映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.06.19 「花戦さ」 丸の内TOEI

2017.06.19「花戦さ」丸の内TOEI

 

華道は僧侶の手によって始まったことを初めて知った。利休と親交した実在の人物らしい池坊専好、暴君と化した秀吉に花を活けて自戒を促したという話。本当なのか。

専好を野村萬斎が演じる。専好は花の中に仏さんがいるという。それはよい。けれど活けた花で秀吉が改心するというクライマックスにどうにも説得力が無い。桜と梅のどちらが好きか、それぞれにかけがえのない良さがある。赤には赤の、青には青の、黒には黒の、金には金の、そんなやり取りで解ったような気にさせられる。脚本がどうにも浅い。浅いところで辻褄を合わせてイージーな整合性を作る。

何とか映画になっているのはひとえに萬斎の形のある演技による。台詞も所作もリアリズムではない。伝統に裏打ちされた形である。萬斎は普通の映画に出たら間違いなく、浮く。「陰陽師」も「のぼうの城」も萬斎の持つ形の演技を上手く取り込んで成功した。この映画は取り込むのではなく助けてもらっている。萬斎でなければ映画が成立しなかった。彼の形が浅い脚本にも拘らず何かが有る様な感じを作り出した。秀吉役の市川猿之助も同じ。猿之助の持つ形が何とかクライマックスを成立させている。形を持たない役者でやっていたら悲惨、映画に成ってなかった。萬斎、猿之助がやったから、かろうじて映画になった。それでも辛うじて、である。

セットはチャチ、引いた画は無い。予算が無かっただろうことは解るが。せめて幾多の無念の血が沁みつく三条河原のロング、それがあればこそ一輪の花に手を合わせた後に刈り取る萬斎に深さが出るというもの。TVサイズの寄りばかりでは花に仏が宿るなんて言っても説得力が感じられない。

音楽、複雑なリズムを駆使したミニマルミュージック(?)。弦のピッチカートや木管がリズムを作って、そこに弦のメロがのる。琴の音も聴こえる。映像に付けるというより映像を引っ張っている。音楽の無いラッシュはさぞ辛かっただろう。音楽が積極的に演出してテンポを付けてメリハリを付ける。萬斎、猿之助とともに久石の音楽が無かったら映画に成っていなかった。

茶道華道の動員付映画であることは間違いない。それをしっかりと逆手に取って普段作れないような映画を作って欲しかった。

 

監督 篠原哲雄   音楽 久石譲