映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.05.23 「メッセージ」 ヒューマックス渋谷

2017.05.23「メッセージ」ヒューマックス渋谷

 

初めに言葉有りき。

十二使徒が言葉を武器に世界に遣わされる。

 

言葉はコミュニケーションのツールであると同時に武器となる。言語で認識は異なってくるらしい。思考方法も違ってくるという。確かにそうかも知れない。言葉は自然と深く関わり、それが時間を経て歴史を作り文化を作る。地球上の多様な文化は言葉の違いに依拠する。言葉が滅ぶと文化も滅ぶ。

 

冒頭、ほとんどUPのみで母と娘が描かれる。誕生、成長、そして死。その後ろに弦カルで全音符のゆったりとした曲、やがてそこに八分音符の短くシンプルなメロが乗り、執拗に繰り返される。ミニマルミュージックというやつか。荘厳で古典的でさえある。厳かな気持ちになる。一体何が始まるのか。

あなたの物語は彼らに会わなかったら始まらなかった。(不確か)

 

言語学者ルイーズ (エイミー・アダムス) が大学で教鞭を取っている。ここからは「ボーダーライン」(拙ブログ2016.5.18) の監督らしく、クレーンや移動を駆使して実に上手い。学内、湖畔の屋敷、寝ている彼女ナメの窓に突然のサーチライト、ウェバー大佐 (フォレスト・ウィテカー)の来訪、レコーダーから流れる雑音の様な異星人の声、10分で支度せよ、空撮のヘリ、ヘリの中の科学者イアン(ジェレミー・レナー) との会話、そして現れる巨大なバカウケ (おせんべいのばかうけのこと。ネットの監督インタビューでそう言っていた) 型の殻・宇宙船、それを取り囲んで点在する軍のキャンプ、広い画とヨリ、轟音と静寂、息をも尽かせぬ。その間、ワンカットの無駄も無い、一言の無駄な台詞も無い。

実は二度見した。一度目はあまりの畳みかけに付いていけなかった。二度目でいかにそぎ落とされて無駄が無いかが解った。一気に引き込まれる。

音楽は弦カルから一転、Synの低音が通奏してSFサスペンスに突入する。時々ゴアーンという金属系の唸りの様な音が4音の動機を繰り返す。異星人のテーマか。それ以外は特にメロディー感はない。時々キャンプ内のルイーズのところで素を作る。それが効く。「ボーダーライン」と同じ。実に上手い付け方である。

 

異星人は何の目的でやって来たのか。それがチームに与えられたミッション。その為には言葉によるコミュニケーションが必要だ。8時間毎に開く殻、中に入り透明な壁越しに異星人の未知なる言語の手探りの解明が始まる。それは幼児に言葉を教える様なものだ。遠回りの様だがそれしかない。白板にHUMANと書いて自分を指し示した時、反応があった。七本足の先端から吐き出された墨の様なものが円を描いた。円の淵は吹き付けた様に微妙に滲む。これが彼らの言葉だった。言葉には言い始めと言い終わりがある、という我々人間のものとは違って、瞬時に全てが語られている。異星人には時間の“流れ”が無いらしい。この円の吹き付け言語、一度目は何だと思った。二度目は何て美しいんだろう、と思った。少しずつそれを繰り返し、分析して言語の解析が行われる。世界の十二か所でそれぞれに対応しながら情報は共有される。

時々TV画面に、世界がパニックに陥っている状況が映し出される。あちこちで暴動が起きており、殻を攻撃せよ、という意見がネットに蔓延する。この一連を全てTV画面やPC画面で処理したのは上手い。かえってリアリティが出る。

各国の対応に差が出始める。中国が好戦的な方のリーダー、この辺、今の世界状況を上手く背景として取り込んで現実味を持たせる。

絵空事なのだが違和感を覚えることは一瞬もない。一気に映画の世界である。これぞ映画的表現だ。

時々、ルイーズと娘の回想 (?) がインサートされる。一度見でこれが解らなかった。”今” は娘を失った後なのか。

異星人はヘプタポッドと名付けられる。ルイーズたちが接する2つの個体は、彼女とイアンの間では、アボットとコステロと名付けられた。

ヘプタポッドが“武器”という言葉を発した。そこから世界の連携は一気に崩れ出す。中国が攻撃体制を敷く。12カ所の情報共有も遮断される。世界の団結は崩れようとしている。ルイーズが決死の覚悟で試みた最後のコンタクトで、ヘプタポッドのアボットとコステロのどちらかが、君には武器があるといった。言葉だ。

