映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.07.28 「彼女の人生は間違いじゃない」 武蔵野館

2017.07.28「彼女の人生は間違いじゃない」武蔵野館、

 

大震災からもう6年が過ぎたのか。つい先日の様な、ずっと昔の様な。

みゆき (瀧内公美) は父親 (光石研) と仮設住宅に住む。母は津波で流された。遺体は上がっていない。毎日、出勤前に部屋の隅の急ごしらえの仏壇にご飯を供えて手を合わす。市役所に勤める。父親は保証金で毎日パチンコ生活、元は農業だった。

みゆきは週末になると夜行バスで東京・渋谷に出て、デリヘル嬢のアルバイトをしている。夜行バスの車窓から送電線の鉄塔をぼんやりと見つめる。6年前から時間が止まっている福島、そんなことあったなんて殆どの人が忘れてハシャぐ渋谷の街。みゆきは毎週この間を行き来する。

車窓からの鉄塔にPfの硬質な単音が被る。鉄塔にPfの単音は良く似合う。「そして父になる」(拙ブログ2013.10.11)でも鉄塔にPfの単音が宇宙の奥から鳴っているように付いていた。みゆきは鉄塔を見るともなく見ながら何を考えていたのか。出口の無い日常から解放されてホッとしたか、突然狂ってしまった人生、この先どうなるのか、自分って? みゆきが唯一ひとり内省する時間。宇宙の中で一人たたずむ時間。もしかしたらこの時間を持つためにみゆきは毎週渋谷へ行くのかも知れない。やがて微睡み、目を開けるとスカイツリーが視界に入って来る。良いシーンだ。このシーンがあるので僕はこの映画をとっても好きになった。

確かに鉄塔は福島を犠牲にして東京に電気を送る、そんな象徴だ。声高ではない原発への抗議だ。そして僕はどうしてもその先に、宇宙と対峙するみゆきの姿を見てしまう。

 

反省。僕はこのブログでやたらと安易に“宇宙”という言葉を使ってしまう。どういう意味で使っているのかと問いただされても的確には答えられない。きっと歳 (現在68歳) のせいだ。“死”を身近なものに感じ始めて、来し方行く末が前よりも見渡せる様になった。“宇宙空間に漂う絶対孤独な私”という想念が若い頃よりもずっと頻繁に浮かぶ。老人の繰り言、笑わば笑え。僕は全ての映画をここから見ているのかも知れない。

 

映画は手持ちカメラで、家から軽でいわき駅まで行き、夜行バスに乗って東京駅に着いて、洗面所で着替えて、地下鉄銀座線で渋谷に着き、デリヘルの事務所に顔を出すまでを、ドキュメンタリーの様に追う。密着取材の様。

父親は時々仮設の引き籠りの少年とキャッチボールをする。引き籠りが少し治ったと親から感謝される。

隣の夫婦は夫が原発関連。徹夜作業で家に帰らないことも多い。原発で持てはやされていた頃から一変、周りの視線に妻 (安藤玉恵) は自傷行為を繰り返す。

市の広報の新田 (柄本時生) は、家は流されなかったものの、母親と婆ちゃんが宗教にハマり家を出てしまい、歳の離れた弟と二人で暮らす。弟の面倒をよく見ている。新田が通うスナックに東京の女子大生がバイトで入った。復興の様子を卒論にするという。色々質問され、違うと感じつつ、つい店に通ってしまう。

3.11以前の生活は無しになった。復興といったところで元の生活に戻れる訳ではないし、原発の影響は何時まで続くか分からない。6年も経てば仮設は仮設でなくなる。でもこの生活は仮なんだというところにしがみ付く。一生を仮設状態で生きて行く? 仮でない本来の生活って?

 

みゆきが何故デリヘルのバイトをするようになったかの説明はない。生き残ってしまった自分、津波が来た時は恋人とホテルの一室だった。その罪悪感からの自分への罰なのか。

 

デリヘルのマネージャー (高良健吾) は演劇を志す人だった。その彼に子供が生まれる。彼はデリヘルマネージャーの仕事を辞め、次の段階に人生を進めることを決めた。みゆきは彼の芝居を初めて観る。もしかしたらみゆきもデリヘルを卒業して人生を少し進めるかも知れない。

父親は一時帰還で汚染地域の家に戻り、妻の衣類を持って帰り、漁船から海に放り投げる。“かあちゃん、寒か!” 父も人生を少し進めるかも知れない。良いシーンだ。

夜行バスで朝帰りしたみゆきは子犬を飼うことにする。父親に“ちょっと待って、朝ごはん作るから”(不確か) 映画はこの台詞で終わる。仕事を見つけようとしない父親に “いい加減にしてよ!” とヒステリックに叫んだみゆきではない。何かが少しだけ変わった。ほんの少しだけ朝日が射しこんだ (ような気がした) 。

 

福島にはきっとこんな話がゴロゴロしているのだ。こんな話だらけなのだ。映画はそれを拾い集め、それに出来る限り作為を加えることなく役者に演じさせた。演出臭は細心の注意を払って除去している。そういう冷静で優しい演出なのだ。役者もみんなよくそれに応えている。光石研など現地の人をそのまま使った様である。

一つだけ、これは言っても仕方ないことであり美点でもあるのだが、みゆきの瀧内公美、彼女が綺麗過ぎる。端正な横顔に見入ってしまう。この映画のヒロインとしては美人過ぎやしないか。スラリとした体躯も初めからシブヤである。彼女の美貌で引っ張るのは商業映画としては当然で、もし普通の容姿の女優がやったら商業映画ではなくなっていたかも知れない。だから仕方がない。矛盾するようだが何かの賞でこの熱演は評価されるべきだ。

「日本で一番悪い奴ら」(拙ブログ2016.7.15)に出ていたとのこと、全く気付かなかった。

 

音楽、Pfの硬質な音で2分音符の2音の単純なメロが繰り返される。そこに小編成の弦が入り、Pfに代わってメロを取る。あるいは弦がリズムを刻む。一直線の桜並木の奥から除染作業の車が現れる冒頭、あるいは夜行バスの中から見る鉄塔、東京の光景、福島の光景に付く。遠くからの視点の音楽。人間の営みを無感情に見つめる音楽。ほんの数カ所だけ。でも効果的。良い映画音楽である。

ローリングタイトルで音楽家のクレジットを読み取れなかった。ネットで調べても載っていない。主題歌・meg「時の雨」は載っているのに。エンドロールに流れる主題歌はそれまでの世界を壊すようなものではなく、良い範疇。それより劇伴の作曲家をネット資料でもきちんと表記すべきだ。ローリングのクレジットをそっくりそのまま資料として掲載してくれればといつも思う。既成曲も何を使ったかが分かる。そう出来ないものだろうか。

 

「彼女の人生は間違いじゃない」、優しさに溢れるタイトルだ。

廣木隆一、良い仕事をした。

 

監督 廣木隆一   音楽 半野喜弘      主題歌 「時の雨」meg

 

8/15   本ブログを読まれた方より、音楽は「半野喜弘」であると連絡を頂きました。ありがとうございます。