映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.11.15 「ぼくのおじさん」 丸の内TOEI

2016.11.15「ぼくのおじさん」丸の内TOEI

 

エンドロールが出るまで監督が山下敦弘とは知らなかった。時代ズレしたおっさんが監督したのかと思っていた。愕然とした。

リンダリンダリンダ」(2005) も「天然コケッコー」(2007) も「苦役列車」(拙ブログ2012.7.18) も「もらとりあむタマ子」(2013) もみんな好きだ。今年の「オーバーフェンス」(拙ブログ2016.9.27) は今イチだったが、山下敦弘らしくはあった。

松田龍平宮藤官九郎真木よう子寺島しのぶ戸田恵梨香、これだけ個性的な役者を集めるのは大変である。きっと山下監督だから集まったのだ。それをわざと相応しくない役に当てはめて。

松田龍平に屁理屈を言わせてはダメだ。屁理屈は言い訳と説明に聴こえる。そこを超えたところで存在するから面白いのだ。どんな役をやっても演じているように見えない。それが凄い。屁理屈を言う松田は演じていることが透けて見えてしまう。きっと本人もやり難かったのではないか。おじさん (松田) は 週に一コマだけの大学の哲学の非常勤講師。兄の家に居候して漫画を読みふける日々。

真木よう子、ハワイのコーヒー農園を祖母から引き継ぐも経営に行き詰まっている。松田とお見合いをするが、本当に好きな人が実は居る。ハワイまで追いかけて行くも松田はふられる。

宮藤官九郎寺島しのぶの夫婦、これも最初は信じられなかった。松田はこの夫婦の家に居候している。クドカンは松田の兄で保護者、常識的なサラリーマン(多分)。ぐうたら松田に説教をたれる。その妻・寺島、松田を追い出したいが時にはお小遣いもやる。サソリのおもちゃを見て絶叫する。漫画の一コマのようなシーン。おそらく寺島に最も相応しくない役だ。この夫婦のトンデモキャスティング、受けを狙ったのだろうが…

“ぼく”(大西利空) はこの夫婦の子、小学校の低学年、おじさんの唯一の話し相手、しっかりしていておじさんを支える。

戸田恵梨香は ”ぼく” の学校の先生。この先生が ”自分のまわりにいる大人について” という作文を書けと課題を出す。おじさんについて書いた作文がこの映画の原作、そういう設定。だから ”ぼく” の一人称のナレーションで話は進む。

もらとりあむタマ子はそれでも今の日本の若者事情とか地方事情とか親のこととか、それなりに抱えていた。抱えながらグウタラしていた。おじさんは社会的背景を抱えない。というか、この映画自体が社会的背景などというものとは無縁だ。そういうものは一切無い。”ぼく” の視点なのだから当然だ。絵本というか漫画というか、そんな世界。キャラクターはペラッペラのステレオタイプ。山下監督、一度自分の語り口から離れて、漫画の世界をやってみたかったのかも。クドカンも寺島もきっと面白がって付き合った。真木よう子は面白がったか解らない。私には辛そうに見えた。役者も大変だなぁと思った。

唯一 ”ぼく” だけがその通りに演じてリアリティがある。”ぼく” だけが漫画ではない。大西利空、達者な子役である。

子供の目で見たシンプル化された現実は、どこか50年位前の社長シリーズや駅前シリーズ等、邦画全盛期の頃の底の浅いご都合主義の話に似てくる。そんな呑気だった頃の邦画へのオマージュの意味もあったのかもしれない。お婆ちゃんが残してくれたハワイのコーヒー農園なんて、昔フランキー堺東宝のサラリーマン物でやっていた様な話である。誰と誰が知り合いで、資金を出してくれることになった、なんていとも安直ご都合主義な解決、エッ? それで解決しちゃったの? である。

森田芳光は最後の作品「僕達特急 A列車で行こう」(拙ブログ2012.4.10) でそれをやり、残念な結果となった。この映画も同じ轍を踏んでしまった。

ただ、底の浅いキャラとご都合主義の話に郷愁を感じている人もいるのだろうから、これはあくまで私の個人的見解である。

こういう映画の音楽は作曲家泣かせである。始めからTubaがボッボッボッとコミカルな説明音楽を鳴らす。ワイプには漫画のエフェクトの様な効果音楽。コミカルと説明と御決まりの喜怒哀楽音楽。どれもそれらしくもっともで解り易い。それ以外にやりようがない。

音楽・きだしゅんすけ。「マイバックページ」(拙ブログ2011.6.01) でミトと並んでクレジットされていた人だ。

 

しかし山下敦弘、何でこの映画を撮ったのだろう。企画は山下発ではないようだ。せめて脚本の段階で山下らしさを練り込めば良かったものを。一度自分らしさから離れて他人の脚本に委ねた映画をやってみたかったのかも知れない。

世間から遊離している、女に簡単にホレて簡単にフラれる、ちょっと寅さんに似てなくもない。しかし寅さんには高度経済成長の中で取り残されて行く男のロマン絶滅危惧種としての悲哀があった。この映画にはそんな社会的背景のようなものは一切無い。いや意図的に排除している。それで面白い映画になれば良かったのだが…

てっきりRCサクセションの「ぼくの好きな先生」が主題歌かと思っていた。

 

監督 山下敦弘  音楽 きだしゅんすけ