映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.02.08 伊福部先生の命日 没後11年

2017.02.08 伊福部先生の命日 没後11年

 

もう一年が経ってしまった。映画の感想だけを書くつもりだったが、接した作曲家の先生方の命日の日だけは、思い出などのコラムを書くことにして、伊福部先生について書いたのがつい先日、あれから一年が経ってしまったのか。時間のスピードがどんどん早くなる。

 

1991年「ゴジラvsキングギドラ」で伊福部先生に何年ぶりかで映画音楽の現場に復帰願った。先生はその時77歳。それから1995年の「ゴジラvsデストロイア」までの5年間は、思えば宝物の様な時間だった。

例年4月の頭に決定稿が上がる。それをお届けして簡単な打ち合わせとおおよそのスケジュールをお伝えする。7月末から8月にかけてラッシュが纏まってきて、何回か撮影所に来て頂き、監督と打ち合わせをする。いつも暑い最中。先生は麻のスーツに蝶ネクタイ。音楽録りは東宝撮影所の録音センター。編成は60~65人。タムコのレコーディングバスを横付けして中と繋ぐ。束ねたマイクのコードは一抱えほどになる。マイク、譜面台等のセッティングは前日から。電気の容量が足りないので撮影所の電気掛かりの人に頼んで引っ張ってもらう。一大イベント。最初は大変だったが2回目からは慣れた。

当時のメモが残っていた。M録りは、「ゴジラVSキングギドラ」が9月2, 3日、「VSモスラ」が9月1, 2日、「VSメカゴジラ」が8月28,29日、「VSデストロイア」だけは10月27,28日。Ⅿ録りの翌日2日間でMIX、その2日後あたりからDB、9月末初号、12月半ば公開というのが毎年の大体のスケジュールだった。合い間には取材が引っ切り無しに入った。ほとんど一年中、先生と接していた。

先生はⅯIXも夜中までお付き合い下さった。“バランスは解りましたので、あとは我々だけでやれますから”と言っても夜中までいらっしゃった。自分の生み出した音楽を勝手にいじられてなるものかと思っていたのかも知れない。夜中の2時3時まで平気だった。

DBはいつも13時からの登場。午前中、先生の居ない間にやったロールをまず初めにチェックして頂いた。”結構です”という言葉を聞いてから次のロールに進んだ。

音楽家はどうしても音楽を中心に聞く。監督はまず台詞がきちんと解るかが最初にある。先生と大森 (一樹) さんのやり取りは面白かった。台詞を聴かせる為に音楽を下げようとする大森、下げると音楽の形が解らなくなるという伊福部。先生曰く、曲頭をちょっとだけ上げてください、あとは下げて結構です。曲の頭の輪郭が分れば、あとは下げても聴こえるものです。成る程。

尾山台のご自宅と撮影所との間の送り迎えの車中では色んな話を伺った。DBの間には差し入れのケーキを食べた。先生は酒豪のくせに甘いものも大好きである。「vsデストロイア」を除いて、どの作品も10月の東京国際映画祭で上映された。その時は黒の正装で来られて、監督よりも出演者よりもゴジラよりもスターだった。

先生は何かというと ”ゴジラの” と言われることに納得し難い思いがあったことは間違いない。そんなことを話されたこともある。私には他にたくさん作品があるのに。しかし大衆性を獲得するということはそう簡単に出来ることではない。ましてやすり寄って獲得したものではなく、音楽的ポリシーを全く曲げないまま獲得した大衆性なのだ。さらにはゴジラというキャラクターに付随する音楽、という関係から、音楽に付随するキャラクターという逆転の関係にまで至ってしまったのだ。今や音楽が主でキャラクターは従なのだ。

この5年の間で先生は先に言ったようなことは言わなくなった。

 

尾山台の木漏れ日が射す先生の部屋で、打ち合わせも終わり雑談となる。珈琲を豆から挽いて入れて下さる。これが苦い。通ではない私にはちょっとキツイ。珈琲はお嫌い? いえ、そう言う訳ではないのですが。ダンヒルを燻らせながら先生は美味しそうに飲む。私も無理して美味しそうに飲む。砂糖を一杯入れてミルクで倍くらいに薄めたら美味しいかも。

ゴジラの5年が過ぎて映画音楽から卒業された後も、先生の元には作品の依頼が続いていた。ある時、仕事の話も終わって珠玉の雑談タイムとなった時、めずらしく先生が、中々作曲に集中出来ないのですよ、と漏らした。どんな事情か分からない。そう言ったあと、たまたま古本屋が持って来てくれて、と和綴じの本 (確か江戸時代とか言っていた?) を見せて下さり、夜中にこれを読むと救われるのですよ (不確か) という様なことを言われた。見たら漢文で、私はハァ? と一言で終わってしまった。

何という本だったのだろう。何が書いてあったのだろう。先生は何を考えていたのだろう。夜中にあの本を開いて、先生は時空を超えていたのだ。人間が発する原初の音に遡っていたのだ。なんて勝手に想像する。

僕は研究者ではないので、重要な言葉もヒントも気が付かないまま、みんな聞き流してしまう。ましてやメモなど取ってない。研究者だったら宝庫の様な時間をただ楽しんでしまった。

あの時先生は何を考えていたのだろう。今頃になってそんなことが気になっている。