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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.03.31 「バンコクナイツ」 テアトル新宿

2017.03.31「バンコクナイツ」テアトル新宿

 

昔、「ダウン バイ ロウ」を見た時と同じ衝撃だった。音楽の使い方である。映画の内容は全く違う。音楽の種類も違う。でもどちらもいわゆる劇伴ではない、独立した楽曲。それをぶっきら棒に充てている。ルーズさは似ている。そして音楽がなかったら映画は成立しないという位、映像と対等ということも。

下世話でキャバレー音楽の様、しかも歌は現地語 (タイ語? イサーン語? )。初めはご当地の雰囲気を出す為の現実音として使っているのかと思った。それがそうではない。全編このテイストの音楽。有り物音源を使ったのか。映画の為に録音したのか。多分両方なのだろう。エンドロールのクレジットに音楽関連が一杯出て来たのだが読み切れなかった。

アジアン(インドシナ? )・レゲエだ。それを映画の演出の音楽として使っている。あるいは音楽に引っ張られるように映像を撮ったのか。音楽の入りはカットに合わせたりシーン替わりに合わせたりして映画音楽らしい。しかし尻は全く気にせず、シーン途中で終わったり、バサッと無くなったり。でもそんな技術的重箱の隅、気になったのは初めだけ。ハマった。

ドラム、ベース、EG、Percケーン (笙のような民族楽器。初めキーボードかと思ったら途中で演奏の映像があった)、そしてVocal。洗練とは真逆の泥臭さ、それがいつのまにか最先端の音楽に聴こえてくる。レゲエの様であり、タイの民族音楽の様であり、コーランの様であり、沖縄民謡の様であり、日本の歌謡曲の様であり、60年代アメリカンポップスの様であり。

観終わった後、チラシやら慣れないネットやらで調べてみた。偶然NHKTVで、タイに古いレコードを買い漁りに行くSoi48という二人組のDJ (?) の旅番組をやっていた。これは参考になった。この二人は映画に関係しているようだ。

それからネット (アドレス末尾記載) で監督と脚本家がイサーンの音楽について語っていた。これは多いに参考になった。知らないことだらけだった。

 

タイのイサーン地方とはバンコクの東北に位置する貧しい地域、メコンを挟んで向こうはラオスベトナム戦争の頃、バンコクの反体制運動の連中がこのイサーンの森に逃げ込んだ。ボブ・ディランジョーン・バエズの影響を受けて、彼らは唄い、それがタイのロックとなり、カリスマ的人気を誇る男スラチャイ・ジャンティマトン (今は仙人の様な爺さんになっていて映画に出てくる) を誕生させる。プア・チーウィット(生きるための歌) というらしい。

貧しいこの地方は女がバンコクに出て体で稼いだ金で成立している。まるで戦前の日本の東北。日本ではそれを何とかしようと純粋な将校たちが2.26を起こした。こちらはそれを歌で表す。時代が違う、歴史が違う、気候が違う、アメリカ文化の影響がある。それにしても、こっちは明るい。事あるごとに歌って踊る。

映画に出てくる得度式 (入隊式? ) のお祝いのシーン。 あぜ道を列を作って練り歩く。これが何とリヤカーに使い古したPAの卓を積んで、EGが歌謡曲の様なメロを弾き、スネアを叩いて、Vocalがのり、まるでエレキ・チンドン屋だ。その回りを沖縄のカチャーシーの様な踊りが取り囲む。

性が唯一の産業であり、それを担う女たちには誇りに思う伝統さえある。でも大根っこでの白い眼は彼の地もこちらも変わらない。そんなことを唄う物語性のある歌が生まれる。

一方、イタコの様な女の説教がいつしか歌になっていくという土着の歌 (モーラムというらしい) の伝統がある。

 

体を売る女の叙事詩的歌や瞽女歌の様な伝統、バンコクから逃れて来た反体制派の抵抗のフォークやロック、ベトナム戦争時のアメリカン”60ポップス、それらがチャンプルーされてイサーンの音楽 がある。音楽自体がイサーン地方の近代史を物語る。

 

バンコクには日本人御用達の一角、タニャ通りがある。そこで働くのはイサーンの女たち。日本のスケベ爺がイサーンを支えている様なものだ。アイス (覚せい剤をそう言うらしい)もいくらでもある。時々来る分には楽園だ。日本に居場所の無い連中がそこに吹き溜っている。客引きをやったり、日本の観光開発業者の最末端の手先をしたり。そんな中の元自衛隊員オザワ (富田克也) とNo1ホステス・ラック (スベンジャ・ポンコン)の恋。オザワを演じるのは監督自身。これが実に胡散くさくてリアル。ちょっと細面で甲高いケロケロ声。誰かに似ている? 昔の小室哲哉だ。特に喋り声がよく似ている。

役者はほとんどが素人らしい。しかも夜の仕事の本物たちとのこと。よくぞここまで演じさせたと感嘆する。片言の日本語でのやり取りが多いのでかえってリアル、不自然さは無い。むしろ日本人の男 (こっちは役者か、内輪のスタッフか) にボロが出る。

前半の人間関係は錯綜して良く解らない。編集も解り易くしようとは考えない。エピソードからエピソードへぶっきら棒に飛ぶ。顔馴染みの役者が演じている訳ではないので余計混乱する。ラックが今暮らす男・ビンちゃん (伊藤仁) とオザワの風貌が似ているので始め混乱した。雑然とした世界を作る為に意図的にやっているのかも知れない。が、もう少し親切でも良いか。細かく解らなくても、オザワとラックがバンコクを出ざるを得ない状況になったことが分かればよいのかも。

