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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.02.20 「武満徹 21回目の命日」

コラム

2017.02.20 「武満徹 21回目の命日」

 

(1996年1月? 2月? あるいは1995年12月か…)

武満先生から突然電話が入った。びっくりした。

“武満です”

一瞬分からなかった。

「燃える秋」や「乱」のサントラ以来お付き合いは続いていたが、気軽に電話を頂くような関係ではないと思っていた。一呼吸置いてから “あっ、先生ですか?”

宇野さん (先生のマネージャー) から入院していることは聞いていた。

ようやく落ち着いて、“お体の具合はいかがですか”と言えた。まあまあだと返って来た。

 

少し前から武満徹映画音楽を出来る限り集めてCD全集を作ろうと、大阪のサウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ (略してSLC、サントラ特化のインディーズ) の和田さんと企画を立てていた。先生は一作品一枚で纏めたいと言った。

映画音楽はM数だと17~20、音楽総時間だと20分前後が大体良い映画音楽だと言っていた。勿論作品によって違う。しかし大体この位のタイムの音楽を付ける映画は良い映画だ(記憶あやふや、正確ではないかもしれないが、概ね間違いない)。 先生が音楽を一杯付ける時、それは映画の出来をあんまり良くないと思っている時。 逆にDBで自分の書いた音楽を外す時があった。“ここ音楽無しで行けますね、音楽外しましょう”そういう時の映画はみんな良い仕上がりだった。

一作品一枚だと、CD一枚の収録時間が20分前後になってしまう。先生、作品によっては1枚2作品収録はどうでしょう、1作品1枚がイイなぁ。そんな話をしている内に体調を崩された。

先生はサントラを作る時、必ずしも映画の使用順に並べるとは限らない、曲間にも非常に拘る。だからこの企画は先生立ち合いで編集することになっていた。曲間の沈黙も作曲の内である。

とりあえず「燃える秋」と「乱」からリリースするよう指示されていた。この2作品は先生立ち合いで編集したもの、あとは退院したら一緒にやろうと言うことになっていた。

“「燃える秋」と「乱」のあとはどうしましょう?”

“「食卓のない家」がイイなぁ、あれソニーからLPが出ているから、その通りにやって。あとは退院してから”

それから間もなくして亡くなった。1996年2月20日。

数日後の深夜、NHKが臨時の特別番組を放送した。何のセットも無いところで立花隆が語り、そのガランとした感じが妙にリアルだった。番組の最後で、それまで冷静に語っていた立花隆が突然嗚咽した。その頃、立花隆は直接だったり電話だったりで、先生から膨大な聞き取りをしていた。初めは閉口したらしいが、その内何でも話す様になったと聞いていた。雑誌の連載の為だったが、昨年、それが単行本になった。素晴らしい本で、武満研究の基礎資料である。昨年は「武満徹 ある作曲家の肖像」(著.小野光子) という生涯を俯瞰した良い本も出ている。それらの本を読みながら、ある時期、僕はその周辺をチョロチョロしていたんだなぁと感慨無量になる。

2月29日、千日谷公会堂で葬儀が行われた。風の強い、寒い日だった。

 

僕は受話器を取った時の“武満です”という声が忘れられない。失礼を承知で言えば、先生の声はコロコロとしていて、可愛いらしい。少し鼻にかかってくぐもり、角と言う角がみんな取れている。あの宇宙人の様な風貌と絶妙にバランスが取れている。角のある鋭角的な声だったらちょっと近寄りがたかったかも。

それから間もなく、SLCの和田さんも亡くなり、全集は「燃える秋」と「乱」で立ち消えとなってしまった。

2001年、小学館が武満全集を出すということで声を掛けて頂いた。武満の全作品を集めるという企画、映画音楽も全作品を集めたいという。僕としては願ったり叶ったり。それから足掛け3年、映画音楽は全集の3、4巻としてCD21枚に纏まった。「食卓のない家」も勿論収録している。ようやく約束を果たせた。

全集の編集にあたり、先生がいないから曲間は恐れ多くも僕が決めてしまった。曲順、これは映画での使用順にした。僕の武満体験は昨年の命日のブログ(拙ブログ2016.2.20) にも書いたが、27歳の時「はなれ瞽女おりん」の音楽録りをアオイスタジオで見た聴いた時である。「はなれ瞽女おりん」は先生と一緒に編集したかった。