ここからが良く解らない。娘との回想が次々にインサートされる。娘の絵の中にパパとママの脇に鳥かごがあった。二人がコンタクトする時は安全確認の為必ず鳥かごが置かれていた。娘の絵にそれがある。円の吹き付け言語の絵もあった。娘の誕生はこの出来事の後のはずだ。それが何故“今”の回想に現れるのか。時間の流れが解らない。娘との回想と、「ヘプタポッド言語の研究」(不確か) という未来で書くことになる本を見て、ルイーズは解った!と叫ぶ。

各国が攻撃を開始しようとしていた。ギリギリで中国のシャン上将に携帯から電話を入れる。彼女が中国語を話せることは前にふってある。

突然クラシックの音楽が流れて何やらのパーティー。そこでシャン上将がルイーズに近づく。大統領よりも何よりも、あなたに会いたかった。何人からも翻意されない私を翻意させたあなたに会いたかった、と携帯を差し出す。あなたは私の妻の最期の言葉を言った。出来事から1~2年は経っているはずだ。

攻撃は中止され世界の連携は復活した。但し余計な説明の映像は無い。殻型宇宙船が去る(消える?) というスペクタクルでちょっとファンタジックな映像があるだけだ。

 

ルイーズはある時から未来が解るようになったということか。あるいは解ることに気が付いた。本当は人間はみんなそうなのかも知れない。イアンと結婚すること、娘を産むこと、離婚すること、そして娘が難病で幼くして死ぬこと…

異星人には時間の“流れ”はないという。全てが並立する。でも3000年後に危機が訪れるとは時間の“流れ”ではないのか。並行宇宙ということか。アボット (コステロ?) は死につつあるらしい。死はあるらしい。僕らの直線的な時間感覚で突き詰めると綻びは出てくる。僕らはどうしようもなくそこから離れられない。始まりがあり終わりがある、原因があって結果がある。イアンは同じ様な経験をしながらルイーズの様にはならなかった。最後は神秘体験での飛躍ということになるのか。雷に打たれるか、悟りを開くか、

この映画はSF映画の形を借りて神秘体験を映像化したのかも知れない。死ぬ存在である我々はそれを様々な形で納得し肯定する (しかない) 。哲学であったり、宗教であったり、芸術であったり。二度見の後、わけが解らないまま、不思議な感動があり、死ぬことが解りながら産んだ娘 HANNAH を送るルイーズの哀しみの深さと、それでも産まれて生きた娘の生を肯定する気持ちとで、言葉が無かった。

 

本日 (6/7) 朝日新聞朝刊一面「折々の言葉」(鷲田清一) に偶然こんな言葉が載っていた。

 

生きている時間の方が長い

どんなに短い人生だったとしても

生きていた時間のほうが長い

         (益田ミリ)

 

エンディングで再び冒頭の曲が流れる。ルイーズの心の物語であったことが解る。この曲、マックス・リヒターの「On the Nature of Daylight」という曲とのこと。この曲がオリジナルでなかった為、ヨハン・ヨハンソンはオスカーの音楽賞にノミネートされなかったそうである。てっきり彼のオリジナルを誰かがオーケストレーションしたものと思っていた。これがオリジナルでないと確かにノミネートは難しいかも知れない。

 

原題「Arrival」、到着、到達、出生、の意とのこと。「メッセージ」という邦題、悪くない。

 

こんな映画を作った監督の才能と、作れた幸運と、作らせたプロデューサーたちの志と、「スターウォーズ」も作るがこういう映画も作るというハリウッドの懐の深さに、ただただ恐れ入ってしまう。

異星人の様に瞬時ではないが、ドゥニ・ビルヌーブは人間存在を映画を使って2時間で示してくれた。

 

監督 ドゥニ・ビルヌーブ   音楽 ヨハン・ヨハンソン