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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.04.25 「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」 日比谷シャンテ

2017.04.25「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」日比谷シャンテ

 

1963年、ケネディ暗殺。動転するジャクリーヌ・ケネディ (ナタリー・ポートマン) の葬儀までの日々を追う。但し動転をそのまま映画にしたので、時系列は飛び、その都度の連想や思い出がランダムに入る。綺麗に整理するより混乱した構成がリアルだ。

副大統領ジョンソンのエアフォース・ワンでの大統領就任式、葬儀の段取り、即刻立ち退かねばならないホワイトハウス、幼い二人の子、夫ケネディとの関係、取り残された私はどうすればよいのか、私って何だったのか… 

歴代の暗殺された大統領のケースはどうだったか、夫をリンカーンの様に送りたい。

大聖堂から議事堂までは車を降りて棺と共に歩いて行きたい、世界各国の要人も一緒に歩くのか、警護は? フランスは、ドゴールは狙われているからそれは出来ないという。

ジャッキーの混乱と思いつきに世界は振り回される。弟のロバート・ケネディは兄の大統領としての評価はどうなるかを考える、

TVが、オズワルドが殺害されたと伝える。歩くのは危険だ、いや、やっぱり歩く、葬儀の主役はあくまでジャッキー、そんな混乱をそのまま並べる。

哀しみにくれるジャッキー、それを見てこちらも涙する、なんてことは一切無い。泣きを狙った演出は全て排除する。ふとした時に突然嗚咽する。動転しているのだ。泣きたいおばさんたちは、何これ? となるかも知れない。混乱の中心にいるのはジャッキー、その混乱が回りをさらに混乱させる。成り切ったN・ポートマンの存在が、これはジャッキーの物語であることをしっかりと担保する。彼女の熱演が無かったらこの映画、破たんしていたかも知れない。

 

冒頭から違和感たっぷりの音楽が流れる。画面や感情に合わせることを全くしない。2音のゆっくりとしたシンプルな動機が繰り返される。ほとんどこれだけ。一音ずつ弦が厚く重なる。普通に聴こえた弦が次の音で回転ムラを起こした様にグニョグニョと不快な音になる。もちろん回転ムラなどではない。重なる弦に不協和音が入ってその効果を作っているのだ。FLやClaが弦に代わって同じ様なことをする。音楽は始めから、この物語の中のある感情をサポートするとか、話の運びをスムーズにするとか、そういう意図はないのだ。

音楽は違和感を唱えているのだ。今だにすっきりとしないこの事件への違和感、世界で最も進んだ文明国であるはずのアメリカという国の暗殺の歴史への違和感、そして動転するジャッキーの心の底に横たわる何故?

この音楽、ストーリーやジャッキーの感情を追いたい人にはさぞ邪魔だろう。しかしお構いなしに同じ音型が繰り返される。音楽がこれ程主張する映画を近年観たことがない。絵面にベッタリと合わせることが主流の昨今の風潮の中で、絵面と音楽が完全に乖離している。これが成功しているかどうかはそれぞれの受け止め方だ。ただこの試みに僕は監督と作曲家に拍手である。

どこか一箇所でも、音楽の意図と画面が一致するシーンがあれば、とは思った。そんな中途半端は監督も作曲家も拒否したのだろう。

お涙と自立する女なんてことを期待したおばさんたちにとっては、きっと想像を超えた激辛映画だ。

ジャーナリストにジャッキーが語るという大枠の体裁は作ってある。絶えず煙草を燻らせながら。

プロデューサーは「ブラック・スワン」の監督をやった人。監督はチリの人らしい。音楽にはアメリカへの違和感も練り込まれているのかも知れない。

作曲家、ミカ・レビ、アカデミー作曲賞にノミネート (受賞はしなかったが)。アメリカ・アカデミー協会会員の人々は凄い。

ジョン・ハート、良い顔しているなぁ。

 

監督 パブロ・ラライン  音楽 ミカ・レビ