映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.03.10 「愚行録」 丸の内ピカデリー

2017.03.10「愚行録」丸の内ピカデリー

 

冒頭、夜の混んだ乗り合いバスの中、座っている妻夫木にお節介なオヤジが、脇に立つ老婆に席を譲れと促す。カットは中途半端に長い。しかも手持ち。今風メリハリの演出とは違う。導入としては絵的なインパクトもない。無言の妻夫木、無表情で席を譲る。立ち上がった妻夫木、足を引き摺っている。急にバツが悪そうなお節介オヤジ。バスを降りる妻夫木。車窓にオヤジを映しながらバスが走り去り、ぴっこを引いて何歩か歩いた後、普通に歩き出した。その足元からのローアングル。こいつ何者なんだ、この屈折は何なんだ。

音楽、バスの中一杯に弦カルでマイナー5拍子の動機が反復する。カメラがバスの外に出ると同時に音楽は止み、街ノイズになる。同じ音楽がエンドロールにも流れる。音楽らしい音楽は頭と尻のこれだけである。

これから何が起きるのか、繰り返す5拍子動機がサスペンスを盛り上げる。物静かだが世間に対して生半可ではない拒絶を持つ主人公田中 (妻夫木聡) 登場の秀逸な導入。掴まれた。

田中が向かった先は留置所の接見室。そこに妹の光子 (満島ひかり)、“あたし秘密って大好き”

田中は週刊誌の記者、一年前に起きた未解決の一家惨殺事件をもう一度取り上げたいとデスクに申し出る。今更の企画だがデスクはOKを出す。デスクの机の上に新聞、実の娘を虐待した廉で女逮捕の見出し。この女とは光子のこと。”仕事でもしてなきゃいたたまれないんだ” とデスク。ここまで妻夫木、ほとんど無言。

 

それからは、幸福そのもの誰からも恨みを買うようなことのない、郊外に一戸建を構える夫婦と幼い娘の、一家惨殺という事件の謎解きが、田中の関係者への取材という形で始まる。謎解きが進むにつれ、何の関係もないように見えた光子とこの事件がひとつの愚行の塊という姿を現してくる。その手際は鮮やかだ。

殺された夫・田向 (小出恵介) の同僚・渡辺 (眞島秀和) は”何であんなイイ奴が殺されなあかんのですか”と言う。二人とも一流大学一流企業というエリート。殺された妻・旧姓夏原さん(松本若菜)も同じ大学、同級生の宮村 (臼田あさ美) が羨望と妬みを込めて夏原のことを話す。稲村 (市川由衣) は上昇志向丸出し目的の為には女を利用する田向の実像を話す。

幸せそのものだったはずの夫婦が、取材を通じて、関係や立場や思惑や嫉妬や羨望込めて語られ、決してクリーンとは言えない実像を現していく。

稲村が言う。”格差社会って言うでしょう、本当は階級社会なんですよ”

愚行は階級社会の中で這い上がろうとするあがき。みんな陽の当たる場所の住人になりたい。かつては努力すれば何にでも成れると思い込めた。実際は違うとしても思い込めた。今は陰湿な階級社会の壁が到る所に見えない行き止まりを作る。

本当にそうなのだろうか。こんな価値観、一握りの勘違いハイソの中だけの話なのでは?

しかしニュースで大学のサークルが運営する海の家での暴行事件や医大生の暴行事件などを見るとあながちかけ離れているとも言えない。

 

大学から入って来た者と付属から上がって来た者とは違う。付属からの人はお金持ちで家柄も良くハイソ。そこには歴然と階級が。夏原は唯一外部から入ったにも関わらず、容姿気品態度等で内部生の仲間入りを果たした、外部生の憧れの存在だった。

昔こんな話を聞いた。慶應には日吉と志木に高校があり志木から上がって来た者は、”あいつは志木だから”と言われていたという。さらには本当の慶應生は”天現寺” だと言う。天現寺とは慶應幼稚舎があるところだ。

馬鹿みたいな話だ。途中で胸糞悪くなって来た。しかし、貧乏父さん金持ち父さん、人間見た目が全て、東大生の親は医者か弁護士か一流企業の役員、等の言葉を目にする時、努力すれば何にでもなれるという自由さは遠い昔の話になってしまったと感じざるを得ない。

光子は悲惨な境遇から抜け出そうと必死に勉強して文應に合格した。美貌ゆえに名誉内部生 (南アフリカアパルトヘイトが厳しかった頃、日本人は白人ではないが白人と同等の扱いとするということで名誉白人と言われた) になれた。そこで内部生のおもちゃとなった。満島の迎合するしかない曖昧な笑いが哀しい。そしてそれを手引きしたのが夏原だった。

 

映画を観る限り、僕には一家惨殺事件の犯人が田中なのか光子なのか解らなかった。光子が精神分析家に話す様に、偶然絵に描いた様に幸せそうな夏原とその娘を見て衝動的に起こしたでも良いし、田中の妹の為の復習と捉えても良い。いずれにしてもこの兄妹は母の再婚相手、つまり義理の父との間で悲惨この上ない思いをしているのだ。だからこそお互いが唯一の支えであり生きる力となったのだ。

ここまでの話だったら松本清張橋本忍野村芳太郎、「砂の器」トリオの向こうを張り、社会派大感動エンタテイメント映画に仕立て上げることだって出来る。脚本の向井康介も石川慶監督もそうはしなかった。したくてもその先があるから出来なかった。

光子の子供の父親は義父ではなかったという事実。お互いが唯一の支えである兄妹がふとしたことから性的な関係になってしまっても不思議ではない。それ位辛かったのだ。ただこれ後味は良くない。ファザーファッカーより遥かに良くない。

愚行は人間関係の中で引き起こされた、打算計算に裏打ちされた、ロングで見ればくだらないと解る行為だ。社会的だ。しかしこの兄妹の関係は愚行ではない。反社会的だ。愚行を超えた反社会的立場から妹に加えられた愚行の数々を田中は裁いていく。これを社会的規範で云々することは難しい。

 

音楽は前述の通り、5拍子のテーマが頭と尻を締める。劇中、殺人現場や、象徴的に出てくるくねった指のアップなどには呻き声のようなSynが背後に這い、楽音よりエフェクトに近いが効果的である。真ん中あたりに一箇所、Pfの早くて明るいエチュードの様な曲があった。確か光子が大学に受かった時か (?)。音楽として意識されるのは頭と尻と真ん中のPfの三つ。でもこれで充分。センスの良い、映画の内容を良くつかんだ音楽である。

役者がみんな良く考えて演じているのに感心する。撮影も白いシーンと黒いシーンを極端に作ってこの映画が兄妹の内面の話であることを明快にしている。 

最後まで観て、冒頭の ”私、秘密って大好き” が通奏低音の様に流れていることが初めて解った。

 

ひとつ気になること。”愚行” というと、どうしても”報われないと解っていながら行ってしまう” という肯定的なニュアンスを僕は感じてしまう。”愚直”が混じってしまう。何か他に言い方はないものか。

 

監督.石川慶  音楽.大間々昂