイプシーンの細かい編集がトランス状態へと持っていく。あそこを太鼓で通したのは良かった。もっと大きく、シーン変わりも無視して太鼓をクレッシェンドさせれば良かった。もっと大きく!

 

夏芽に思いを寄せながらコウのひかえを見事に演じた重岡大毅、知らなかったがジャニーズ事務所だそうな。ジャニーズ事務所のタレントがヒーローのひかえの二番手をやるようになったんだとヘンな感慨があった。重岡の「おら東京さ行ぐだ」のカラオケシーン、こんなにも深く夏芽を思いやる二番手を見事に見事に演じていた。いつも二番手三番手だった身としては胸が熱くなった。あのシーン、小松も簡単ではない良いリアクションをしていた。

上白石萌音、「舞子はレディ」(2014) で主役デビューするも、その後この子どんな方向へいくのかなぁと思っていた。「君の名は。」のヒロインの声で一気にブレイク、この映画でもカナ役をしっかりと演じている。カナはコウに思いを寄せているのだろうか。それとも夏芽に宝塚的愛を持っているのか。本当に二人を献身的に支えるのか、屈折した思いが毒となるのか。そんな複雑な役をちゃんと演じていた。自分の場所を見つけたのかも知れない。

 

青春バンザイ風のローリングの主題歌、良いのかどうか僕には解らない。

 

監督 山戸結希   音楽 坂本秀一  主題歌 ドレスコーズ