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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.01.25 「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」 日比谷シャンテ

2017.01.25「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」日比谷シャンテ

 

ファーストカットはナイロビの可憐な少女である。父から勉強を教わり、母が焼いたパンを市場で売る。フラフープで遊び、原理主義者に咎められるも父はそっとかばう。ナイロビの少女の小さな世界。

何万キロも離れた基地でキャサリン・パウエル大佐 (ヘレン・ミレン) がベッドから起き上がる。全く別世界の交わることなど有り得ない人間同志が、ドローンを介して交わってしまうのだ。怖い映画である。

大佐は何年か越しで或るテロリストを追っていた。それを遂に見つける。作戦本部の大きなスクリーンにテロリストが居る家の映像が映し出される。顔が確認出来ない。ナイロビの現地工作員 (パッカード・アブディ) が市場に入り、鳥型ドローンを飛ばす。途中からは虫型ドローンに切り替えて家の中まで入り込む。うずくまってドローンを操作する工作員の所へ、ゲームをやらせろと子供が寄ってくる。それはプレステの操作器をいじっているのと同じだ。

その映像がロンドンの作戦本部のモニターに映し出される。人物解析はハワイの基地が担っている。ターゲットに間違いないと直ぐに連絡が入る。アメリカのネバダの基地には爆撃用のドローンを操作する二人がいる。ロンドンにはもう一箇所、大佐の上司ベンソン中将(アラン・リックマン) と政治家、法律顧問、が集まっている。攻撃の正当性、国会での追及、国際社会への対応、それらを考慮しつつ最終判断をここが下す。これらの人々が遠いナイロビの市場の一角の家の天井裏を飛ぶ虫型ドローンの映像を共有し、タイムラグの無いコミュニケーションを取っている。

今そこにある危機」(1994 主演.ハリソン・フォード) では上空の偵察機から麻薬シンジケートの幹部が集まる家を突き止め、攻撃機が爆弾を投下した。その何十倍もの精度でしかも偵察も攻撃も無人のドローンを遠く離れた所で操作して行える。立場を変えれば夢の様なテロだ。

ドローンが送って来た室内の映像には追っているテロリストの他に若者二人と爆薬が映し出されていた。まさにこれから二人の若者が自爆テロに向かおうとしていた。これには攻撃が違法であると叫んでいた女性政治家も黙ってしまう。今この家を攻撃することによって、自爆テロで奪われるであろう最低80人の命が救われる。自爆テロの情報を掴みながら手を打たなかった方が後で非難される。

攻撃を決定した時、ナイロビの少女がターゲットの家の直ぐ脇でパンを売り始めた。冒頭の少女である。一同は凍り付く。大佐は攻撃! と命令する。しかしネバダの攻撃ドローンの操作官はボタンを押せなかった。軍人としてあってはいけないことだ。大佐は脇の部下に少女の居る地点の被害確率 (死亡確率) を聞く。それは60~70% (?) と出る。目標を微妙にずらす。何とか40%にならないか。40%になったら後で言い訳が出来るということなのか。現地工作員が少女のパンを買いに走る。これも上手く行かない。

何年か越しで追っていたテロリストを取り逃がしてしまう。自爆テロが起きてしまう。少女は健気にパンを売っている。ベンソン中将も政治家も誰も結論が出せない。首相を探し出して判断を仰ぐも通り一遍の答え、この場の緊張は伝わらない。大佐が強引に被害確率40%と部下に言わせる。責任は私が取る。攻撃ドローンの操作官も今度は命令に逆らわなかった。発射ボタンが押された。50秒後 (?) に着弾 ! 現地工作員が少女のもとへ走る。しかし爆風で少女は吹っ飛ぶ。ドローンの映し出す映像でテロリストの生死が確認出来なかったので止めのもう一発。

少女はまだ生きているようだ。駆けつけた父親が病院に運び込む。助かるか、助かってほしい。助かったら従来のハリウッド映画だ。攻撃は正しかった。テロリストを始末し、自爆テロも未然に防いだ。少女も死なせずに済んだ。ハリウッド・カタルシス、英米軍は正しい。お疲れ様の大団円。

 

完全ではないにしても映画の時間と現実の時間はほぼ同時進行する。僕らのハラハラドキドキと焦りはほぼ劇中の人と同じだ。これを逃したらテロリストを始末する機会は失われる、自爆テロを未然に防がなくては80人が死ぬ、少女は助けたい…

テロリストは悪、イスラム原理主義は悪、これはこの映画の前提である。何故テロリストになったか、何故自爆テロに赴くのか、その問が無いと言ったところで始まらない。この映画の問題提起はそこにはない。それぞれが与えられた立場で正しい判断をしている。ある立場で下した判断で簡単に人の運命を変えられる。遠く離れた地で行う操作はほとんどゲーム、結果は人の運命の変更だ。あたかも全能の神の様に人の運命を変えていく、それが出来てしまう。それは許されることなのか、映画はそう問いかけてくる。

 

少女は死んだ。

父親は間違いなく反英米反政府の、嫌っていたイスラム原理主義に身を投じるはずだ。この終わり方は凄い。ハリウッド・カタルシスを壊す。

 

ビンラディンもこうして殺されたのかも知れない。居場所が分かれば空から突然爆弾が落ちてくるのだ。こんな技術さえあれば遠くからコーヒー飲みながら、何でも出来る、だからこそうるさい法律で縛っている。それで軍人は思う様に動けない。しかしそうでもしないととんでもないことになる。とんでもないことは山の様に起きているのだろう。

危機に対する素早い判断と法律と政治ということでは「シンゴジラ」と似てなくもない。しかしこちらは緊張感といいサスペンスといい、一枚も二枚も上手だ。エピソードに無駄が無いし、判断を仰ぐべき首相は北京で卓球をしていたり、大臣がトイレで電話を受けたり、どのユーモアも尤もらしく有りそうである。

良く出来た脚本と的確な演出、撮照録の技術パートはプロの仕事を提供する。市場は多分オープンセットだ。必要なところにはしっかりとお金を掛けている。それらが重いテーマを扱いながら、エンタテイメントとして一級品足らしめている。

ヘレン・ミレンは本当に幅のある役者だ。

音楽はほぼ全編になっていて、近年のハリウッドスタイルの映画音楽の良い方の例である。打ち込みと生を贅沢に使って、ナイロビのシーンでは中東の弦楽器の様な音色が印象的である。この弦楽器の曲がメインテーマということか。ロンドンもネバダもハワイも緊張感を表わす様に必ず背後にアンヴィエントな音楽が流れていて、その中にエフェクトの様な打音が埋め込まれている。この映画が日常の感情を超えたところで進行していることを示している。よく内容を理解した音楽である。着弾した時だけは一瞬無音にしていた。この無音は効いていた。

神のみぞ知る、で諦めのついていた領域にまで人為が及ぶようになってしまった時の人間は辛い。後戻りは出来ない。神様が担っていた領域を人間は引き受けなければならないのだ。

英映画だが、僕にはエンタメとしての作り方ではハリウッドと見分けが付かないのでひとくくりにしてしまった。

 

監督 ギャビン・フッド  音楽 ポール・ヘプカー、マーク・キリアン