クレーンや移動車を使って、夜のバンコクの良いカットが幾つもある。潤沢な製作費があったとは思えないが、ロングの引いた画が随所にあって手間暇お金をおしんでないことが良く分かる。時々インサートされるバンコクの高層ビル群のロングショットが効いている。発展するタイの表の顔、その下で蠢くタニャ通りの住民たち。

二人はラックの故郷イサーンに旅をする。オザワは国境を越えてその先のラオスまで行くつもりだ。日本の観光開発業者の現地調査の請負である。

イサーンにはラックの母が居た。ブルースが似合いそうな母親は父親の違う3人の子を産み、弟は米兵との間のハーフ。ラックが建ててくれた家に住む。ラックは一族を支えている。

オザワはそこでイサーンの森に逃げ込んだ反体制派の幽霊を見る。

村のバーには行き場のない白人が溜っている。ベトナム戦争のさらに前、仏領インドシナ独立戦争の頃からの、もういい歳の男たちだ。さり気なく生々しくイサーンの近代史が語られる。

ラックはここでオザワと暮らしたかったのかも知れない。でも弟たちの為にもまだまだ稼がなければならない。オザワはラックの一族と馴染むがそこに根を張る覚悟はない。

ラオスにはベトナム戦争時の米軍の空爆で月の裏側の様な地形になってしまった場所がある。画面がそこの空撮になった時、これ以上無い音量で爆撃音が被った。度肝を抜かれた。それ位極端にデカい音量。居眠りしていた者は飛び起きる。米軍の爆撃がいかに凄かったかがすんなり解る。上手い演出。

突然ゲリラが現れて、その中の数人は日本人だった。メンバーとの会話がいつの間にかラップになる。オザワが ”共産ゲリラ? ” と聞くと軽く鼻で笑って立ち去っていった。この辺、よく解らない。ただイサーンに来てからの描き方は、バンコクのリアルとちょっと違う。少し神懸っている様な気がする。イサーンという地方自体がそれを醸し出しているのかも知れない。

バンコクへ戻る途中のバスターミナルで顔見知りの金城に会う。金城は ”バンコクで金払っている内は素人ですよ、地方へ行けば金なんか払わずにヤレる、オザワさん一緒に行きませんか (不確か)” と誘う。オザワは断る。別れ際、オザワは ”金城さん、日本人で良かったね!” と言う。金城は怪訝な顔をしながら立ち去っていく。オザワは架空の銃を構えて、金城を射殺する。”バン! ” (ズドンだったか) とオサワのケロケロ声の口鉄砲。象徴的な秀逸のシーン。だが殊更それを強調する見せ方はしない。普通にさり気なく。あざとく本物の銃声を付ける演出だってあったろうに。

かつてフランス人、アメリカ人、そして今日本人、日本人であるということは大変な利用価値のあることなのだ。金城のような男は日本人であることを目一杯利用して女を垂らし込んで女衒のようなことをやっているのかも知れない。オザワはこと女に関する限り、日本人であることを利用しない。バンコクでオザワは、ラックがいいと言っても金を払っての関係だった。オザワは胡散くさいが生真面目なのだ。

搾取の構図、差別の構図、蔑視の構図、例えば「愚行録」の内部生と外部生、地方と東京、日本人とタイ人、バンコクとイサーン、体を売る女…、

政治や経済が作り出す搾取と差別、それにノッて、何の疑問も持たずにおいしい思いをする者たち。タイにたむろする日本人を見ると今の日本が解る。アジアの近代史が解る。日々を生きる庶民の生活の中に歴史や政治や経済が深く反映していることが解る。

蔑視の視線は日本国内にも充満している。そのルーツをたどって、バンコク、イサーン、ラオスと、長きに渡り現地の素人に演じさせて劇映画を作り上げた空族 (クゾク) は凄いとしか言いようがない。エンタメとしても充分に面白い。

僕はこの映画の製作集団・空族 (クゾク) を全く知らなかった。かなり音楽に近い人たちの様だ。蔑視と差別のルーツをたどる道筋が、期せずして音楽のルーツをたどることになっているのが面白い。むしろ音楽が先にあったのかも知れない。

余計なことだが空族の連中、生活はどうしているんだろうなんて考えてしまう。映画に憑りつかれているのだ、きっと。

 

「サウダーヂ」という作品名は小耳に挟んだことはあるが、外国のアート系の映画かと思っていた。空族はパッケージ化拒否の方針だそう。これは全く同感。DVDで見る映画は別物だ。ただ映画の輪郭位は解る。今「サウダーヂ」をとっても見たい。パッケージ化拒否は同感だが、ちょっと不便ではある。

エンドロールに囲みで撮影風景のメーキングが流れた。女たちもスタッフも楽しそうだ。現場は大変なこともたくさんあっただろう。でもみんな楽しそうにやっているのは素晴らしいことだ。映画を作る過程でみんなどんどん変わっていってるのだ。

 

監督・主演 富田克也  脚本・相澤虎之助  

音楽・スラチャイ・ジャンテイマトン(伝説の反体制歌手。幽霊役で出演)

   アンカナーン・クシチャイ (モーラムの女王。説話が段々歌になる役で出演) 

   歌物以外の音楽は誰がやったのだろう。サントラを聴かないとわからないのか

   なぁ?

参考

バンコクナイツ』から聴こえる、東南アジアの”抵抗”の音楽

http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27726