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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.12.20 「湯を沸かすほどの熱い愛」 有楽町ヒューマントラスト

邦画

2016.12.20「湯を沸かすほどの熱い愛」有楽町ヒューマントラスト

 

予告編、癌を宣告され余命幾ばくも無いしっかり者の宮沢りえ、蒸発した旦那を探し出し、閉じていた銭湯を再開して、イジメに合っている娘の尻を叩き、それだけで、あゝ病気物余命物とカテゴライズしてしまった。知人からの勧めがなければ見なかった。見てよかった。今年最後を締めくくるにふさわしい秀作だった。

確かにこれをどう宣伝するかは難しい。ジャンルとしては病気物余命物だ。予告編は他に作りようがなかったのだろう。

これは血を超えた新しい家族の誕生の物語なのだ。双葉 (宮沢りえ) という余命二か月を宣告された女が、それ故に太陽の様なエネルギーを放出し、血を超えた核融合を起こして、新しい家族を作り上げ、煙となって宇宙に還っていくという話なのだ。

だから、さよならしなければならない哀しみより、出会えた喜びにピントを合わせる。それを強引な作為のシナリオでグイグイと引っ張って行く。大変な力技だ。血を超えた家族ということでは「そして父になる」の是枝作品と共通するものがある。しかしあちらにあざとい作為はない。自然に淡々と描く。こちらは作為の限りを尽くす。娘の安澄 (杉咲花) と血が繋がってないというのには驚いた。そこまでやるか。でもそれで血を超える家族は明白になった。これが胆なのだ。その強引な脚本を役者たちが血肉化して強引さを感じさせない。リアルでユーモアのある物語を作り出した。凄いことだ。

 

地方の銭湯のしっかり者のお母ちゃん双葉、夫 (オダギリジョー) は一年前に蒸発して、今は高校生の娘安澄と二人で暮らす。この娘がイジメに合っている。双葉は戦わなくちゃダメだと安澄を叱咤する。私はお母ちゃんみたいに強くない、お母ちゃんの遺伝子を受け継いでない、と叫ぶ。遺伝子という言葉が引っ掛った。安澄はついにイジメと彼女なりのやり方で対峙した、向き合った。杉咲花が素晴らしくてこのエピソードだけで感動してしまう。しかしこのエピソードはこれ以上追わない。“お母ちゃんの遺伝子、少しだけあった”この台詞が本筋なのだ。

イジメと並行して描かれる双葉に癌が宣告されるエピソード。ステージ4、余命は二か月。休業中の銭湯の夕暮れの湯舟の中で一人… そこに安澄から“お母ちゃん夕飯まだ?餓死しそう”という電話が入る。何にも知らない娘の勝手、それが双葉を“生きる”方へ呼び戻す。水の張ってない浴槽に響く会話、宇宙との交信のようである。落ち込む姿はそこだけだ。

そうか、この夕暮れ、「東京物語」の一人佇む笠智衆の、あの夕暮れだ。宇宙に一人取り残されて漂う、あの夕暮れ。隣のおばさんの声が地上へ呼び戻す。今は携帯…

 

探偵を使って探し出し連れ戻した夫、“これ安澄の妹”と小さな女の子・鮎子(伊東蒼)を連れてくる。あちこちに種をまき散らすオダギリの無責任でテキトウでしかもどこか憎めないゆるさ。今ダメ男をやらせたら右に出る者はいないだろう。コミカルとゆるい部分はオダギリが一手に引き受けている。

喫茶店で探偵 (駿河太郎) と向かい合った時、双葉は探偵の剃り残しの髭を引っこ抜く。こんなちょっとお節介ででもそれがイヤ味にならず、気が利いてしっかりしていてご近所でも評判が良い女って、居る。傍目には良く出来た理想的な奥さん、だが夫にとってはちょっと息苦しい。オダギリはそう感じた、きっと。それでつまらない女に引っ掛った。

本筋は一貫して母と娘の話だ。双葉と安澄、双葉と鮎子、鮎子と実の母、安澄と君江さん(篠原ゆき子)、双葉と実の母親(リリー)、血が繋がっていようと繋がってなかろうと。

 

