映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.03.17 「ラ・ラ・ランド」 日比谷シャンテ

2017.03.17「ラ・ラ・ランド」日比谷シャンテ

 

ハリウッドへ向かうハイウェイは夢を抱えた若者の車で大渋滞である。カーラジオから流れる音楽のコラージュが凄い。クラブDJもビックリという巧みな繋ぎで何曲並べているのか分からない。エンドロールで使用楽曲クレジットが延々と続いていた。Japanese traditional folkなんてクレジットもあった(?) とても聞き分けなんか出来ない。

ふと素が出来てそこから女性ドライバーのVocalがアカペラで極自然に入る。唄い出しの女声のハスキーボイスが良い。ミュージカルといえば正統な発声と決めつけていたので意表を突かれる。歌は次々にリレーされ、車のボンネットや屋根にのってのダンスが始まり、大スペクタクル・ミュージカルシーンとなる。寄り・引き・移動・クレーン、これらがワンカットだ。本物のハイウェイでのロケであることは間違いない(はずだ)。あれだけの長いプレイバックをワンカットで、一体どうやって撮ったのか。フレームインする役者のアクションに音楽はシンクロし、所々でアカペラにしてメリハリを付けている。カット割りと撮影の段取りだけで気が遠くなる。ハリウッドの技術力を見せつけられる。

車の群れの中の二人、ミア(エマ・ストーン)は女優への夢、セバスチャン(ライアン・ゴズリング) はジャズピアニストへの夢。そんな二人が交差する。

話はシンプル、女はオーディションに落ち続け、男は本物のジャズを目指して現実の壁に阻まれ続ける。愛し合うようになった二人はお互いに励まし合い、諦めずに頑張る。山の様にある話。ミュージカル嫌いの僕には前半はちょっと退屈なところもあった。ただゴズリングのPfのプレイが半端ではない。実際に相当弾けるのか、それとも「セッション」のような鬼の特訓をしたか。演奏シーンはどれも長回しで指先だけを吹き替えにするようなつなぎはない。超絶速弾きシーンもある。運指は音とちゃんと合っている。多少の心得で対応出来るレベルではないのだ。ゴズリングのVocalはちょっと辛いところがあったが。

一方、エマのVocalは素晴らしかった。あのハスキーVoiceは素敵だ。さすがに役者、歌に表情がある。「City of Stars」のエマの唄い出しは本当に素敵だ。

音楽がジャズをベースにしているのでオペラ的発声のナンバーが無かったのはミュージカル嫌いの僕には入り易かった。突然唄い出すミュージカルの違和感を相当意識したのか、ミュージカルシーンへの入り方は繊細である。その結果、どうしてもアカペラかそれに近い状態での入りが多くなる。オケも大仰に入るような所はなく、小さな編成でそっと入り、フルオケへと繋ぐパターンが多い。結果、入りでヴァイブとハープの多用となってしまったことはもう一工夫ほしい所ではある。

ハリウッドの夜景を見渡せる公園でのタップダンス、ヒールを脱いで靴に履き替える所から入るのも良かった。音楽も演出もミュージカルシーンへの入り方は相当意識している様だ。そのお陰で、僕としては随分違和感なく入っていけるミュージカル映画ではあった。

ただ、メロディーが弱いのでは? メロディーラインに刺さってくるものがないなぁと思った。悪くはないがもう一つだ。

後半、セバスチャンがポップスバンドにキーボードとして加わる。このバンドのライブのキーボードの演奏も様になっていた。演奏シーンのプレイバックは完璧だ。

セバスチャンの収入が安定し多忙となったあたりから二人に隙間が出来始める。ミアは自作自演の一人芝居を行なうも観客はほとんどが身内だけ。でも見ている人は見ていた。キャスティング事務所から連絡が入る。オーディションで何でも良いからやれと言われ、”願いが叶うまでセーヌ川に飛び込み続けた私のお婆ちゃん” (不確か) の歌を唄う。この歌にバックのオケは付いていたか。付いていたかも知れないが僕にはほとんどアカペラに聴こえた。夢を諦めずに頑張った自分を重ねて、それをオーディションで歌として唄わせる、こういう音楽の使い方ならミュージカル映画も悪くない。演技者エマ・ストーンの見事な歌唱である。

ミアは撮影の為パリに行かねばならない。セバスチャンはバンドのレコーディングとツァーがある。二人は夢を選ぶ。

それから一気に5年後、ミアはスターとなり結婚して子供も授かり、スタジオへと帰ってくる。かつてウェイトレスをしていたコーヒーショップでスターがした振る舞いを今度はミアがする番だ。そしてその夜、偶然入ったジャズクラブ、そこはセバスチャンの店だった。セバスチャンは本当のジャズを演奏する自分の店を持つのが夢だった。彼はそれを実現させていたのだ。セバスチャンが二人の思い出の曲を演奏する。それに合わせて過去が甦り、夫はセバスチャンに入れ替わって、あったかもしれない二人の生活が走馬灯の様に展開する。

演奏が終わり、ミアと夫が席を立つ。あれ? このまま? 否々ちゃんと振り返りました。お互いに微笑みを交わしました。

お互い、あの頃は若かったよな、自分は才能があると信じるしかなかったよな、君が励ましてくれたから信じられたんだ、自信と不安に揺れていたけれど二人とも必死だったね、お互い何とかあの頃の夢に近づけているようだね、幸せそうじゃないか、今振り返ると充実していたし楽しかった、ありがとう、しあわせに…

携帯の番号聞いたり、夫を紹介したり、そんな無粋なことはしない。こんな解説書くのも無粋、過ぎ去った日々なのだ。

最後の十数分で、この映画は青春映画の傑作となった。

 

監督、30代前半、「セッション」に続いてまだ2本目。自信と不安は自分自身と重なっていたはずだ。そして夢を実現させた。ミアは監督自身なのかもしれない。

やっぱりメロディーが弱い気がする。セバスチャンがソロで弾く思い出の曲は果たしてスタンダードに成り得るか。サントラを聴くとまた違って聴こえるかも知れないが、映画を観た限りではそうはならないのでは。

決して美人ではない、目玉のお化けのような女優だが、エマ・ストーンは凄い。歌唱力もある。

オーケストレーターはさぞ大変だったことだろう。

 

ほとんどの者は夢破れた者である。破れ方や折り合いの付け方が映画のネタになる。夢適った者はむしろ昨今の映画には成り難い。代償はあるものの夢適った者を正面から捉えた映画は最近ではめずらしいかも知れない。

 

監督 デイミアン・チャゼル  音楽 ジャスティン・ハーウィッツ

作詞 ベンジ・バセック、ジャスティン・ポール 

エグゼクティブ音楽プロデューサー マリウス・デ・ブリーズ

音楽監修 スティーブン・ギシュツキ