映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.07.19 「甘き人生」 スバル座

2017.07.19「甘き人生」スバル座

 

僕らの世代は“甘い”に弱い。“甘い”と来れば“生活”だ。背徳の匂いだ。「甘き人生」、どうしても背徳の匂いを感じる。ヴィジュアルも中年男に覆いかぶさる美女、退廃の芳醇な香り。そんな先入観の下で観た。

1960年代、ツイストが流行っていた頃、カトリーヌ・スパークが太陽の下で18歳だった頃。イタリアはトリノ、少年 (ニコロ・カブラス) と美しい母 (バルバラ・ロンギ) の至福の時が色調を抑えた画面で描かれる。少年にとって黄金の日々。

母が突然居なくなる。寝ている少年に“良い夢を”という言葉を残して。母は自殺したらしい。葬儀で初めて父親が登場する。もしかしたらシングルマザーかと思っていた。この時代、ましてイタリア、それはないか。父親は渋い。これは間違いなく女が絡む。父親の女関係がもとで精神を病み自殺した。間違いない。少年を溺愛する母の姿に少し神経症的なところも感じた。

少年・マッシモは母の死を受け入れられない。周囲も死因は心筋梗塞と言い、自殺とは決して言わない。自殺を罪とするキリスト教の背景もある。

母と観たTVの、仮面を被ったダークヒーロー (?) ベルファ・ゴールを心の支えとして、周囲とはそれなりに接するものの決して心底から心を開かぬまま成長する。

宇宙の起源、物体落下の法則、教会を明るくしないと母が帰ってこられない(?)。成長するにつれ、理性は母の死を理解しつつも、心はそれを拒否し続ける。そんな心を持ち続けたまま、マッシモは大人になる。

ジャーナリストになったマッシモ (バレリオ・マスタンドレア) はセルビア紛争の取材に赴き、そこで撃たれた母とその脇で必死にゲームをやり続ける少年の姿を見る。必死に紛らわせているのか、心の許容範囲を越えたのか。その夜マッシモは初めてパニック障害を起こす。それを救ってくれた女医・エリーザ (ベレニス・ベジョ) との出会いがある。

199?年、マッシモ が30代後半になった頃、初めて父親は再婚を考えていると、女性を紹介する。残念ながら父親に背徳の匂いは無い。息子は素直に認める。父子並んで歩く姿がどうにも親子に見えない。端正な父親に比して無精ひげの息子の方が老けて見えたりする。

 

母の死の受容と1960代~1990代の欧州を重ねて描くのかと思った。しかし僅かに触れる社会ネタも重きを置かれている訳ではない。むしろサッカーの話がこの親子に深く絡んでいる。丁度、長嶋茂雄のデヴュー連続3三振後の初ヒットがホームランだったり、天覧試合のホームランだったり、“巨人軍は永遠不滅です”の引退だったり、その活躍が僕らの個人史と深く絡まっているのと同じ様に。

父が死に、アパートの片づけをして母との思い出を整理する中で、叔母の口から母の死が病気を苦にした飛び降り自殺だったと初めて聞く。精神を病んでいたというようなことは全く出てこない。ましてや父親の女性問題など皆無。僕の読みは次々に粉砕される。

マッシモは遂に母の死を受け入れエリーザと結ばれる。ラストカットがポスターのヴィジュアルだ。ここにも背徳は皆無だ。あのヴィジュアルに「甘き人生」というタイトルが付けられてマンマと騙された僕がバカだったということだ。ただ単に病気を苦に自殺した母の死を40年近く掛けてようやく受け入れた男の物語だったのだ。本当に? どこかに見落としている所があるんじゃない? だって本当にこれだけだとしたらTVで充分 (TVに失礼か) なんだもの。

新聞の投稿欄の担当として、母を憎んでしまうという投稿に、帰ったら黙って母を抱きしめなさい、と回答して世間から絶賛を浴びたりする。このストレートさは何なんだろう。

幼くして母を亡くした経験は筆舌に尽くし難い。トラウマとなったり人格形成に大きな影響を与える。一方で僕らはIS等の現実を日々のニュースで知っている。母親が目の前で乱暴され殺される。マッシモだってセルビアで現実を見てパニック障害を起こした。母の死を受け入れるのに40年って、ちょっと「甘き人生」じゃない? 背後に退廃の芳醇な香りなんか一切無い、それだけの話。ダマされた私がバカだった。

 

音楽はポイントに時代を表わす既成曲、所々で小編成の楽曲がお決まりで付く。最後に弦の入った大編成でウェットに纏める。当たり前だが過不足無し。ツイストから始まって、ストーズやキングクリムゾンのLPジャケットが出てきたりして世代的には僕とWり、既成曲は懐かしかった。

 

描写は的確。’60トリノ、’90ローマと場所時間共にランダムに飛ぶも流れはスムーズ、素直に観られる。安っぽい泣かせに持って行かなかったことは良い。男は永遠にマザコンだ。

 

原題「Fai bei sogni」(良き夢を)、母が残した最期の言葉。それを「甘き人生」とした。“甘き”で僕の様な世代を深読みさせ、一方でこの映画の“甘さ”を自ら皮肉る、上手い邦題。

 

監督 マルコ・ベロッキオ   音楽 カルロ・クリベッリ