誕生日には迎えに来ると言っていた鮎子の母親は来なかった。鮎子を抱きしめる双葉。翌朝鮎子が “よろしければこの家に居させて下さい” としっかり敬語を使って言う。伊東蒼という子役、一体どういう子なんだ。ドキュメンタルな手法で自由にやらせて切り取るというやり方ではない。しっかりと脚本が出来ている。台詞も練り上げられている。だから “演じている” のだ。完全に役と一体化している。ただただ嗚咽。

こんなことを子供に言わせる親は失格だ。しかしこんな現実ゴロゴロある。許容量を超えた現実に子供の心はパンパンである。子供でいられる時間が少ししかなかった子、「海街ダイアリー」冒頭のすず(広瀬すず)は少し大きくなった鮎子である。二人とも、宮沢りえ綾瀬はるかのお陰で少しだけ子供の時間を取り戻せた

 

双葉、安澄、鮎子、の3人の旅、てっきりここで癌の話をするものと思っていた。ところが違った。双葉は再婚、安澄は前妻君江さんとオダギリとの間の子だった。君江さんは聾唖者、ここで手話と毎年4月25日に送られるタカアシガニと礼状を安澄に書かせるという伏線が一気に解決する。それを話す宮沢と聞く杉咲、それを見つめてポロリと涙を流す鮎子の、女優三人鬼気迫る演技。見ている私は鼻水をすする。

 

全ての台詞やアイテムが何かの伏線になっている。味噌汁の味、4月25日のタカアシガニ、礼状は安澄が書く、いつか役に立つと教えられた手話、ブラジャー、赤、ピラミッド、誕生日には迎えに来るから、時間だけは腐るほどある、しゃぶしゃぶ…

 

双葉が実の母親(ガラス越しのリリー、これが最期の姿になった?)を訪ねて拒否されるシーンは辛い。双葉の母親は子供より自分の人生を優先した、鮎子の母親も、かつての君江さんも。子供を産んでない双葉だけが違った。“お母ちゃん、いつも人のことばかり心配してる”

 

各シーンは伝えたいことを語ると余韻を残さず直ぐに次のシーンへ行く。テンポ良く小気味よい。良すぎる位。一気に死期の迫った双葉の管を通した顔のアップが映し出された時はショックだった。あまりにその通りに見えた。本当にそう見えた。

ベッドの脇で安澄が “お母ちゃん一人じゃないよ” と言う。時間と空間と血を超えた結びつき。DNAなどという科学的裏付けは粉砕される。

 

ファーストカットは銭湯の煙突、そこにPfのリバーブを目一杯効かせた高音がボロンと入る。宇宙的響き。そのイントロに続いて明るいPfのソロ。風に揺らぐ銭湯暫く休業の張り紙、双葉と安澄の朝の様子。日常描写のBGM。二人乗り自転車のあたりにもこの音楽が入っていたか。所々に間を入れて動作に合わせる。ちょっと合わせ過ぎの感じがする。

頭にネットを被って蒸発ダメ親父が暖簾をかき分け登場する。ここで初めてPfソロ以外の音楽。アコ―ディオン、Perc、Gのコミカルな感じの曲。私ならこれを最初のMとする。ここまでは我慢、あるいはド頭のPfの高音だけとか。日常描写のBGMは無くても良かったのでは。

音楽はドラマに合わせて付けられていく。泣かせようなどと言う下品な付け方はしていない。Pfソロ、リズム帯とアコ、GとアコとPerc、少しSynの弦、程好い。ただドラマキッカケで入るので、入り方がどれもPfのボロンというワンパターンになっている。ちょっと、またか感がある。ドラマの流れで入れたくなるのは解るが少し我慢して短い曲を2~3曲削ればスッキリしたのではないか。アコをとっても上手く使っている。

お葬式で、満を持して弦の音楽が鳴る。いっそここまで音楽無しだって良かった。あるいは双葉を遠くから優しく見つめる宇宙からの視点の音楽、シンプルで明快なテーマメロを一貫させるという方法もあったか。

湯舟のシーンを挟んで最期の赤い煙は祝祭だ。泣きながらのお祭りだ。真っ赤な炎の中に画面一杯に「湯を沸かすほどの愛」と出てロックがカットインした時には涙グチャグチャになりながら拍手である。この主題歌のイントロは良い。続く歌も良いのだがイントロは演出音楽としてピタリと決まった。もっとデカく入れれば良かった。

 

監督.中野量太  音楽.渡辺崇  主題歌.「愛のゆくえ」きのこ帝国